「ヴァイオリニストの名曲案内」につづいて、これを読んだので、ちょっと感想を書いておこう。
世には「名曲名盤」のガイドブックがじつにたくさんある。わたしも6冊ばかり買って、手許に置き、よく参照している。インターネットのウェブサイトにも、初心者向けにつくられた名曲案内のページがあまた存在している。
フルトヴェングラー、トスカニーニの時代は遠く去ったし、指揮者はもちろん、ピアニスト、ヴァイオリニストの世代交代がすすんでいる。過去に一世を風靡した巨匠たちが遺した名盤はあいかわらず人気をたもっているようだが、録音それじたいの経年変化は、CDの愛好家にとっても、やっぱり見過ごしにはできないところ。
21世紀の現代では、とくに音響工学の進展がめざましく、CDで音楽を聴くというそのスタイルそのものが、古くなりつつある。MP3に変換されたデジタル信号を、ネット経由でダウンロードし、i-podなどに収録してポケットに入れて歩く。彼らが街角や待ち合わせ室で、イヤホンを耳に音楽を聴いている光景を、よく目撃する。
しかし、わたしは、そういったライフスタイルには、いまのところ、なじめないものを感じている世代のひとり。音楽は耳だけで聴くものではないぞ・・・と思っている。
ヘッドホンを頭の上にのっけたり、イヤホンを耳の穴につっこんだりは、生理的にうけつけないのである。まあ、単なる「なれ」の問題もあるだろうけれど。
というわけで、CDがメイン・メニューとなっていく。
これまではだれもが知っているような、ポピュラーな名曲だけで満足していた。しかし、もう少し、その範囲を拡げたい。いわゆる「名曲100選」の外にある100曲が気になってきた、とでもいえばいいのか。
本書の魅力は、わたしがみるところ、ほぼつぎの3点。
1.日本には、千住真理子、五嶋みどり、諏訪内晶子、庄司紗矢香など、輝かしい経歴をほこるヴァイオリニストがじつに多い。そういう、世界的に名をとどろかしている名人ではないところが、本書の味わいとなっている。
2.プレーヤーであり、批評家である。そのバランス感覚はすばらしく、まことにフレーバーな入門書となった。
3.高嶋さんは、結婚し、子どももいる。そういった常識人としての生活感覚が、随所にきらめいている。女性らしい、まことにパーソナルな視点が、「音楽の友」「レコード芸術」などで専門に音楽批評を書いている評論家の先生とは一線を画している。
ぜんたいに、「読み物」としてのおもしろさが盛り込まれているのもいい。ふつうの「名曲名盤」ガイドでは、第1ページから、小説やエッセイを読むように、律儀に、順を追って読むことは、まずない。ところが、本書は、そういう読み方ができるのである。
取り上げてあるのは、前著と同じく50曲。本書のおかげで、いままで知らなかったマーラー「交響曲第4番」、ラフマニノフ「交響曲第2番」、エルガー「チェロ協奏曲」、ブラームス「弦楽六重奏曲第1番」、フランク「ヴァイオリン・ソナタ」、ピアソラ「ブエノスアイレスの四季」などを聴きたくなった。
読者をして、知らない音楽を、聴きたくさせる。
書評の場合も同じだけれど、これが、こういった名曲ガイドの第一の効用といっていいだろう。
たとえば、CDは何枚か持ってはいるが、「交響曲第1番『巨人』」をのぞいて、どちらかといえば苦手としていたマーラー。なんだか、自己意識の肥大化ばかりが気になってしまい、素直に耳を傾けることができなかったこの作曲家に対し、高嶋さんは本書で「4番はいかが?」というのである。
このあいだ、BOOK OFFにいったら、たまたまこの「4番」が目につき、買ってきてその夜のうちに聴いたら、これが案外とよかった。マーラーの人間的な弱さやロマンチズムが、じつに巧みにブレンドされていて、独特な感情の色彩感にあふれている。
このCDだけでなく、ほかにも高嶋さんおすすめの名曲を買ったり、図書館から借りたりして楽しむことができた。難解なクラシックの名曲と、わたしのようなアマチュアをむすぶ、フレキシブルな、開放感あふれた一冊である。
冒頭に掲げられたご本人の写真は、まあ、なくてもいいけど(^^;)
