一昨日である。
通勤途上にあるBOOK OFFで、暇つぶしのために手にした須賀さんの本があった。
「トリエステの坂道」(新潮文庫)。
わたしはいつものように、本を手にして、ぱらぱらとページを繰って、
立ち読みをはじめた。そして、しばらく、その場に釘付けになってしまった。
タイトルは「雨のなかを走る男たち」(同書所収)。
文庫本でわずか、14ページの、小説風エッセイであった。
わたしは立ち竦んだまま、ずっと読みたいと思っていた文章を探しあてた感動の渦中にいた。
本好きなら、こういう経験がきっと、だれにもあるだろう。
「そいつは、105円の棚に、ほかの本にはさまれて、ひっそりわたしの出現を待っていた」
・・・カッコつけて、そんなふうに表現してみたい誘惑にかられる出会いであった。
もう一冊とあわせて、「トリエステの坂道」を買って帰り、眠るまでに、
ベッドのなかで、ほぼ半分を読み了えた。
『丘から眺めた屋根の連なりにはまるで童話の世界のような美しさがあったが、坂を降りながら眺める家々は予想外に貧しげで古びていた。裏通りをえらんで歩いていたせいもあっただろう。時代がかった喜劇役者みたいに靴の大きさばかりが目立つ長身の老人が戸口の階段に腰かけ、合わせた両手をひざの前につきだすようにした恰好で、ぼんやりと通行人を眺めている。車はほとんど通らない。軽く目を閉じさえすれば、それはそのまま、むかし母の袖につかまって降りた神戸の坂道だった。母の下駄の音と、爪先に力を入れて歩いていた靴の感触。西洋館のかげから、はずむように視界にとびこんできた青い海のきれはし。』(「トリエステの坂道」より)
わたしは単純な子供みたいに、敦子さんのことが知りたくてたまらなくなった。
格調高く、芳醇で、たいへん抑制のきいたすばらしい日本語。
女性では幸田文さんもすばらしい日本語の遣い手だが、それが「木綿の手ざわり」とすれば、須賀敦子さんの文章は絹のようななめらかな手ざわりをもっている。
これは、そのまま、小説に移行できる文体である。
読みすすめていけばわかるが、エッセイはしばしば短編小説の味わいをかもしだす。
彼女のエッセイはすべて「失われたものへの旅」である。
失われたものへの旅、・・・しかし、それを、どんな文章で、どんなふうにつづっていくのか?
「街撮り」をしているわたしのテーマは、大きなくくりでいえば、
まさにこの「失われたものへの旅」以外ではありえないなあ。
20年まえに、30年まえに、もどることなどできはしないが・・・。
須賀敦子さんは50代後半になって、はじめてものを書きだした人である。
そして10年たらずのあいだに、いい仕事をいくつか残して、なつかしい人たちが待つ世界へと旅だっていった。
須賀敦子全集第1巻の解説で、池澤夏樹がこう書いている。
『土地を書く時、須賀敦子の文章はおのずから祝福に満ちる。まるで人の上にはしばしば不幸が訪れるが土地は終始一貫して幸福であると言わんばかりに。』
敦子さんにいまのデジカメを手渡したら、きっとすばらしい写真を、
数多く残しただろう。
カメラをもたない敦子さんは、それをことばで再現する道をえらんだのかな。
彼女は小説を書こうとして、そのメモをとりながら、ガンの魔手に倒れてしまう。
41歳で妻を残して身罷った夫、ペッピーノ。過ぎ去った時間と、人々の思い出。そして、彼らがいた場所の記憶。
痛惜の念を胸底にひめて、彼女は一語、一語を刻みつけていく。
わたしは、指先で彼女のまぶたにふれるようにしながら、
一語、一語をたどっていく・・・。涙が涸わき果てたあとの、わずかなしめりけ。
通勤途上にあるBOOK OFFで、暇つぶしのために手にした須賀さんの本があった。
「トリエステの坂道」(新潮文庫)。
わたしはいつものように、本を手にして、ぱらぱらとページを繰って、
立ち読みをはじめた。そして、しばらく、その場に釘付けになってしまった。
タイトルは「雨のなかを走る男たち」(同書所収)。
文庫本でわずか、14ページの、小説風エッセイであった。
わたしは立ち竦んだまま、ずっと読みたいと思っていた文章を探しあてた感動の渦中にいた。
本好きなら、こういう経験がきっと、だれにもあるだろう。
「そいつは、105円の棚に、ほかの本にはさまれて、ひっそりわたしの出現を待っていた」
・・・カッコつけて、そんなふうに表現してみたい誘惑にかられる出会いであった。
もう一冊とあわせて、「トリエステの坂道」を買って帰り、眠るまでに、
ベッドのなかで、ほぼ半分を読み了えた。
『丘から眺めた屋根の連なりにはまるで童話の世界のような美しさがあったが、坂を降りながら眺める家々は予想外に貧しげで古びていた。裏通りをえらんで歩いていたせいもあっただろう。時代がかった喜劇役者みたいに靴の大きさばかりが目立つ長身の老人が戸口の階段に腰かけ、合わせた両手をひざの前につきだすようにした恰好で、ぼんやりと通行人を眺めている。車はほとんど通らない。軽く目を閉じさえすれば、それはそのまま、むかし母の袖につかまって降りた神戸の坂道だった。母の下駄の音と、爪先に力を入れて歩いていた靴の感触。西洋館のかげから、はずむように視界にとびこんできた青い海のきれはし。』(「トリエステの坂道」より)
わたしは単純な子供みたいに、敦子さんのことが知りたくてたまらなくなった。
格調高く、芳醇で、たいへん抑制のきいたすばらしい日本語。
女性では幸田文さんもすばらしい日本語の遣い手だが、それが「木綿の手ざわり」とすれば、須賀敦子さんの文章は絹のようななめらかな手ざわりをもっている。
これは、そのまま、小説に移行できる文体である。
読みすすめていけばわかるが、エッセイはしばしば短編小説の味わいをかもしだす。
彼女のエッセイはすべて「失われたものへの旅」である。
失われたものへの旅、・・・しかし、それを、どんな文章で、どんなふうにつづっていくのか?
「街撮り」をしているわたしのテーマは、大きなくくりでいえば、
まさにこの「失われたものへの旅」以外ではありえないなあ。
20年まえに、30年まえに、もどることなどできはしないが・・・。
須賀敦子さんは50代後半になって、はじめてものを書きだした人である。
そして10年たらずのあいだに、いい仕事をいくつか残して、なつかしい人たちが待つ世界へと旅だっていった。
須賀敦子全集第1巻の解説で、池澤夏樹がこう書いている。
『土地を書く時、須賀敦子の文章はおのずから祝福に満ちる。まるで人の上にはしばしば不幸が訪れるが土地は終始一貫して幸福であると言わんばかりに。』
敦子さんにいまのデジカメを手渡したら、きっとすばらしい写真を、
数多く残しただろう。
カメラをもたない敦子さんは、それをことばで再現する道をえらんだのかな。
彼女は小説を書こうとして、そのメモをとりながら、ガンの魔手に倒れてしまう。
41歳で妻を残して身罷った夫、ペッピーノ。過ぎ去った時間と、人々の思い出。そして、彼らがいた場所の記憶。
痛惜の念を胸底にひめて、彼女は一語、一語を刻みつけていく。
わたしは、指先で彼女のまぶたにふれるようにしながら、
一語、一語をたどっていく・・・。涙が涸わき果てたあとの、わずかなしめりけ。