写真家須田一政さんに「角の煙草屋までの旅」という写真集がある。
小説家吉行淳之介さんにも同様のエッセイ集があったはず・・・とおもって調べたら、
吉行さんのほうは「街角の煙草屋までの旅」(現在は講談社学芸文庫)だった(^^;)
まことに紛らわしい。
須田さんの「角の煙草屋までの旅」は、雑誌連載中に見ているが、はて、どの雑誌だったかと検索したら、いまはなき「カメラ毎日」だった。しかも、連載されたのが、1970~1972年だそうである。
そんなに遠い昔だったなんて(?_?)
われながら、よく覚えていたものだ。
もっともこの時代のカメラ雑誌は、12冊のA4型スクラップブック(クリアファイル)にしてあるので、探し出せば、書庫の奥から出てくるかもしれない。
わたしがアルバイトをしてキヤノンAE-1を買ったのが、ちょうどそのころ。50mmと28mmの2本をもって、本郷、白山下、神田界隈をカメラ散歩したものだ。
わたしの「街撮り」のはじまりだった。
さてはじめにピックアップしたのは、2010年10月に、じつに数十年ぶりに街撮りに復帰した、最初期の一枚。ずいぶん長いあいだ、怖くて人間にカメラを向けられなかった(=_=)
なぜそうなったかという理由を書いたりするとまた長くなるので、やめておく(笑)。
さて、今日はどのカメラをもっていこうかというのは、なんというか、悩ましい選択となっている。
CX6は相変わらずベルトのポッシェにぶらさがっているのでこれを例外とすれば、いちばん出番が多いのは、PEN E-P3。レンズは35mmF2.8のパンケーキレンズか、標準ズームがつけてある。
しか~し、このカメラはわたしにとってはサブカメラなのであります(=_=)
メイン機材はローライだったり、ニコンF3だったり、キヤノンF-1だったり、そのたびに顔ぶれが変化する。
ところが相棒は大抵PENデジ、ほんのときたまX10。
初期のころに比べたら、EVE(電子ビューファインダ)の精度はいくらかましになったが、どうもなじめない。被写体までの距離感、空気感がまるで違ってしまって、写欲がわかないので、液晶画面でテキトーにフレーミング。PENデジはまあ、わたしの場合、コンデジの親分といったところなのですね。
メイン機材はフィルムカメラの出番がふえた。
ところがやってみればわかるが、24枚がなかなか終らない。36枚撮りともなると、もっと長丁場。はじめは「フィルムで撮ったあと、デジでも押さえておこう」だったが、今年になって、極力これをやらないようにしている。つまり、同じ被写体を、両方のカメラでは撮らない。現像が上がってくるときの楽しみが半減してしまう。
角の煙草屋までの旅は、わたしのすべてのアルバムに共通のいわば“通奏低音”である。
大西みつぐさんは「横町曲がればワンダーランド」といった。
小さな旅の時間の中から、どんなものを、どんなふうにピックアップするのか?
そのために、どんな機材を選ぶのか?
つぎの一歩を、どんなふうに踏み出したらいいのか?
その日の天候や、光線を見極めて、カメラを2台ぶらさげ、歩きはじめる。
歩かないと、被写体に出会えないし、「はじめに被写体ありき」という認識はどんなアマチュアでも知っている。
ところが、被写体に夢中になるあまり、F3で液晶画面を確認しようとし、PENデジで、ファインダーをのぞこうとする(笑)。あるいはF3のフィルム巻き上げを忘れていたりする。そして、あれもこれもと大量に撮ること!
「さあ、どれをどう選ぶか」はあとでゆっくり考えればいいことであ~る。