二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

うるわしき「夏の夕(ゆうべ)」 ~永井荷風のかたわらで(9)

2019年07月14日 | Blog & Photo
   (「夏の町」が収録された荷風全集第7巻と文庫「荷風随筆集」上巻。これだけ大きさが違う)


「夏の町」。
これまた“名随筆”の名に恥じない、すばらしい一編。
はじめ大部な荷風全集で読み、夜になって岩波文庫で読み返した。
「牡丹の客」は小説的な味わい、こちらは回想記の味わいで、どちらもじつに彫りの深い、陰翳にとんだ小品となっている。
なぜ、もっとはやく読まなかったのだろうと、少々悔やまれる(=_=)

荷風は俳句をかなりたくさん作っている。
近代文学者の中にあって、俳句に親しみ、多数の作品を残したのは、わたしの知るかぎり、夏目漱石とこの荷風である。

物干に富士や拝まむ北斎忌
住みあきし我家ながらも青簾
薮越しに動く白帆や雲の峯
葉桜や人に知られぬ昼あそび
紫陽花や身を持ちくづす庵の主

切れ字「や」を多用しているあたり、やや古風な趣があるが、達者なものである。こうして江戸情緒にひたり、歳時記的な、四季折々の庶民文化、生活の変化を満喫している。
ほとん読んでもいないのに、あえて比較するなら、
谷崎潤一郎 和歌的
永井 荷風 俳句的
・・・と断定していいのではないか?

文人であり、大教養人であったから、知識としては知っていたろうが、彼が谷崎のように王朝の文学に敬愛を捧げたとは考えにくい。
薩長が牛耳った明治政府や、彼らが恣にした権力、富国強兵のスローガンを憎んでもいた荷風。
俳諧、俳句は彼にとっては心やすらぐとき、ふともらす吐息のようなものであったろう。

「夏の町」も、きわめて俳句的、庶民的な感覚が生み出した随筆の紛れもない傑作である。


  (そばをすする荷風)

《枇杷の実は熟して百合の花はすでに散り、昼も蚊の鳴く植込の蔭には七度(ななたび)も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえはや萎れてしまった。
梅雨が過ぎて盆芝居の興行も千秋楽に近づくと誰もかも避暑に行く。郷里へ帰る。そして炎暑の明るい寂寞が都会を占領する。
しかし自分は子供のときから、毎年の七、八月をば大概どこへも旅行せずに東京で費やしてしまうのが例であった。
第一の理由は東京に生まれた自分の身にはどこへも行くべき郷里がないからである。第二には、両親は逗子とか箱根とかへ家中(うちじゅう)のものをつれて行くけれど、自分はそのころから文学とか音楽とかとにかく中学生の身としては監督者の眼を忍ばねばならぬ不正の娯楽に耽(ふけ)りたい必要から、留守番という体のいい名義のもとに自ら辞退して、夏三月をば両親の眼から遠ざかることを無上の幸福としていたからである。》(「夏の町」冒頭、引用は岩波文庫「荷風随筆集」上巻。ただし、引用者が改行、平仮名に一部変換している。以下も同じ)

どうだろう、芳醇な日本酒がもっているような、なつかしい味わいがあるではないか。
荷風は昔を振り返り、ノスタルジーにひたっている。
しかし、それだけではない。


  (荷風愛用の下駄と革靴)


  (残された帽子)


《どこへ行こうかと避暑の行く先を思案しているうち、土用半ばには早くも秋風が立ち初める。
蚊遣りの烟(けむり)になおさら薄暗く思われる有明の灯影(ほかげ)に、打水の乾かぬ小庭を眺め、隣の二階の三味線を簾越しに聴く心持・・・東京という町の生活を最も美しくさせるものは夏であろう。
一帯に熱帯風な日本の生活が、最も活々(いきいき)として心持よく、決して他人種の生活に見られぬ特徴を示すのは夏の夕(ゆうべ)だと自分は信じている。
虫籠、絵団扇(えうちわ)、蚊帳、青簾、風鈴、葦簀(よしず)、燈籠、盆景、のような洒々(しゃしゃ)たる器物や装飾品がどこの国に見られよう。
平素はあまり単白(たんぱく)で色彩の乏しきに苦しむ白木造りの家屋や居室全体も、かえってそのために一種いうべからざる明るい軽い快感を起こさせる。
この周囲と一致して日本の女の最も刺戟的(しげきてき)に見える瞬間もやはり夏の夕(ゆうべ)、伊達巻の細帯にあらい浴衣の立膝して湯上りの薄化粧する夏の夕を除いて他にあるまい。》(本書126ページ)

荷風は20代の半ばから、アメリカ、フランスに約5年間滞在した。そういう人が心底から日本の夏の夕べを賛嘆している。
この「夏の町」は明治43年8月に発表された。老成した人物の文章に見えるが、このとき、荷風は31歳の若さである。
彼はものの名や地名を、じつに丹念に書き込んでいる。それによって、われわれの想像力がかき立てられる。つぎからつぎ、いろいろな景色が立ち上がって、読者を過ぎ去りし“夏の夕べ”へと誘う。

大都会の狭苦しいマンションやアパートで幼少年期を過ごしたなら、こういう体験とは無縁かもしれない。現在という薄っぺらなスケートボードの上でだけ踊っている手合いも「知らねえなあ、そんなこと」というだろうか?
こういう極めて日本的な情感は、平成になってどんどん失われてしまい、いまや風前のともしびといっていいのかもしれない。

わたし自身が、荷風を読むことによって思い出しているのだ。あのころの生活、あのころいた人たち。消え失せてしまったものは、もう二度と戻ってはこない。
荷風は随筆の名手であった。これほどの書き手は、明治・大正の作家の中でもまれである。単純な意味での名文ではない。文章の喚起力がすごいのだ。
とっつきにくいが、一度知ってしまうとなかなか離れることができない。荷風によって掘り起こされた豊かな記憶の森を、わたしはもう長いことゆらりゆらりと散策している。

夏の夕べ。
カエルの声に耳を奪われながら、蚊取り線香のにおう自宅の庭から遠花火を眺めていた“あの夏”の夕べ。
祖父や祖母がまだ元気だったころの、あの夏のき・お・く。
「心の豊かさとはなにか」
荷風がそれをまざまざと教えてくれるような気がする。


  (わが家の畑で咲くトマトの花)




※写真の一部は新潮社「永井荷風 ひとり暮しの贅沢」(とんぼの本)からお借りしました。


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