二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

ことばを使って表現しきれないところからは音楽の出番です

2020年05月11日 | 音楽(クラシック関連)
   (2016年11月 高崎)


青柳いづみこさんは、そう語っている。
「ことばを使って表現しきれないところ」があることを、詩を書きながら、わたしも感じている。
ドビュッシーの音楽は、しばしばことばを旗印にしているが、音楽はそこからさきに向かって、とても繊細に、フレキシブルに展開する。新鮮なフルーツのように、果汁がほとばしる(*゚v`)ノ
これまで見た(観た)ことのない風景をくりひろげ、耳をかたむける人の心をもてなす。
たとえば、
■子供の領分
1.グラドゥス・アド・パルナッスム博士
2.象の子守歌
3.人形へのセレナード
4.雪は踊っている
5.小さな羊飼い
6.ゴリウォーグのケークウォーク

これらは、あくまで旗印=サイン・ポールなので、R・シュトラウスの「アルプス交響曲」などとは違い、音楽によって、風景を描写しようとしているわけではない。
音と響きはたえず飛翔し、着陸し、ふたたび飛翔する。これまで耳にしたことがない響きが、意外性のある和音をひきつれ、凧のように、空高く舞い上がることもある。
音楽とは空気の振動に過ぎないのだが、空気の振動といえば、ことばだって元は空気の振動にすぎない。
人類が文字を発明してから、たかだか4千年かそこいらだろう。

人間の脳は、イメージを駆使する。ことばも、音楽も、目に見えるようで見えない、見えないようで見える、あるあいまいな境域へ、われわれの脳をつれだす。
そしてことばが尽き果てたところから、音楽がはじまるのだ。

ことばを使って表現しきれないところからは音楽の出番です

・・・とは、そういうことだろう。
ドビュッシーは(ラヴェルをふくめてもいいだろう)、「そこから音楽がはじまる」と考えていた。
ころげまわったり、跳ねたり、こすれたり、落下したり、飛び上がったり、ぶつかったり、流れたり、うねったり・・・。
ドビュッシーはそれらを“感じる”ことができた人である。
いや、感じただけではなく、表現してみせたのだ。

「筆舌に尽くしがたい」と、人はときどきいう。ことばでは表現しきれないものがあることを、敏感な人は気が付いている。ことばが終わり、音楽がはじまる。
むずかしいことをする、しなければならない・・・わけではない。じっと耳をすませばいいのだ。

ことばを使って表現しきれないところからは音楽の出番です

そう、まさに音楽の出番。これまで見た(観た)ことのない、不思議な光景が、あぶり出しのようにぼんやりと浮かび上がったかと思うと、やがて鮮明な輪郭を描いて、あたりの空気がうねり、したたり、踊りはじめる。
筆舌に尽くしがたい光景なのだ。
いまわたしが感じているドビュッシーの音楽とは、そういうものである。ことばでいい換えるならば。
ここからさきは、もちろん、音楽の出番!


ところで、時代のストリームは・・・、
・CDの6.5倍の情報量があるというハイレゾへ向かう人
・音質はよくないが、YouTubeで画像とともに音楽を愉しむ人

の二方向に分れているようだ。
そして時間とお金にめぐまれた本物のクラシック・ファンは、コンサート会場で生演奏を堪能する。もちろん、これが一番贅沢なのは昔もいまも変わらない。

わたしはといえば、従来タイプのCDとYouTube。ネットにつながっていれば、いつでもどこでもenjoyできる。
さあ、ここでドビュッシーをいっしょに聴きませう(^^♪タハハ


https://www.youtube.com/watch?v=GStfo_f4L0g
(アラベスク第1番 ピアノ:スタニスラフ・ブーニン)
https://www.youtube.com/watch?v=rDQq8gWx_J8
(ノクターンより「雲」)
https://www.youtube.com/watch?v=mZtt7ay4-CY
(ノクターンより「祭り」)

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