二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「ベートーヴェンの交響曲」 金聖響+玉木正之(講談社新書)

2010年05月25日 | エッセイ(国内)
ベートーヴェンは作曲家としては、世界でいちばん有名な「楽聖」。バッハ、モーツァルトも有名度なら負けてはいないという人もいるだろうけれど、交響曲第5番「運命」の前には、やや影がうすくなる。世界中に存在する交響楽団、管弦楽団は、俗っぽくいえば「ベートーヴェンでメシを食っている」といえるかも知れない。ベートーヴェンの9曲のシンフォニーは、そういう意味で、文句なしに「特別な音楽」である。
ある本を読んでいたら、ベートーヴェンの音楽が、プロの管弦楽団・交響楽団をつくりだしたのだし、・・・ひいては、プロの指揮者が登場することとなったのだ、と書いてあった。そういったプロ集団によって、忘れられていたJ・S・バッハが「再発見」され、モーツァルトの音楽に、衆目があつまるようになっていったのである。

交響曲第3番、5番、6番、7番、9番は、大きなコンサートホールの定番であり、聴衆をあつめ、感動と満足とをあたえることのできる、これぞクラシックといえる最上のプログラム。9番をのぞくと、これらの初演の指揮は、ベートーヴェンみずからが行っている。
西洋音楽史を眺めていると、フランス革命に象徴される近代市民革命がどれほど大きな歴史的変動であったかが理解できる。
少数の貴族階級ばかりではなく、ブルジョア市民階級が、多数の「聴衆」として、地平線に続々と姿をあらわしてくる。
時代がすぐれた音楽家を生み出し、音楽家が聴衆を生み出しというと、あまりに図式的にすぎるが――。

わたしは50年代生まれで、中学生のとき、最初に買ったLPは、カラヤン&ベルリン・フィルによる第5番「運命」だった。
この5番と6番「田園」、それにモーツァルトの40番ト短調交響曲が、そのころのわたしにあたえた精神的な深い感動は、多少の温度の差異はあれ、「名曲喫茶」を知っている同世代者の大部分が共有できる体験だろう。そういった店には、自慢のすぐれた音響機器が備えてあり、長時間入り浸っているファンの姿がよく見られた。それからしだいにLPやオーディオの値段がさがって、TVや洗濯機なみに各家庭へ入り込むようになっていく。
そのときも、モーツァルトのピアノ曲とならんで、ベートーヴェンのシンフォニーは圧倒的な人気を誇っていたはず。

そういういう「偉大な音楽」であるにもかかわらず、これら9曲の理解ということとなると・・・。アマチュアの場合、まあ、はっきりいって、まことに心許ないものなのではあるまいか。わたしはスコアが読めないまったくのど素人。しかし、このあいだ、ベートーヴェンの交響曲全曲版(1960年代収録のカラヤン&ベルリン・フィル)のCDを手に入れて聴いているうち、本屋で交響曲第3番か9番の楽譜を買ってこようかという無謀な欲望にかられた。楽譜だけでは音楽は聞こえてはこなくとも、CDを聴きながら、「いま、ここだな。ここのパーツで、第一ヴァイオリンが第一主題を奏でているんだ」・・・と確認すること。
それが、新たな体験をもたらしてくれそうに思われてきたのだ。

若手の指揮者、金聖響さんが語り、玉木正之さんが、簡潔にそれをまとめる。そうして、インタビューの前後に、対談をおさめる。かくて出来上がったのが本書。
当然ながら、音楽評論家が書いた本とはまるで印象が違う。
いままさに第一線に立って、ベートーヴェンの音楽と取り組み、それを作りつづけている現場の指揮者らしい臨場感が、本のページから匂いたっているからだ。
作曲家の影がかすんでしまうような、偉大なる指揮者の時代は終わってしまった。また、古楽器によって、18~19世紀半ばの音楽を復元しようとする試みも、ほぼ一段落してしまい、――さて、21世紀のこれから、プロの指揮者と、プロの楽団は、そういった過去の重い遺産と向き合いながら、「われらの時代の音楽」を、どのように構築していったらいいのか?

批評家は、過去の「偉大なる指揮者の時代」をくり返し語ることで、仕事ができる。ところが、指揮者や演奏家はそうはいかない。
そこに、聴衆を前にした、プロ集団が抱えるむずかしい課題が横たわっている。
CDやDVDの登場は、「過去の演奏」をくり返し、リアルに再現して見せる。現代の指揮者・演奏家は過去の亡霊とのたたかいを、否応なしに迫られることになる。
そういった意味での臨場感が、本書からなまなましくつたわってくる。

残念ながらわたしはオーケストラ・アンサンブル金沢も、指揮者金聖響さんの音楽も知らないけれど、あらためて「指揮者の仕事とはなにか」について考えないわけにはいかなかった。
本書はそういった意味で、稀少価値の高い一冊! おもしろいこと請け合いですぞ。



評価:★★★★

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