<鏡に向かってライカD�のシャッターを押すマイヤー>
映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」が日本でもロードショウ公開される。これに刺激をうけて、静かなマイヤー・ブームとでも呼びたい現象が起こっている。
ストリートフォトグラファーの存在が、こういう形で脚光を浴びることなど、めったにあることではない。
「彼女がもっとはやく自分の写真を公表していたら、20世紀の写真史は変わっていただろう」という人がいるがわたしはそうは考えない。それは明らかに誇張である。
だが、20世紀写真界の“巨匠”に名をつらねる一人であることは、いうまでもないだろう。
なぜ彼女は作品をいっさい公表しなかったのだろう?
その謎が、映画によって、多少は究明されているのかどうか。
自室に人を入れることも、かたくなに拒んだといわれるこういう自閉的性向は、特別めずらしいものとはいえないだろうが、その人の中に、天才写真家が同居していたあたりに Surprise!がある。
アマチュアの彼女がいつ、どういう経緯でこうした写真の技法を学んだのか? だれに? それともまったくの独学であったのだろうか?
ネット上の情報を手短にまとめるとこうなる。
ヴィヴィアン・マイヤーは1926年に生まれ、2009年死去。
父はオーストリア生まれ、母はフランス生まれ。
25歳でアメリカに移住、フランス、ニューヨーク、シカゴ等で撮影をつづける。
1950年代から90年代にかけて15万カットを超える写真を撮っている。
シカゴの歴史家ジョン・マーロフ氏がオークションでその膨大なプリントや未現像ネガを380ドルで手に入れ、インターネットに公表するにしたがい、徐々に知られるようになった。
死ぬ直前まで、どうやらベビーシッターの仕事をしていたらしい。
結婚経験はなし。親友と呼べるような友人もいなかった。
経験、センス、知識がなければ、正しい作品の評価はできない。彼女の15万カットもの写真が滅亡の淵から救い出されたのは、まったくの偶然、僥倖としかいいようがない。
撮影された作品の多くはストリート・スナップ。彼女は大胆に見知らぬ人物に迫って、主に二眼レフで撮影している。
このストリート・スナップとならんで、セルフ・ポートレイトがたくさん撮影されているのは、注目に値する。
とても自我が強い人だったのではないか・・・とおもえる。何が原因かはむろんわからないが、セルフ・ポートレイトのいくつかから、非常に屈折した自己意識の存在がにおっている。
わたしはそこから、エルスケンとリー・フリードランダーの影を感じる。
・エルスケン
http://shelf.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=1020920
・フリードランダー
http://shelf.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=1019621
また彼女のこのシリーズには、愛用のカメラがいろいろと映り込んでいるのが、一部で話題になっている。
「写真好き兼カメラ好き」さんが、それをかなり詳細に検証しているので、参考にさせていただいた。
http://31104415.com/blog/vivian-maier-camera/
カメラ、レンズのまえでは、すべての人は等価である。金持ちも貧乏人も病者もない。
どれも等しく<被写体>という存在に変貌する。それは彼女の意識にとってシクロフスキーのいう<異化>(日常に見慣れたものを、非日常なものとして新たにとらえ直すということ)のプロセスといってもいいだろう。
それが、彼女の精神の内部で、自己完結していた。
だから・・・彼女は写真を「他人に」見せる必要がなかったのであろう。
むろんこれも、無数に取り出しうる「解釈」の一つにすぎないのだが。
<ギャラリー>
■ストリート・スナップ
これらはマイヤーによる存在論といえる。ここに写っている人々を通し、彼女は世界につながっていることを実感したに違いない。
攻撃的であったり、受動的であったり、彼女は「他者」の方へ、自己の身体を投げかける。そうして被写体をとらえる。
ウエストレベルのファインダーは、アイレベルのファインダーほど、被写体を身構えさせない。しかも、二眼レフには像の消失がなく、シャッター音が極めて小さいというメリットがある。
彼女が二眼レフを愛用したのが、わたしにはじつによく理解できる♪
1
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5
■セルフ・ポートレイト
これこそマイヤーによる自己の異化行動そのものである・・・とわたしは思う。
「他者としての自己」を見つめる像の、なんという孤独感!
なぜ撮影は、彼女の中で自己完結してしまうのだろう?
その生い立ちからきたのか、器質的なものか推測はむずかしいが、彼女はいまのことばでいえば「無縁社会」の裏で、ひっそり生きたのである。
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9
10
■カラー・フォト
11
12
マイヤーについてあれこれ考えていたら、わたしは最晩年のウジェーヌ・アジェのことを思い出した。
ベレニス・アボットが間に合っていなかったら、アジェの写真群も、その大部分が散逸していただろう。ただ、その価値に気がついたのが、遺品を落札したジョン・マーロフではなく、インターネットであったことは、時代の相違ということになるのかも知れない。
アート作品は、その価値のわからない人にとっては、ゴミ同然。
偶然の女神がVivian Maierの大量の作品を、消滅の瀬戸際から救いだしたのである。
・・・死後2年以上たってから。
アボットが撮影した最晩年のアジェ。この巨匠の隣りに、マイヤーを立たせてみたいという誘惑をわたしは感じる。
※作品はすべて以下のオフィシャル・サイトから引用。
http://www.vivianmaier.com/
もっとたくさん引用したいが、度を超すと著作権侵害になりかねないので、全12枚としておく。詳しくお知りになりたい方は、オフィシャル・サイトをどうぞ♪
映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」が日本でもロードショウ公開される。これに刺激をうけて、静かなマイヤー・ブームとでも呼びたい現象が起こっている。
ストリートフォトグラファーの存在が、こういう形で脚光を浴びることなど、めったにあることではない。
「彼女がもっとはやく自分の写真を公表していたら、20世紀の写真史は変わっていただろう」という人がいるがわたしはそうは考えない。それは明らかに誇張である。
だが、20世紀写真界の“巨匠”に名をつらねる一人であることは、いうまでもないだろう。
なぜ彼女は作品をいっさい公表しなかったのだろう?
