新潮文庫の「カフカ断片集」を戸田書店に買いにいって、あっちにふらふら、こっちにふらふらしばしヒマつぶししていた。数種の本を物色するが、そこから1冊か2冊買って帰る。
そのとき。
「日本近代短篇小説選 明治2」をぱらぱら立ち読みしていたのだ。
わたしの眼は「世間師」ということばに引き寄せられた。
小栗風葉・・・か。
う~ん。
小栗風葉は読んだことないけど「世間師」ということばは聞いたことあるぞ(。-ω-)
「だれだっけなあ。だれか書いていたぞ」
それから数分後に思い出した。
宮本常一の名著「忘れられた日本人」の中にあった!
小栗風葉といえば「青春」が必ず上げられるけど、「世間師」は知らなかった。1908年(明治41)に発表されているのか・・・。
「日本近代短篇小説選 明治2」は16篇の短篇小説を収録し、はじめのページに作家紹介が付せられている。
文語文ではないことを確認し、少し迷ったが結局手に入れて、自宅に帰ってから、一気呵成に読んでしまった。むろんおもしろかったからだ。
宮本さんの「忘れられた日本人」には、「対馬にて」「土佐源氏」「梶田富五郎翁」などの卓越したエッセイをはじめ、「世間師 一」「世間師 二」がある。たぶん10年以上まえに読んだため、うろおぼえもいいところ。
風葉を検索してみたら、青空文庫に「世間師」があるではないか(*´ω`)
公開作が3篇「片男波」「世間師」「深川女房」。
というわけでありがたく引用させていただく。
《「君はどこから来たんだね。」と聞く。
私はこれこれだと答えて、ついでに今の窮境を匂わせると、その男は頷いて、
「君はそれじゃ、今日出たってどこへ行く当もねんだろう。」
「え、まったくはそうなんです。このへんに知った者なんか一人もないんですから、どこでどうする当もちっともないんです。」
「そいつあ困ったね。」と太い眉を寄せて、私の顔を見戍みまもっていたが、「じゃ、当分まあ私(わっし)の物でも食ってたらどうだね。そのうちに何とかまた、国へ帰るような工夫でもするさ。」と言ってくれた。
地獄で仏だ。私は思わず涙を浮べて感謝した。こんな縁故で、私はそれから一月あまりもこの男の世話になって、この木賃宿で暮らした。私が礼を言うたび、
「なあに君、旅へ出りゃお互いさ。ここの宿の奴らあ食詰者くいつめものばかりでお話にゃならねえが、私ども世間師仲間じゃ当前あたりまえのことだ。お互いに困りゃ助け合う、旅から旅へ渡り歩く者のそれが人情さ。」といつも口癖にそう言った。》青空文庫より引用
《「そいつあ困ったね。」と太い眉を寄せて、私の顔を見戍(みまもって)いたが、「じゃ、当分まあ私(わっし)の物でも食ってたらどうだね。そのうちに何とかまた、国へ帰るような工夫でもするさ。」と言ってくれた。》
ここが作品の肝になっている。
世間師とは、いってみれば“どん底”のひと、さすらいの人びとである。彼らは農民のようには定着しないし、家族を形成することもない。
宮本常一さんや網野善彦さんが、民俗学あるいは歴史学の視点から、こういう漂泊の人びとを研究なさっているのはご存じの方が多いだろう。しかし、尾崎紅葉の門下にいた小栗風葉が、こういう文学作品を書き残していたのは知らなかった。
傑作だの秀作だのとはいえないが、社会風俗の一断片として、現在も読むに十分堪える。印象としては“自然主義文学”のジャンルに入るだろう。のちのプロレタリア文学に通ずる味わいがある。
世間師の一般的な意味は、
1. 世間に通じていて巧みに世を渡ること。悪賢く世を渡ること。また、その人。
2. 旅から旅を渡り歩いて世渡りをする人。
・・・である。
土地に縛られた農民一般からみると、彼らは胡散臭い連中に見えたのだ。
宮本常一の「忘れられた日本人」には、そういった人たちのことが書かれているし、「木賃宿」に屯する人間たちの生態は、林芙美子「風琴と魚の町」「放浪記」と相通ずるものがある。
印刷された海の上でこういった本とたまたまめぐり遭って、「ほほう、なるほど」と膝を打って、小さな筏に乗ったわたしが、余儀なく予測できなかった方向にぐいぐい引きずり込まれる。それは読書の秘めやかな愉しみのうちでもあるのだ。
そのとき。
「日本近代短篇小説選 明治2」をぱらぱら立ち読みしていたのだ。
わたしの眼は「世間師」ということばに引き寄せられた。
小栗風葉・・・か。
う~ん。
小栗風葉は読んだことないけど「世間師」ということばは聞いたことあるぞ(。-ω-)
「だれだっけなあ。だれか書いていたぞ」
それから数分後に思い出した。
宮本常一の名著「忘れられた日本人」の中にあった!
