これまで乱読乱読でやってきて、整理整頓は二の次だった(^^;)
とにかく、家の中、本だらけ。
本、書物、書籍、印刷物。
・・・そう、まさにどれもこれも“印刷物”なのである。
情報源や知識を、印刷物に頼ってきたのだ。ブリタニカの大百科事典もあれば、岩波の漱石全集、同じく岩波の「講座 日本の歴史」ドストエフスキー全集(河出書房版)などは全巻そろいでもっている。
そういったものは、近々すべて始末する。
本、あるいは書物が、貴重品だった時代が終ろうとしている。
情報源は図書館や、ネットの向こう側にあればいいので、手許に置いて管理する必要性がうすれている。
とはいえ、まあ、半分か、それよりいくらか多めに所蔵し、必要を感じたとき、パッとすぐに手に取れるようにしておきたい。
平積みされたり、書棚の奥にうもれて久しく顔を見なかった本たち。
左)「最澄と空海」 立川武蔵(講談社選書メチエ)
右)「高野山」 山本智教(小学館)
左)「植草甚一読本」 植草甚一ほか(晶文社)
右)「ダーウィンを超えて」 今西錦司+吉本隆明(朝日出版社)
左)「柿本人麻呂」 山本健吉(河出文庫)
右)「道元の考えたこと」 田上太秀(講談社学術文庫)
左)「ぼくのピクニック」 田村隆一(朝日新聞社)
右)「そのほかに」 谷川俊太郎(集英社)
左)「骨餓身峠死人葛」 野坂昭如(中央公論社)
右)「近代の超克」 竹内好ほか(冨山房百科文庫)
右上)「読書中毒」 小林信彦(文春文庫)
右下)「法然の衝撃」 阿満利麿(ちくま学芸文庫)
左上)「絶望と歓喜」 増谷文雄+梅原猛(角川ソフィア文庫)
左下)「円仁 唐代中国への旅」(入唐求法巡礼行記の研究) E・O・ライシャワー(講談社学術文庫)
これらはいずれも残すことが決定している。
なんでも読むというのではないが、この一覧を眺めただけで、乱読ぶりが暴露される(笑)。
まだまだこれから、数回は仕分け作業をし、ヒモでくくって、BOOK OFFへ搬入する(~o~)
本日あらたに叩き売ることを決めた本は150~160冊あまり。まだ先が長いのだ。
すでに腰が痛くなってきた。
さて、トップの二冊は地元から刊行されている「みやま文庫」の復刻本。
これはすでに刊行が終了している稀少性の高い本である。小説を書くための“資料”として十数冊あつめた。県立図書館へいけば、全巻閲覧可能だが、稀少性のより高いものは、貸し出し禁止になっているはず。
あと何冊捨てたらすっきりするのだろう? いらない本は、いらない人にとっては単なるゴミ。
作業がすすめばすすむほど、本が出てくる。もっと早く手をつけるべきであった。
やれやれ。ちかごろ、こればかり(笑)。
とにかく、家の中、本だらけ。
本、書物、書籍、印刷物。
・・・そう、まさにどれもこれも“印刷物”なのである。
情報源や知識を、印刷物に頼ってきたのだ。ブリタニカの大百科事典もあれば、岩波の漱石全集、同じく岩波の「講座 日本の歴史」ドストエフスキー全集(河出書房版)などは全巻そろいでもっている。
そういったものは、近々すべて始末する。
本、あるいは書物が、貴重品だった時代が終ろうとしている。
情報源は図書館や、ネットの向こう側にあればいいので、手許に置いて管理する必要性がうすれている。
とはいえ、まあ、半分か、それよりいくらか多めに所蔵し、必要を感じたとき、パッとすぐに手に取れるようにしておきたい。
平積みされたり、書棚の奥にうもれて久しく顔を見なかった本たち。
左)「最澄と空海」 立川武蔵(講談社選書メチエ)
右)「高野山」 山本智教(小学館)
左)「植草甚一読本」 植草甚一ほか(晶文社)
右)「ダーウィンを超えて」 今西錦司+吉本隆明(朝日出版社)
左)「柿本人麻呂」 山本健吉(河出文庫)
右)「道元の考えたこと」 田上太秀(講談社学術文庫)
左)「ぼくのピクニック」 田村隆一(朝日新聞社)
右)「そのほかに」 谷川俊太郎(集英社)
左)「骨餓身峠死人葛」 野坂昭如(中央公論社)
右)「近代の超克」 竹内好ほか(冨山房百科文庫)
右上)「読書中毒」 小林信彦(文春文庫)
右下)「法然の衝撃」 阿満利麿(ちくま学芸文庫)
左上)「絶望と歓喜」 増谷文雄+梅原猛(角川ソフィア文庫)
左下)「円仁 唐代中国への旅」(入唐求法巡礼行記の研究) E・O・ライシャワー(講談社学術文庫)
これらはいずれも残すことが決定している。
なんでも読むというのではないが、この一覧を眺めただけで、乱読ぶりが暴露される(笑)。
まだまだこれから、数回は仕分け作業をし、ヒモでくくって、BOOK OFFへ搬入する(~o~)
本日あらたに叩き売ることを決めた本は150~160冊あまり。まだ先が長いのだ。
すでに腰が痛くなってきた。
さて、トップの二冊は地元から刊行されている「みやま文庫」の復刻本。
これはすでに刊行が終了している稀少性の高い本である。小説を書くための“資料”として十数冊あつめた。県立図書館へいけば、全巻閲覧可能だが、稀少性のより高いものは、貸し出し禁止になっているはず。
あと何冊捨てたらすっきりするのだろう? いらない本は、いらない人にとっては単なるゴミ。
作業がすすめばすすむほど、本が出てくる。もっと早く手をつけるべきであった。
やれやれ。ちかごろ、こればかり(笑)。