(昨日BOOK OFFで買ってきたCD。チェビリダッケ&ミュンヘン・フィル1986年)
ながらく忘れていた音楽。
わたしがクラシックに帰ってくるのは数年に一度なので、以前どんな音楽に夢中になっていたのか、しばしば忘れてしまう(=_=)
音楽の時間、写真の時間、本の時間、そして詩の時間。
大きく分けると、これらのカテゴリーのあいだを、5~6年おきにいったりきたりしている。
詩の場合は、20代の終わりにいっぺん卒業した。
だから40年ぶりに復帰したことになる。これはむろん、例外中の例外。
さて、チェビリダッケ&ミュンヘン・フィルのこのディスクは、
■交響曲第3番ホ長調“ライン“
交響曲第4番ニ短調
・・・のカプリング。
うん、素晴らしいSymphonyだけど、むかしわたしが心底惚れ込んだのは第4番ニ短調の方。
(これを忘れていた。いわずとしれたフルトヴェングラー&ベルリン・フィル1953年)
フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによるシューマン「交響曲第4番ニ短調」は定番中の定番といわれるもので、調べてみると現在でも圧倒的な人気を誇っている(^^♪
シューマンはショパンとならぶピアノの詩人。
一般にはそうかんがえられている。
だけどこれまで「おおっ、これは」と感心した覚えがない。
ホロヴィッツで聴き、アルゲリッチで聴いた。
世評がいたって高いのは知ってるけどねえ。心を動かされた経験はない。
シューマンは4曲の交響曲を残した。どれも充実した作品なのはわかるが、感動となると・・・。
つい、ブラームスの4曲とくらべてしまうせいかしら(?_?)
その中で、まったくのド素人のわたしが心底しびれたのがこの4番。
3枚のディスクに収録されているのは、
上中:クレンペラー&ニューフィルハーモニア管
交響曲第1番変ロ長調“春”
交響曲第2番ハ長調
下左:クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル
交響曲第4番ニ短調
交響詩「死と変容」R・シュトラウス
下右:カラヤン&ベルリン・フィル
交響曲第1番変ロ長調“春”
交響曲第3番変ホ長調“ライン
・・・である。自慢できるようなCDではない。
このほか、バーンスタインの2枚組、1~4番をもっているけど、あまり聴かない♪
シューマンといえば、交響曲第4番ニ短調なのである。フルトヴェングラーによる刷り込み効果なのかなあ。
交響曲第1番変ロ長調“春”もいいけどね、生意気をいうようだけど、物足りないのです。
ただし、この4番の中身はというと、どういうことばで語ったらいいのか戸惑う。
「いいですよ、いいのです、感動的。夢に出てきたことがあります」
バカみたいに、ただそういいたいだけ(^○^)/
この曲を知らないという人のため、ライナー・ノーツから一部を引用しておこう。
《シューマンが実際にこの曲を書いたのは1841年で、第1番“春”につぐ、交響曲の2作目にあたっている。しかし、彼は筺中にしまいこんでいて、のちに大幅な改訂を行って、1851年に彼自身の指揮で初演、後に出版した。このときすでに第2、第3番の2曲が刊行されていたので、第4番となったものである。
(中略)
全楽章は休みなく続けて演奏されるので、自由な形式の1楽章の交響曲と見なすこともできる。シューマン自身が、“大管弦楽のための交響的幻想曲”と呼んだのもその自由な形式をいっているもので、メンデルゾーンの第3番“スコットランド”とならぶ、ロマン派交響曲の代表的な作品となっている。》(フルトヴェングラーのCDに付せられた岡俊雄さんの解説より)
ところで、昨日入手したチェビリダッケ&ミュンヘン・フィルのこの演奏はオーソドックスで、ケレンがなく、隅々まで、美しい光が充ち渡っている(´▽`)
これまで聴いてきたチェビリダッケの演奏の中で、一番魅力を感じた一枚。
