正岡子規への関心が再燃し、子規の本を持ち歩いて読みあさっている。
さて、子規の代表句といえば、これ。
鶏頭の十四五本もありぬべし
はじめて読んだのが中学だったか、高校だったかの教科書で、それ以来、子規の句といえば、こればかりを思い出した。
その後、辞世の三句も知るにおよんで、子規への敬意をいだくようになった。
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間に合わず
をとヽひのへちまの水も取らざりき
これが絶筆となった。
その意識を失う最後の病床の様子は弟子たちがつづっているけれど、読みながら鬼気せまるものを感じるのはわたしばかりではあるまい。
山本健吉さんは子規の俳句に関し、きびしい見方をしていて、「写生」という思想への懐疑をあちこちで書いている。しかし、「鶏頭の十四五本もありぬべし」に対しては「俳句についての十八章」(「俳句の世界」講談社学芸文庫)所収の「鶏頭論争終結」という論攷の中で高い評価をあたえている。
鶏頭の十四五本もありぬべし
山本さんのこの論攷を一昨日はじめて読んで、「わが意を得たり」というほどの感銘をうけたので、講談社学芸文庫に短いレビューを書いて投稿してある(下の註を参照)。
ところがこの「代表句」は、弟子である虚子や碧梧桐ではどういうわけか評価が低く、彼らが編んだ子規のアンソロジーには掲載されていないという(わたしは虚子編の岩波文庫の句集で確認)。
ところが、さきほどこの鶏頭の句でインターネット検索をしていたら、鶏頭論争の経緯と、その後の展開が記事になっているではないか! むろん、子規に関心を深めた人で、この鶏頭論争を無視できる人は少ないはず。
とくに大岡信さんの所説は傾聴にあたいする。
たしかに芭蕉句集を読むように、あるいは蕪村句集を読むように子規の句集を読もうとすると、わたしも退屈になってくる。
凡句、駄句のたぐいが、少なからず混じっているのは、否定しようがないが、これは虚子、碧梧桐の場合でも同じ。私見によれば、大雑把な表現だが70%~80%はこの凡句、駄句のたぐいだろう。
ちなみに子規の俳句をいくつか拾ってみよう。
<春>
菜の花やはつとあかるき町はつれ
落したか落ちたか路の椿かな
上總までかちわたりせん汐干潟
<夏>
門さきにうつむきあふや百合の花
萱町や裏へまはれば青簾
五月雨やけふも上野を見てくらす
<秋>
一日の旅おもしろや萩の原
はちわれて實をこぼしたる柘榴哉
燈籠の火消えなんとす此夕
これらの作を秀句、佳句といえるかどうか? 「鶏頭の・・・」の句に比べて、やや類型的であり、印象がうすく、愛唱するにはなにかが不足している。ほかに子規の句で思い出すのは、
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
春や昔十五万石の城下哉
あたり・・・ということになる。子規ってどんな句をつくったの?
そう訊かれたら、わたしは「鶏頭の・・・」の句のほか、この二句をたちどころに愛唱できる(^_^)/~
まあ、しかし――。
いろいろと考えてみると、いまこの時代背景を踏まえていちばん高い評価をあたえることができるのは、彼の随筆だろうというのが、わたしの意見。
「墨汁一滴」
「病床六尺」
「仰臥漫録」
これが三部作といわれたり、これに「松蘿玉液」をくわえ、四部作といわれたりするが、これらがなかったら、わたしがいま、子規について妄論を吐くこともなくなるだろう。
正岡子規が、明治という改革期にあらわれた傑物であり、彼の生涯をたどると、じつにいろいろなものがすかし見えて、興味がつきないとおもう。俳諧・俳句は彼によって、近代に息を吹き返したのである。
※講談社文芸文庫「俳句の世界」山本健吉
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1984179
(わたしが投稿した簡単な書評が掲載されている)
※ウィキペディア「鶏頭論争」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%8F%E9%A0%AD%E3%81%AE%E5%8D%81%E5%9B%9B%E4%BA%94%E6%9C%AC%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%AC%E3%81%B9%E3%81%97
※掲載した写真はウエブ上からお借りしています。ありがとうございました。