評価:★★★★
世には「名曲名盤」のガイドブックがじつにたくさんある。わたしも6冊ばかり買って、手許に置き、よく参照している。インターネットのウェブサイトにも、初心者向けにつくられた名曲案内のページがあまた存在している。
フルトヴェングラー、トスカニーニの時代は遠く去ったし、指揮者はもちろん、ピアニスト、ヴァイオリニストの世代交代がすすんでいる。過去に一世を風靡した巨匠たちが遺した名盤はあいかわらず人気をたもっているようだが、録音それじたいの経年変化は、CDの愛好家にとっても、やっぱり見過ごしにはできないところ。
21世紀の現代では、とくに音響工学の進展がめざましく、CDで音楽を聴くというそのスタイルそのものが、古くなりつつある。MP3に変換されたデジタル信号を、ネット経由でダウンロードし、i-podなどに収録してポケットに入れて歩く。彼らが街角や待ち合わせ室で、イヤホンを耳に音楽を聴いている光景を、よく目撃する。
しかし、わたしは、そういったライフスタイルには、いまのところ、なじめないものを感じている世代のひとり。音楽は耳だけで聴くものではないぞ・・・と思っている。
ヘッドホンを頭の上にのっけたり、イヤホンを耳の穴につっこんだりは、生理的にうけつけないのである。まあ、単なる「なれ」の問題もあるだろうけれど。
というわけで、CDがメイン・メニューとなっていく。
これまではだれもが知っているような、ポピュラーな名曲だけで満足していた。しかし、もう少し、その範囲を拡げたい。いわゆる「名曲100選」の外にある100曲が気になってきた、とでもいえばいいのか。
本書の魅力は、わたしがみるところ、ほぼつぎの3点。
1.日本には、千住真理子、五嶋みどり、諏訪内晶子、庄司紗矢香など、輝かしい経歴をほこるヴァイオリニストがじつに多い。そういう、世界的に名をとどろかしている名人ではないところが、本書の味わいとなっている。
2.プレーヤーであり、批評家である。そのバランス感覚はすばらしく、まことにフレーバーな入門書となった。
3.高嶋さんは、結婚し、子どももいる。そういった常識人としての生活感覚が、随所にきらめいている。女性らしい、まことにパーソナルな視点が、「音楽の友」「レコード芸術」などで専門に音楽批評を書いている評論家の先生とは一線を画している。
ぜんたいに、「読み物」としてのおもしろさが盛り込まれているのもいい。ふつうの「名曲名盤」ガイドでは、第1ページから、小説やエッセイを読むように、律儀に、順を追って読むことは、まずない。ところが、本書は、そういう読み方ができるのである。
取り上げてあるのは、前著と同じく50曲。本書のおかげで、いままで知らなかったマーラー「交響曲第4番」、ラフマニノフ「交響曲第2番」、エルガー「チェロ協奏曲」、ブラームス「弦楽六重奏曲第1番」、フランク「ヴァイオリン・ソナタ」、ピアソラ「ブエノスアイレスの四季」などを聴きたくなった。
読者をして、知らない音楽を、聴きたくさせる。
書評の場合も同じだけれど、これが、こういった名曲ガイドの第一の効用といっていいだろう。
たとえば、CDは何枚か持ってはいるが、「交響曲第1番『巨人』」をのぞいて、どちらかといえば苦手としていたマーラー。なんだか、自己意識の肥大化ばかりが気になってしまい、素直に耳を傾けることができなかったこの作曲家に対し、高嶋さんは本書で「4番はいかが?」というのである。
このあいだ、BOOK OFFにいったら、たまたまこの「4番」が目につき、買ってきてその夜のうちに聴いたら、これが案外とよかった。マーラーの人間的な弱さやロマンチズムが、じつに巧みにブレンドされていて、独特な感情の色彩感にあふれている。
このCDだけでなく、ほかにも高嶋さんおすすめの名曲を買ったり、図書館から借りたりして楽しむことができた。難解なクラシックの名曲と、わたしのようなアマチュアをむすぶ、フレキシブルな、開放感あふれた一冊である。
冒頭に掲げられたご本人の写真は、まあ、なくてもいいけど(^^;)
評価:★★★★