その謎が、映画によって、多少は究明されているのかどうか。
自室に人を入れることも、かたくなに拒んだといわれるこういう自閉的性向は、特別めずらしいものとはいえないだろうが、その人の中に、天才写真家が同居していたあたりに Surprise!がある。
アマチュアの彼女がいつ、どういう経緯でこうした写真の技法を学んだのか? だれに? それともまったくの独学であったのだろうか?
ネット上の情報を手短にまとめるとこうなる。
ヴィヴィアン・マイヤーは1926年に生まれ、2009年死去。
父はオーストリア生まれ、母はフランス生まれ。
25歳でアメリカに移住、フランス、ニューヨーク、シカゴ等で撮影をつづける。
1950年代から90年代にかけて15万カットを超える写真を撮っている。
シカゴの歴史家ジョン・マーロフ氏がオークションでその膨大なプリントや未現像ネガを380ドルで手に入れ、インターネットに公表するにしたがい、徐々に知られるようになった。
死ぬ直前まで、どうやらベビーシッターの仕事をしていたらしい。
結婚経験はなし。親友と呼べるような友人もいなかった。
経験、センス、知識がなければ、正しい作品の評価はできない。彼女の15万カットもの写真が滅亡の淵から救い出されたのは、まったくの偶然、僥倖としかいいようがない。
撮影された作品の多くはストリート・スナップ。彼女は大胆に見知らぬ人物に迫って、主に二眼レフで撮影している。
このストリート・スナップとならんで、セルフ・ポートレイトがたくさん撮影されているのは、注目に値する。
とても自我が強い人だったのではないか・・・とおもえる。何が原因かはむろんわからないが、セルフ・ポートレイトのいくつかから、非常に屈折した自己意識の存在がにおっている。
わたしはそこから、エルスケンとリー・フリードランダーの影を感じる。
・エルスケン
http://shelf.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=1020920
・フリードランダー
http://shelf.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=1019621
また彼女のこのシリーズには、愛用のカメラがいろいろと映り込んでいるのが、一部で話題になっている。
「写真好き兼カメラ好き」さんが、それをかなり詳細に検証しているので、参考にさせていただいた。
http://31104415.com/blog/vivian-maier-camera/
カメラ、レンズのまえでは、すべての人は等価である。金持ちも貧乏人も病者もない。
どれも等しく<被写体>という存在に変貌する。それは彼女の意識にとってシクロフスキーのいう<異化>(日常に見慣れたものを、非日常なものとして新たにとらえ直すということ)のプロセスといってもいいだろう。
それが、彼女の精神の内部で、自己完結していた。
だから・・・彼女は写真を「他人に」見せる必要がなかったのであろう。
むろんこれも、無数に取り出しうる「解釈」の一つにすぎないのだが。
<ギャラリー>
■ストリート・スナップ
これらはマイヤーによる存在論といえる。ここに写っている人々を通し、彼女は世界につながっていることを実感したに違いない。
攻撃的であったり、受動的であったり、彼女は「他者」の方へ、自己の身体を投げかける。そうして被写体をとらえる。
ウエストレベルのファインダーは、アイレベルのファインダーほど、被写体を身構えさせない。しかも、二眼レフには像の消失がなく、シャッター音が極めて小さいというメリットがある。
彼女が二眼レフを愛用したのが、わたしにはじつによく理解できる♪
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■セルフ・ポートレイト
これこそマイヤーによる自己の異化行動そのものである・・・とわたしは思う。
「他者としての自己」を見つめる像の、なんという孤独感!
なぜ撮影は、彼女の中で自己完結してしまうのだろう?
その生い立ちからきたのか、器質的なものか推測はむずかしいが、彼女はいまのことばでいえば「無縁社会」の裏で、ひっそり生きたのである。
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■カラー・フォト
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マイヤーについてあれこれ考えていたら、わたしは最晩年のウジェーヌ・アジェのことを思い出した。
ベレニス・アボットが間に合っていなかったら、アジェの写真群も、その大部分が散逸していただろう。ただ、その価値に気がついたのが、遺品を落札したジョン・マーロフではなく、インターネットであったことは、時代の相違ということになるのかも知れない。
アート作品は、その価値のわからない人にとっては、ゴミ同然。
偶然の女神がVivian Maierの大量の作品を、消滅の瀬戸際から救いだしたのである。
・・・死後2年以上たってから。
アボットが撮影した最晩年のアジェ。この巨匠の隣りに、マイヤーを立たせてみたいという誘惑をわたしは感じる。
※作品はすべて以下のオフィシャル・サイトから引用。
http://www.vivianmaier.com/
もっとたくさん引用したいが、度を超すと著作権侵害になりかねないので、全12枚としておく。詳しくお知りになりたい方は、オフィシャル・サイトをどうぞ♪