昨日帰りがけにBOOK OFFに立ち寄ったら、ブルックナー交響曲第8番が500円の棚に置いてあったので、買ってきた。
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルで、たしか、1949年の演奏(いま手許にCDがない)。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5362/bru8.html
EMIのCDが普及しているらしいが、わたしが手に入れたのは、EMIの「正規盤」ではない。うーん、こんなに音源による違いがあるのか(^^;)
このなかのいったいどれだろう。
それはともかく・・・昨夜さっそく聴いて、その迫真の演奏に胸をえぐられた。
ライブ録音で、コンサート会場のノイズをいっぱいひろっているのが、はじめは気になった。とくにごほん、ごほんという咳こみが耳について、集中力がとぎれそうになるほど。
しかし、夢みるようなホルンの音色といい、弦楽器群の名人芸的な分厚さといい、第2楽章、第3楽章とすすむにつれ、フルトヴェングラーらしい独自のアゴーギクがいくつもの山場を生み出しては消えてゆき、ffとppの振幅はその落差をくっきり際だたせ、この世のものとは思われぬ壮大な音の回廊が出現してくるのはすごい! 打楽器の連打は地鳴りであり、大地の鼓動のようにその回廊をゆさぶる。
ベートーヴェンの第5の影すら射しているようなこのドラマチックすぎる演奏は、ちょっとやりすぎのようにも感じられたが、いつのまにか、圧倒的な臨場感につつまれてしまった。
ブルックナーの第8番は、これまで3枚もっていて、これは4枚目のコレクション。
まだ、たった1回聴いただけだけれど、わたしにとっては、シューリヒト&ウィーン・フィル盤と双璧をなす、対照的な名盤との印象を深めた。
シューリヒトの演奏は、素っ気ないほど淡々とした語り口のなかで、近寄りがたい高貴な感情を際だたせ、スケルツォでは平原を颯爽と疾駆したり、峻険な山嶺をゆうゆうと踏破したりするが、アダージョでは一転し、ほかでは経験できないような、哀切きわまりないヒューマンな深い翳りと癒しをたたえている。そのうえ、つぎに、ブルックナー的豊麗の極みともいうべき、美しいパッセージが連続する奇蹟のフィナーレが待っている!
ブル8はこれで決まり――と思えたので、ほかのCDには手が出ず、おさえとしてオイゲン・ヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデン盤だけをコレクションしておいた。
ところが、よく知られた名作シンフォニーをいろいろ聴いていくうち、このブル8こそシンフォニーの最高峰だと確信するようになってきた。
いまなら、ベートーヴェンの「第九」と比肩しうるシンフォニーを思いうかべた場合、わたしはまず、ブルックナーのこの第8番に指を屈するだろう。夢幻的な音の色彩感、明るさに満ちた愉悦感、枯れることのない泉のようにこんこんとあふれてくるメロディーの親しみやすさ、雄々しさと感傷の絶妙なバランス・・・では第7番のほうが上だが、どちらか1枚となったら、やっぱり泣く泣く(笑)8番をとる。
シューリヒト盤は、これである。
クラシック・ファンの至福のひととき。終わったら、また最初から聴きたくなってしまう。
また、ここには、ブル8の演奏時間について、詳細な分析が載っている。
http://blog.livedoor.jp/isekan/archives/50976010.html
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルで、たしか、1949年の演奏(いま手許にCDがない)。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/5362/bru8.html
EMIのCDが普及しているらしいが、わたしが手に入れたのは、EMIの「正規盤」ではない。うーん、こんなに音源による違いがあるのか(^^;)
このなかのいったいどれだろう。
それはともかく・・・昨夜さっそく聴いて、その迫真の演奏に胸をえぐられた。
ライブ録音で、コンサート会場のノイズをいっぱいひろっているのが、はじめは気になった。とくにごほん、ごほんという咳こみが耳について、集中力がとぎれそうになるほど。
しかし、夢みるようなホルンの音色といい、弦楽器群の名人芸的な分厚さといい、第2楽章、第3楽章とすすむにつれ、フルトヴェングラーらしい独自のアゴーギクがいくつもの山場を生み出しては消えてゆき、ffとppの振幅はその落差をくっきり際だたせ、この世のものとは思われぬ壮大な音の回廊が出現してくるのはすごい! 打楽器の連打は地鳴りであり、大地の鼓動のようにその回廊をゆさぶる。
ベートーヴェンの第5の影すら射しているようなこのドラマチックすぎる演奏は、ちょっとやりすぎのようにも感じられたが、いつのまにか、圧倒的な臨場感につつまれてしまった。
ブルックナーの第8番は、これまで3枚もっていて、これは4枚目のコレクション。
まだ、たった1回聴いただけだけれど、わたしにとっては、シューリヒト&ウィーン・フィル盤と双璧をなす、対照的な名盤との印象を深めた。
シューリヒトの演奏は、素っ気ないほど淡々とした語り口のなかで、近寄りがたい高貴な感情を際だたせ、スケルツォでは平原を颯爽と疾駆したり、峻険な山嶺をゆうゆうと踏破したりするが、アダージョでは一転し、ほかでは経験できないような、哀切きわまりないヒューマンな深い翳りと癒しをたたえている。そのうえ、つぎに、ブルックナー的豊麗の極みともいうべき、美しいパッセージが連続する奇蹟のフィナーレが待っている!
ブル8はこれで決まり――と思えたので、ほかのCDには手が出ず、おさえとしてオイゲン・ヨッフム&シュターツカペレ・ドレスデン盤だけをコレクションしておいた。
ところが、よく知られた名作シンフォニーをいろいろ聴いていくうち、このブル8こそシンフォニーの最高峰だと確信するようになってきた。
いまなら、ベートーヴェンの「第九」と比肩しうるシンフォニーを思いうかべた場合、わたしはまず、ブルックナーのこの第8番に指を屈するだろう。夢幻的な音の色彩感、明るさに満ちた愉悦感、枯れることのない泉のようにこんこんとあふれてくるメロディーの親しみやすさ、雄々しさと感傷の絶妙なバランス・・・では第7番のほうが上だが、どちらか1枚となったら、やっぱり泣く泣く(笑)8番をとる。
シューリヒト盤は、これである。
クラシック・ファンの至福のひととき。終わったら、また最初から聴きたくなってしまう。
また、ここには、ブル8の演奏時間について、詳細な分析が載っている。
http://blog.livedoor.jp/isekan/archives/50976010.html