小栗風葉といえば「青春」が必ず上げられるけど、「世間師」は知らなかった。1908年(明治41)に発表されているのか・・・。
「日本近代短篇小説選 明治2」は16篇の短篇小説を収録し、はじめのページに作家紹介が付せられている。
文語文ではないことを確認し、少し迷ったが結局手に入れて、自宅に帰ってから、一気呵成に読んでしまった。むろんおもしろかったからだ。
宮本さんの「忘れられた日本人」には、「対馬にて」「土佐源氏」「梶田富五郎翁」などの卓越したエッセイをはじめ、「世間師 一」「世間師 二」がある。たぶん10年以上まえに読んだため、うろおぼえもいいところ。
風葉を検索してみたら、青空文庫に「世間師」があるではないか(*´ω`)
公開作が3篇「片男波」「世間師」「深川女房」。
というわけでありがたく引用させていただく。
《「君はどこから来たんだね。」と聞く。
私はこれこれだと答えて、ついでに今の窮境を匂わせると、その男は頷いて、
「君はそれじゃ、今日出たってどこへ行く当もねんだろう。」
「え、まったくはそうなんです。このへんに知った者なんか一人もないんですから、どこでどうする当もちっともないんです。」
「そいつあ困ったね。」と太い眉を寄せて、私の顔を見戍みまもっていたが、「じゃ、当分まあ私(わっし)の物でも食ってたらどうだね。そのうちに何とかまた、国へ帰るような工夫でもするさ。」と言ってくれた。
地獄で仏だ。私は思わず涙を浮べて感謝した。こんな縁故で、私はそれから一月あまりもこの男の世話になって、この木賃宿で暮らした。私が礼を言うたび、
「なあに君、旅へ出りゃお互いさ。ここの宿の奴らあ食詰者くいつめものばかりでお話にゃならねえが、私ども世間師仲間じゃ当前あたりまえのことだ。お互いに困りゃ助け合う、旅から旅へ渡り歩く者のそれが人情さ。」といつも口癖にそう言った。》青空文庫より引用
《「そいつあ困ったね。」と太い眉を寄せて、私の顔を見戍(みまもって)いたが、「じゃ、当分まあ私(わっし)の物でも食ってたらどうだね。そのうちに何とかまた、国へ帰るような工夫でもするさ。」と言ってくれた。》
ここが作品の肝になっている。
世間師とは、いってみれば“どん底”のひと、さすらいの人びとである。彼らは農民のようには定着しないし、家族を形成することもない。
宮本常一さんや網野善彦さんが、民俗学あるいは歴史学の視点から、こういう漂泊の人びとを研究なさっているのはご存じの方が多いだろう。しかし、尾崎紅葉の門下にいた小栗風葉が、こういう文学作品を書き残していたのは知らなかった。
傑作だの秀作だのとはいえないが、社会風俗の一断片として、現在も読むに十分堪える。印象としては“自然主義文学”のジャンルに入るだろう。のちのプロレタリア文学に通ずる味わいがある。
世間師の一般的な意味は、
1. 世間に通じていて巧みに世を渡ること。悪賢く世を渡ること。また、その人。
2. 旅から旅を渡り歩いて世渡りをする人。
・・・である。
土地に縛られた農民一般からみると、彼らは胡散臭い連中に見えたのだ。
宮本常一の「忘れられた日本人」には、そういった人たちのことが書かれているし、「木賃宿」に屯する人間たちの生態は、林芙美子「風琴と魚の町」「放浪記」と相通ずるものがある。
印刷された海の上でこういった本とたまたまめぐり遭って、「ほほう、なるほど」と膝を打って、小さな筏に乗ったわたしが、余儀なく予測できなかった方向にぐいぐい引きずり込まれる。それは読書の秘めやかな愉しみのうちでもあるのだ。