「アサヒカメラ」6月号は荒木経惟の特集号だった。手に入れようかどうか迷ったが、結局見送った。
荒木さんが、最良・最愛の妻陽子さんを亡くしたのは1990年。
「東京猫町」や「エロトス」の刊行が1993年だけど、このころから荒木さんがつまらなくなって、伴走するのをやめた。
「なんだ、まだくり返している」と、そんな印象がある。新境地をきり開いてくれるものと、漠然と期待していた。
しか~し、陽子さんが死んで荒木はつまらくなった。
ところがそれからも続々写真集は刊行されている、前立腺ガンや片目失明という病をのりこえて、荒木節はまったく衰えを見せない。
わたしにとっては実に久々の荒木本「私情写真論」(月曜社刊)。オビに「アラーキー写真指想のエッセンス」という文字が躍っている。
北斎の向こうを張って「写狂人」を名のる写真界の大スター、読み逃がしてきた1960年代、70年代のエッセイも収録してある。彼が“論”をこうしてまとめるのはめずらしいだろう。
荒木語=あふれ出るだじゃれに笑いころげながら、あとでゆっくり読み解くことにしよう(*゚ー゚)v
荒木さんが、最良・最愛の妻陽子さんを亡くしたのは1990年。
「東京猫町」や「エロトス」の刊行が1993年だけど、このころから荒木さんがつまらなくなって、伴走するのをやめた。
「なんだ、まだくり返している」と、そんな印象がある。新境地をきり開いてくれるものと、漠然と期待していた。
しか~し、陽子さんが死んで荒木はつまらくなった。
ところがそれからも続々写真集は刊行されている、前立腺ガンや片目失明という病をのりこえて、荒木節はまったく衰えを見せない。
わたしにとっては実に久々の荒木本「私情写真論」(月曜社刊)。オビに「アラーキー写真指想のエッセンス」という文字が躍っている。
北斎の向こうを張って「写狂人」を名のる写真界の大スター、読み逃がしてきた1960年代、70年代のエッセイも収録してある。彼が“論”をこうしてまとめるのはめずらしいだろう。
荒木語=あふれ出るだじゃれに笑いころげながら、あとでゆっくり読み解くことにしよう(*゚ー゚)v