昭和史に対し、これまで無関心、あまりにも無知であった。
父は赤紙で招集され、北支、満洲を転戦した経験をもつ。その父の長男であるわたしが、このまま無関心でいるわけにはいかない。
そう考えつづけていたが、高校の教科書に書かれている程度の知識しか抱くことができなかった。きっかけがつかめなかったということだ。
古代史、中世史、近世史には、若いころから関心があって、これまでたくさんの本を読んできたというのに。
昭和史はまだ湯気をたてているようなホットな歴史領域。現代史にそのままつながっているだけに、評者や批評家、研究家によって、とても大きな揺れ幅がある。
そこで考えたのは、だれをキーパースンにして、昭和史の真相に分け入っていったらいいのか・・・ということ。
少し迷ったが、やっぱり歴史探偵を自称する半藤一利さんに決めた。サブとして「昭和史を語り継ぐ会」の主宰者でノンフィクションライター保阪正康さんにすることにした。
このお二人は共著、対談集を数多く公刊している。半藤さんは明治維新についても詳しく、独自の視点から興味深いアプローチをしめす本を、何冊か書いている。
わたしが買った文庫は帯に「30万部突破!」と誇らしげにゴチック活字が躍っている。
この「日本のいちばん長い日」は、大宅壮一編集で1965年にはじめて公刊された。半藤さんが当時は文芸春秋社社員であることをはばかってそうなったようである。
その後、半藤一利著とするにあたって、改定があったようであるが、どこがどう編集されなおしたのか、詳らかではない。
しらべてみると、はじめ1967年に岡本喜八監督(東宝)によって映画化。そして2015年、原田眞人監督により再び映画化された。製作・配給は松竹である。
こういった映画を鑑賞した人が、原作として買い求め、30万部という、この手の本にしては異例の売り上げを後押ししたものだろう。
昭和20年8月14日正午からの24時間。
時系列に沿って、登場人物の軌跡が描かれる。その人たちはただの庶民や無名の兵士ではなく、日本の国家、国民に対し、決定権を行使しうる重大な責任を負う地位にある人びとである。
ポツダム宣言の受諾をめぐる舞台裏・・・その濃霧が晴れ渡って、風景のパースペクティヴがしだいに姿を現していくさまは、圧巻である。国家としての日本の進退がかかっている大きな、大きな決断。それは天皇の“ご聖断”であった。そして、それに賛成し、天皇を輔弼した側の人物と、反対する側の人物の手に汗にぎる、いのちを賭けた角逐。
ここには四人の主役がいる。昭和天皇、鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸相、そして青年将校畑中健二陸軍少佐である。
敗戦。
我が国はじまって以来の事実上「無条件降伏」を受け入れるのは、これほどたいへんなことであったのかと、あらためて襟を正さずにはいられない。
無残に死んでいった兵士や国民に対し、申し開きできる日本人は一人もいないが、一億玉砕しか選択肢がないわけではない。玉音放送が流れるまで、主張は相入れず、登場人物たちの
死力を尽くす苦闘がつづけられる。
明治維新から日露戦争までの栄光に満ちた40年。それがつぎの40年で瓦解していくのである。
読みおえて「日本のいちばん長い日」というタイトルは少しも大げさではないと痛感させられた。
わたしは本書を読んでいる途中で、何度も読書を中断し、他の本やYouTubeで閲覧可能な動画資料や天皇の「玉音放送」の中身を参照し、考え、考えながらゆっくりと読みおえた。
とくに玉音放送など、ほんのサワリしか知らなかったのであったが、この機会に原文(その現代語訳も)をはじめて読んで、やっぱり胸がふるえるという経験をした。
この原稿の草稿はいったいだれが書いたのであろうか?
昭和史はホットな歴史事件がぎっしりとつまっている。わたしの昭和史探索は、いまスタートしたばかり。
あれも読んでおこう、これも・・・といろいろな本に手がのびていく。
昭和史の方向を決定づけた「国体の護持」とはいったい何のことだ? 何のことだろう? 昭和天皇一身のことではなく、天皇制の温存ということか!? としたら、天皇制とは何であるか、われわれ日本人にとって。これはいわば、わたしの最後の質問である。共和制=大統領制では日本は日本でなくなってしまうとは?