フルトヴェングラー&ベルリン・フィルの後遺症は、まだ根強いものがありますけどねぇ。
ながらく忘れていた音楽。
わたしがクラシックに帰ってくるのは数年に一度なので、以前どんな音楽に夢中になっていたのか、しばしば忘れてしまう(=_=)
音楽の時間、写真の時間、本の時間、そして詩の時間。
大きく分けると、これらのカテゴリーのあいだを、5~6年おきにいったりきたりしている。
詩の場合は、20代の終わりにいっぺん卒業した。
だから40年ぶりに復帰したことになる。これはむろん、例外中の例外。
さて、チェビリダッケ&ミュンヘン・フィルのこのディスクは、
■交響曲第3番ホ長調“ライン“
交響曲第4番ニ短調
・・・のカプリング。
うん、素晴らしいSymphonyだけど、むかしわたしが心底惚れ込んだのは第4番ニ短調の方。
(これを忘れていた。いわずとしれたフルトヴェングラー&ベルリン・フィル1953年)
フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによるシューマン「交響曲第4番ニ短調」は定番中の定番といわれるもので、調べてみると現在でも圧倒的な人気を誇っている(^^♪
シューマンはショパンとならぶピアノの詩人。
一般にはそうかんがえられている。
だけどこれまで「おおっ、これは」と感心した覚えがない。
ホロヴィッツで聴き、アルゲリッチで聴いた。
世評がいたって高いのは知ってるけどねえ。心を動かされた経験はない。
シューマンは4曲の交響曲を残した。どれも充実した作品なのはわかるが、感動となると・・・。
つい、ブラームスの4曲とくらべてしまうせいかしら(?_?)
その中で、まったくのド素人のわたしが心底しびれたのがこの4番。
3枚のディスクに収録されているのは、
上中:クレンペラー&ニューフィルハーモニア管
交響曲第1番変ロ長調“春”
交響曲第2番ハ長調
下左:クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィル
交響曲第4番ニ短調
交響詩「死と変容」R・シュトラウス
下右:カラヤン&ベルリン・フィル
交響曲第1番変ロ長調“春”
交響曲第3番変ホ長調“ライン
・・・である。自慢できるようなCDではない。
このほか、バーンスタインの2枚組、1~4番をもっているけど、あまり聴かない♪
シューマンといえば、交響曲第4番ニ短調なのである。フルトヴェングラーによる刷り込み効果なのかなあ。
交響曲第1番変ロ長調“春”もいいけどね、生意気をいうようだけど、物足りないのです。
ただし、この4番の中身はというと、どういうことばで語ったらいいのか戸惑う。
「いいですよ、いいのです、感動的。夢に出てきたことがあります」
バカみたいに、ただそういいたいだけ(^○^)/
この曲を知らないという人のため、ライナー・ノーツから一部を引用しておこう。
《シューマンが実際にこの曲を書いたのは1841年で、第1番“春”につぐ、交響曲の2作目にあたっている。しかし、彼は筺中にしまいこんでいて、のちに大幅な改訂を行って、1851年に彼自身の指揮で初演、後に出版した。このときすでに第2、第3番の2曲が刊行されていたので、第4番となったものである。
(中略)
全楽章は休みなく続けて演奏されるので、自由な形式の1楽章の交響曲と見なすこともできる。シューマン自身が、“大管弦楽のための交響的幻想曲”と呼んだのもその自由な形式をいっているもので、メンデルゾーンの第3番“スコットランド”とならぶ、ロマン派交響曲の代表的な作品となっている。》(フルトヴェングラーのCDに付せられた岡俊雄さんの解説より)
ところで、昨日入手したチェビリダッケ&ミュンヘン・フィルのこの演奏はオーソドックスで、ケレンがなく、隅々まで、美しい光が充ち渡っている(´▽`)
これまで聴いてきたチェビリダッケの演奏の中で、一番魅力を感じた一枚。
フルトヴェングラー&ベルリン・フィルの後遺症は、まだ根強いものがありますけどねぇ。