二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

春の曇り空

2013年03月20日 | Blog & Photo

今日は水曜で定休日。
どこかへ出かけたかったけれど、あいにくの空模様。
洗濯して衣類を干したけれど、小雨が降ってきそうなお天気である。
本の片づけがまだたっぷりと残っているし、台所の手許灯を修理したりしてまたたくまに時間が過ぎていく。
今年は気温急上昇なので、早春の花々もあっというまに散ってしまうだろう。

トップにあげたのは、わが家の庭先にあるボケのつぼみ。一雨あれば、植物たちはもっと勢いをましていくだろう。関西や中部地方ではもう降っているかしら?



わが家の納屋の裏に回ったら、絶えてしまったと心配していたフキノトウが顔をのぞかせていた。繁殖地が15mばかり北に移動している。しかも今年はなぜか、芽を出すのが遅い。



うーん、これはなんだろう?
プラムかなにか、そんな木だったはずだが・・・。もいで食べた記憶がないわけではないけれど、何年も昔のことで忘れてしまった。桃の木もある。すべて、今年88才になる父が植えたわが屋敷の中の木々。
農事もはじまった。春野菜の播きどきなのだ。

モーツァルトをBGMにしながら、磯田光一さんの「萩原朔太郎」(講談社学芸文庫)を、一昨日より拾い読み。
批評というより、評伝としてとてもすぐれている。

これまで那珂太郎さんや飯島耕一さんの萩原朔太郎論は、ざっと眼を通しているけれど、近代詩の創始者の像を、その生活史に即してこんなに具体的に跡づけた本は、これまで読んだ経験がない。
父萩原密蔵との関係は生涯にわたって彼を苦しめ悩まし、作品に大きなくらい影を落としているのは知っていた。
磯田さんの功績は、その父とならんで、馬場ナカという女性を初期習作と関連づけて、詳細に描き出すことに向けられている。ナカは医師の娘で、朔太郎の妹アイの同級生。

《「若いころから朔太郎の妹アイに憧れ、求婚するが、
彼女の両親の反対にあい、断念。 が、アイが夫佐藤惣之助に先立たれると
妻智恵子(佐藤春夫の姪)と離婚し、アイを妻とし、三国で暮らす。しかし、すぐに離婚する。これを題材にして書かれたのが萩原葉子(朔太郎の娘)による
『天上の花』(講談社文芸文庫)である。》

ここで朔太郎の妹アイに求婚したのは、若き日の詩人三好達治である。三好は朔太郎を師と仰いでいた。

わたしはテキストクリティックだけで、その文学作品を丸ごと味わえるとは考えていない。
だから、こういう評伝の力をかりて、見えない部分、見えにくい部分を照射し、なぜこういった作品が書かれたか、知りたくなる。正岡子規の場合も、むろん、彼の生涯における伝記的な事実と、その作品のあいだには、無視しえない深い関係性が横たわっている。

朔太郎の場合でいえば、そういった青春期の葛藤が演じられた舞台が郷土前橋であっただけに、より一層興味をそそるものがある。
ファンならとっくにご存じだろうが「月に吠える」は、理由のはっきりとわからない罪障感に塗りつぶされている。

遠夜に光る松の葉に、
懺悔の涙したたりて、
遠夜の空にしも白ろき、
天上の松に首をかけ。
天上の松を恋ふるより、
祈れるさまに吊されぬ。

(天上縊死)全編)

かくして、彼は自己を処刑するのだが、テキストだけを読んでいたのでは、この自己破壊の衝動が、なぜ、どこからもたらされたかわからない。
磯田さんのこの本は、そういったくらい少年期の淵のようなところへと、読者をいざなう。その的確さ、手綱さばきは、熟読に値する・・・というのが、わたしのここまでの感想である。

この「萩原朔太郎」は、本の整理をしているうちに出てきた(^^;) なくしたかと思っていたのである。
処分が決まった本が300冊を超えてしまったので、出張買い取りをしてもらおうと最寄りのBOOK OFFに電話したら、出張買い取りの場合、「値がつかない本は持っていかない」ことが判明。日曜、祭日は混雑が予想されるから、あとで、わが家の軽トラに積んで店まで持っていくことにしよう。

たいして動きもしないのに、身辺の景色はいろいろな意味で、刻々と変わっていく。
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