二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

写真集について、ひとくさり

2012年03月07日 | Blog & Photo


このあいだ手に入れた二冊の写真集について、少しコメントを書いておこう。

1)「Gift」市橋織江 発売所 (株)実業之日本社 2800円+税 2009年刊
女性写真家の写真集を、わたしはほとんど持っていない。
唯一の例外が、武田花さん。すでに書いたことがあるけれど、彼女の写真集、写文集は、木村伊兵衛賞を受賞した「眠そうな町」を筆頭に、5~6冊もっている。それから、ナン・ゴールディンの一冊。
登場してきたころの長島有里枝、HIROMIXには関心をもったことがあった。
しかし、その作品集をぜひとも手に入れたいとまでは思ったことがない。
蜷川実花さんなどは、どちらかといえば「嫌いな」写真家に属する。洪水のようにまき散らされる色(とくに、赤)に、眼がついていかず、「あなたは色情狂ですか?」といってみたくなる(笑)。 唯一「あ、これはおもしろそう・・・」と感じられたのは、川内倫子さんの写真集。だけど、どうしても受け容れがたい写真が、必ず何枚か混じっている。「これとこれ。そしてこれは、いらない写真でしょう」な~んてね(^^;)
ほかにあえて挙げるとすれば、ベテランでは石内都さん、比較的新しいところでは梅佳代さんあたり。
かつてオリンパスが女性写真家展というのをやっていたことがある。
http://www.olympus.co.jp/jp/event/woman28/
しかし、どんな作品が展示されていたか、ほとんど記憶にない。




市橋織江さんも、はじめはずいぶん遠くに見え隠れする写真家のお一人だった。
ところが、わたしがよくいく書店に、彼女の写真集が4冊も置いてあって、昨年の夏ころから、手にとってぱらぱら立ち読みするようになった。
「これはなんだろう。うーん、なんだろうな?」
そこには、わたしがうまく入り込めない世界が写っている。
いわゆる「引き」の大きい写真である。ソフト&ハイキーの元祖というわけでもないだろうが、ソフト&ハイキーというと、彼女を連想するようになったのは、いつからだろう。

雑誌のデータなどによると、カメラは67判。ネガカラーを、自家現像し、みずから手焼きしているようである。ググってみると「市橋さんのような写真を撮るには、どうしたらいいんですか?」という、女性読者の素朴な質問を、あちこちで見かける。
そういう意味では、ちょっとしたブームが起こっている・・・といえるかもしれない。
なにか一冊買って、時間をかけ、じっくり読み込んでみようと、今年になって、わたしはそう考えはじめた。
「Gift」は、2009年に刊行された、彼女の第一写真集である。
世界各地を旅しながら撮影されたもので、大きなくくりでいえば「旅写真」となるだろう。
ネガカラーが元になっているので、デジタルからの製版と違って、独特な風合いと、色のにじみと、色再現性を持っている。

遠くからの、冷ややかな視線。「決定的瞬間」からは、ほど遠い人物たち。はやりのことばでいえば「癒し系」といってもいい雰囲気をただよわせている。またシニカルにいえば、市橋さんの世界は、女性お得意の「ヒーリング写真」の隣りに存在する空間を目指しているように見えるが、それだけに終わっていないところを、わたしは評価することに決めた。

彼女が選ぶ写真には、「楽園の記憶」のようなものが、そこはかとなく揺曳している。
逆光の使い方がじつにうまく、しばしば、ものの輪郭が光ににじんで、溶けかけている。不自然にならない程度のブルーかぶりが、すがすがしい空気感を演出する。
この「にじみ」や「空気感」の正体には、レンズの“収差”も手を貸しているように感じられる。
ある記事によると、愛用のカメラ・レンズはマミヤRZ67、110mmだそうである。
110mmF2.8は、このカメラの“標準レンズ”。
むろん、このカメラとレンズを使い、ネガフィルムを自家プリントしたら、だれもが「市橋さんのような」写真が撮れるわけではないが、彼女の写真を理解するためのささやかな入口にはなりうる。
67というこのアスペクト比は、緊張感のない画面構成がお得意。彼女はそのアスペクト比を自家薬籠中のものにして、被写体を自分の世界へと引き込むことに成功している。

