(4)2009.3.31 (だっしゃないのぅ)
母の線引きは少しずつなめらかになってくる。たどたどしい硬い線が消えていく。
「おばあちゃん、線上手になったなぁ」
「そうかの」
「ほら、みてみいな。前の絵と比べたらようわかるやろ」私は最初の頃の母の絵を並べて見せた。
「迷わんと、まっすぐす描けとるやろ。気持ちええなぁ。のんびり絵が描けるようになってきたんやろ?」
「なにょ描いたらええのかわからんけどの」
「わからんでもええんや。線さえ引けばだんだんにええ絵が描けるようになるさかナ」
「こがなくさったげな(こんな変な)絵どこがええんなら、だっしゃない(みすぼらしい)のぅ」母はまだ自分の絵に面白さを見つけられない。あせらず付き合っていくしかない。こればかりは与えられないのだ。自分でつかむしかない心のおくの奥にある問題だ。その奥をほんのちょっと変えるだけで、だっしゃない絵が宝物のように見えてくるんだよ。ゆっくりでいいからそれをつかんでほしい。言葉では伝えられないからただ祈るしかない。
「おばあちゃん玉ねぎ見てみ、外は土だらけで、ガサガサの枯れた皮や。だっしゃないやろ。せやけど中身はつやつやした白い球がはいっとるやろ」
「そうやの」
「この絵な、だっしゃないように見えるかもしれんけど、そんなん薄っぺらな皮だけの事なんや。この皮の下には真っ白な珠のような神様が隠れているんやで」
「神様てか?」
「そうやでおばあちゃん。見える人にはみゆるんやで。ほんまにな」
「神様ちゅうの、見ゆるようになるかの」
「なるなる。大丈夫や」
神様が見えるようになる?そう考える事が神様を見る入口なのだ。だから今、母はその入り口を開けた。まだ気付いていないけれど、いつかそれがわかる時が来る。私はそう信じている。
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線を引くという、単純なことでも、自分になりきって描くということは案外むつかしいものです。
どうしても、余計な思いが出てしまう。
でも、それもOKです。
注意すべき大事なことはただ一つ。それだけを守っていれば、楽しいことがいっぱいです。
その守るべき大事なこととは、
けっして、「こんなもの」と過小評価しないということです。
自分の子供だと思えたら最高です。
ここだけの話し自分の天才を信じたものだけが、本物の天才になるのですね。
だってほら、
自分はどうしようもない愚か者と思うのも
自分は宇宙から頂いた天性の才能と思うのも、
この自分の自由なんですから^ね^。
そうそう、私が母に「神様」と言ったのは、母がいつか絵かきと言う自分自身と出遭って欲しいと思ったからなのですよ。そしてそれはもっと先のことなのですが、母は本当に神様(自分)と出逢ったのです。
他人の作品をほめる事はすんなりですが、そういえば自分をほめる事はあまりしない。
言い訳ばかりが頭を駆け巡ります。
絵の裏に神がたたずむ・・このフレーズ、頂きます。
仕事や趣味の皮をはがせば神が居る・・そう考えたら、行いが楽しくなりそうです ♪
お返事が遅れまして申し訳ありませんでした。
本当に、自分を褒めるということは難しいですね。
自分に対しては、理想が高いというのか、喜ばせることがなかなか出来ませんよね・・・
その分言い訳が出てきます。
言い訳しなくても、その裏に神がいると、本当に信じ切れたら楽しく生きられるのではと、私も思っているのです^よ^¥