印刷物ではない、生きて動いている現実である。
そこにカメラ二台で切り込んでいく。
・・・というと、なにか被写体とわたしが対立していると誤解されるかなあ?
そうではない。
わたしの皮膚の一枚外側にある親しい世界である。
そこがなんともいえずおもしろい。
被写体への愛というとなにやらうさんくさい感じがしないではないが、つまりそれを称揚する・・・褒めたたえるために写真を撮る。これが基本。
数ヶ月ぶりのため、はじめ小一時間は調子が出なかった。ローライフレックス3.5Fだって、半年あまりお蔵入りだったし(^^;)
「あれれ、どうやってフィルムを装填するんだっけ? ん。そうか、そうか」
こういう外界に身をさらすまでには、どこにあるのかよくわからない撮影のためのスイッチをONにし、「目玉の人」にならなければならない。
春は人を開放的にする。
人びとの表情やしぐさや装いの中に、春をことほぐよろこびが滲んでいる。
「今年もこうして無事春を迎えることができた!」
大げさにいえば、そういったよろこび。
某神社では骨董市が開かれ、とてもにぎわっていた。
人混みのあいだをすいすいと魚のようにおよいで、すてきな被写体をさがす。
トップの一枚と、つぎの一枚が、この日最高の収穫といえる。
左の女の子が手にしているのは、ニコンFM3A50mmF1.4付き。名刺をお渡しし、記念写真を撮らせていただいた。日本大学芸術学部のお二人。4月から2年生だそうである。
メルアドをお聞きしたので、フィルムの現像があがってきたら、その画像もスキャンして、メールの添付でお送りする約束をした。
小江戸川越は、予想したように、ふところの深い、魅力的な町である。
モデルになって下さった人たちに厚く御礼申し上げます。