ところが、よく見ていくと、「傑作」「代表作」といえるものが一枚もないことに気がつく。
これもまた、市橋さんの特徴だろう。「なぜ、この写真が、ここに混じっているんだろう?」
わたしは立ち止まり、考え込む。そうして、また前の作品にもどってみる。そこから、ラストの一枚に飛んだりしながら、彼女がその場で押したシャッター音を想像し、彼女の心根を忖度する。

「世界とは、自分がそうあって欲しいと願っていると、その願いの強さに応じて、そう見えてくるものなのです」
わたしは、彼女がそう囁きかけるのを感じる。「Gift 」とは、そういう写真集である。弱々しいものがもつ、しなやかな、そしてジューシーな輝き! わたしが「楽園の記憶」といってみたくなるのは、そのことを指している。



2)「千年少女」藤原新也 スイッチ・パブリッシング 2838円+税 1999年刊
正直なところ「藤原さんも、つまらない写真集をつくるなあ」というのが、この「千年少女」に対する第一印象であった(=_=)
冒頭にやや長いエッセイが置かれてあるが、そこにいる藤原さんは、センチメンタルである。センチメンタルのどこが悪い・・・といわれると困るが、わたしは、藤原さんは、その種の感情をうまく、正確にコントロールでき、そしてそこから写真を生みだしてくるフォトグラファーだと考えていた。
ところがここでは、ほぼ手放しで「感傷」におぼれている。
・・・で、買うのをやめたのである。




ところが先日、BOOK OFFを散歩していたら、「千年少女」が棚に置いてあるのを見かけ、手にとってぱらぱらとページを繰り、「少年の記憶は 少女の記憶」という“あとがき”を読んだ。
「そうか。これはあの『少年の港』の姉妹編なのか!」
ようやく少し納得がいって、わたしは買って帰ってきた。

出来がいいか、悪いか、という評価は不毛な論議となりがちだけれど、あえていえば、それほどいい出来の写真集とはいいがたいように思われる。よく読み込んでいくと、抑制はほどほどに効いてはいるが、いくつかのカット(レフ板を使っていると思われるようなカット)で、その抑制がはずれ、感情がある一線を超えてしまっている。
残念ながら「なーんだ。藤原さんも、こういう写真を撮るのか」と呟いてみたくなる作品が混じっている。

むしろわたしが注目したのは、つぎのようなところである。
・本作もフィルム(リバーサルカラー)で撮られていること。
・「少年の港」が、ローライフレックス+クセナー75mmF3.5という古い二眼レフで撮られていることが書かれていること。

このローライが正確にはどの機種なのかわからないが(もしかしたらローライコードⅤb)、彼が二眼レフを「少年のまなざし」と呼んでいるのをおもしろいと思ったのある。
二眼レフは手間ヒマのかかるカメラである。カメラを胸のまえにかまえ、首をたれて、下にささえたファインダーをのぞき込むようにピントを合わせ、撮影する。当然ながら、低い視線で、世の中をちょっと見あげるようにしてフレーミングする。藤原さんは、それを「少年のまなざし」というのである。

クセナーは、湿気があるような、独特なボケ味をもつレンズとして知られている。
いまから振り返ると、わたしが「少年の港」にあれほど惹かれたのは、このレンズの収差や、ボケの美しさによるところがあったことに気がつく。
この「千年少女」においても、藤原さんらしい、マジカルなフレーミング感覚が、あちこちにバラ撒かれていて、愉しませてくれる。しかし、美少女とはなんだろう? 美しい獣以外の、なんだと(笑)。
「美少女を、藤原さんが撮るとこうなる」というお手本だと思えばいいのだろうが、わたしには納得しきれないものが、オリのように残る。


トップに掲げた写真はCX6&トイフォト。
右折渋滞渋滞中のクルマの窓から。


マミヤRZ67
http://www.mamiya.co.jp/home/camera/museum/saishu-page/1980/mamiya-RZ67-professional.htm
ローライコードⅤb
http://www.mediajoy.com/mjc/cla_came/cordVb/index.html

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