二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

鉄道第13大隊戦友会

2024年11月17日 | Blog & Photo

これまで、こんな記念写真を見たことがなかった。
この一枚が出てきたとき「ほほう、そ、そうか」であった。
父は数千枚の写真を残していった。
このあいだ、それらを眺めているうち、“うつ”に襲われて、そこから先をじっくりと見ることなんてできなくなってしまった。
「日本陸軍が保有した鉄道連隊」と、ウィキペディアにはっきり書いてある。


■北支派遣甲1268部隊
■独立鉄道第13大隊

父は後ろ列、向かって左から2番目である。
写真を見ると、
「独立鉄道第13大隊
E字シンボルマーク」
なるものがある。

キーワードを入れて、記事や画像を検索していると、いろいろなものがつぎつぎと現れる。
この戦友会に出席するため、父は数年に1回、必ず出かけていた。
この記念写真には、日付が書いてない。だから推測するしかないが、本人の顔からみて、おそらく70代の終わりか、80代のはじめ・・・だと思われる。

岐阜県、静岡県あたりに出かけ、旅館に宿泊し、宴会をしたのだ。
あちらからくる、こちらからもくる。そういった地域が“中央”といえる場所だった。
総勢14名が、この記念写真に写っている。日本に引き揚げてきたとはいえ、その後もつぎつぎ亡くなって、残った14名であろう。
生き残った父にとって、“戦友会”なるものが、どれほど愉しいものであったのか。

戦争をしにいったというより、鉄道の建設、保守点検のために派遣されたのだ。
それでも戦地であったことに変わりはない。
東シナ海の荒波をかいくぐって、本土仙崎港へたどり着いた。そこから、“戦後”のわが家がはじまった。
「もういい年なんだから、あまり酒を飲むんじゃないよ」と、送り出す母が苦情をもらしていた。
その場にいて、わたしもそんなやりとりを、何度も聞かされている。

■独立鉄道第13大隊

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E9%80%A3%E9%9A%8A

《第十三連隊(1944年(昭和19年)2月10日・千葉→華中)
通称号: 栄二五三〇、最終連隊長: 竹本武雄中佐》
連隊と大隊はどう違うのか、そんなことすらよくわからない。
とにかく大勢の男たちが狩りだされ、中国の戦地へと向かった。そこでおそらく1/3がいのちを落としたわけである。


    (参考までに、画像検索からお借りしています。ありがとうございました)

しばらくさぐってみたが、ネット上の情報では、残念なことにこのレベルまでの情報しかない。
こうして書けば書くほど、感傷的になってゆく。感傷的になってしまっては、ついてくる人はいなくなる。
結局は、ここに写っている14人、この人たちの経験であり、艱難辛苦であったのだ(。-ω-)

戦友会でたがいの“孤独”を称えあい、“幸運”を称えあった。
「まあ、よくも生きて帰ってきたものだ」
盃を交わしながら100回でも、200回でもいう。
「まあ、よくも生きて帰ってきたものだ」と。
あくまでわたしの想像だが、そんな声が聞こえてくる。

独立鉄道第13大隊の旗がある写真はこの一枚のみ。
貴重な一枚貴重な一枚である。さがせばほかにも眠っているのかもしれないが・・・。

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