本作は息づまるような緊張感が全編を覆い尽くす、ドキュメンタリーの金字塔といっていいであろう。 しかし、天皇制とは何であるか・・・については、答えてはくれないようであるが、ヒントはたくさん埋め込まれている・・・と、わたしは読んだ。
※評価:☆☆☆☆☆(5点満点)
父は赤紙で招集され、北支、満洲を転戦した経験をもつ。その父の長男であるわたしが、このまま無関心でいるわけにはいかない。
そう考えつづけていたが、高校の教科書に書かれている程度の知識しか抱くことができなかった。きっかけがつかめなかったということだ。
古代史、中世史、近世史には、若いころから関心があって、これまでたくさんの本を読んできたというのに。
昭和史はまだ湯気をたてているようなホットな歴史領域。現代史にそのままつながっているだけに、評者や批評家、研究家によって、とても大きな揺れ幅がある。
そこで考えたのは、だれをキーパースンにして、昭和史の真相に分け入っていったらいいのか・・・ということ。
少し迷ったが、やっぱり歴史探偵を自称する半藤一利さんに決めた。サブとして「昭和史を語り継ぐ会」の主宰者でノンフィクションライター保阪正康さんにすることにした。
このお二人は共著、対談集を数多く公刊している。半藤さんは明治維新についても詳しく、独自の視点から興味深いアプローチをしめす本を、何冊か書いている。
わたしが買った文庫は帯に「30万部突破!」と誇らしげにゴチック活字が躍っている。
この「日本のいちばん長い日」は、大宅壮一編集で1965年にはじめて公刊された。半藤さんが当時は文芸春秋社社員であることをはばかってそうなったようである。
その後、半藤一利著とするにあたって、改定があったようであるが、どこがどう編集されなおしたのか、詳らかではない。
しらべてみると、はじめ1967年に岡本喜八監督(東宝)によって映画化。そして2015年、原田眞人監督により再び映画化された。製作・配給は松竹である。
こういった映画を鑑賞した人が、原作として買い求め、30万部という、この手の本にしては異例の売り上げを後押ししたものだろう。
昭和20年8月14日正午からの24時間。
時系列に沿って、登場人物の軌跡が描かれる。その人たちはただの庶民や無名の兵士ではなく、日本の国家、国民に対し、決定権を行使しうる重大な責任を負う地位にある人びとである。
ポツダム宣言の受諾をめぐる舞台裏・・・その濃霧が晴れ渡って、風景のパースペクティヴがしだいに姿を現していくさまは、圧巻である。国家としての日本の進退がかかっている大きな、大きな決断。それは天皇の“ご聖断”であった。そして、それに賛成し、天皇を輔弼した側の人物と、反対する側の人物の手に汗にぎる、いのちを賭けた角逐。
ここには四人の主役がいる。昭和天皇、鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸相、そして青年将校畑中健二陸軍少佐である。
敗戦。
我が国はじまって以来の事実上「無条件降伏」を受け入れるのは、これほどたいへんなことであったのかと、あらためて襟を正さずにはいられない。
無残に死んでいった兵士や国民に対し、申し開きできる日本人は一人もいないが、一億玉砕しか選択肢がないわけではない。玉音放送が流れるまで、主張は相入れず、登場人物たちの
死力を尽くす苦闘がつづけられる。
明治維新から日露戦争までの栄光に満ちた40年。それがつぎの40年で瓦解していくのである。
読みおえて「日本のいちばん長い日」というタイトルは少しも大げさではないと痛感させられた。
わたしは本書を読んでいる途中で、何度も読書を中断し、他の本やYouTubeで閲覧可能な動画資料や天皇の「玉音放送」の中身を参照し、考え、考えながらゆっくりと読みおえた。
とくに玉音放送など、ほんのサワリしか知らなかったのであったが、この機会に原文(その現代語訳も)をはじめて読んで、やっぱり胸がふるえるという経験をした。
この原稿の草稿はいったいだれが書いたのであろうか?
昭和史はホットな歴史事件がぎっしりとつまっている。わたしの昭和史探索は、いまスタートしたばかり。
あれも読んでおこう、これも・・・といろいろな本に手がのびていく。
昭和史の方向を決定づけた「国体の護持」とはいったい何のことだ? 何のことだろう? 昭和天皇一身のことではなく、天皇制の温存ということか!? としたら、天皇制とは何であるか、われわれ日本人にとって。これはいわば、わたしの最後の質問である。共和制=大統領制では日本は日本でなくなってしまうとは?
本作は息づまるような緊張感が全編を覆い尽くす、ドキュメンタリーの金字塔といっていいであろう。 しかし、天皇制とは何であるか・・・については、答えてはくれないようであるが、ヒントはたくさん埋め込まれている・・・と、わたしは読んだ。
※評価:☆☆☆☆☆(5点満点)