(16)2009.12.23(ひとつしかない絵)
まず最初に描きだすまでが大変だ。気長に待って、やっと手が動き出す。今日はそんな日だった。
紙の上でマーカーを動かすが、宙に描くばかりで紙に線が引けない。母が納得するまで気長に待つしかない。
ふと手が揺れてマーカーの先が紙に触れた。そこから手が動く。線が白い紙の上に現れてくる。すると自然に次の線が生まれる。
「ほら、最初に思い切って線をひいたら次々出てくるやろ」
「そうやな」
母は夢中に手を動かし始めた1時間あまり、線を引く人になる。
一日何もすることがない空白の日々に、このときだけは生き生きとした母を感じる。
「たのしいやろ?」
「こんなもん だっしゃないよ」
「それがええんや、この世に一つしかない絵やねんで、一流のえかきや。」
「一流やてか?」母は大きな声で笑った。
冗談で笑う母のいつもの笑い声だ。
母はまだ絵というものを正しく理解していないけれど、冗談に対して心を開いている。
「今はそれだけでいいよ、おばあちゃん」私は心の中でそうつぶやいた。
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10年前の母のリハビリ絵画録を、読み返しているのだが、
同じ繰り返しが多いいことにあらためて思いいたる。
母の心はいつも
ここに帰ってくる。
「だっしゃない」=汚らしい
「笑わるる」=(人に)笑われる
その度に私は
母の心が回転しているのを知る。
もちろんその回転は前に向いたベクトルがついている。
つまり螺旋をえがいているのだ。
その前向きベクトルを見るとこうだ。①⇒②⇒③⇒④
①はじめての線引き
②だしゃないのう
③笑わるる
④だっしゃない絵
螺旋は成長の証し
しかし本人の自我から見れば同じ「だっしゃない」絵に見えるのだ。
ポロックのアクションペインティングと比較していただいて、さどかし母も天の上で驚いていることと思います。
「ポロックって何よ?ボロボロちゅうことか?ほんにだっしゃないさかなァ」
「ちゃうでおばあちゃん!?アメリカのごっ有名な絵描きさんや。子供みたいに絵の具まき散らして絵を描くねんで」
「子供みたいなもんでもええノンか?」
「せや、せや」
「ほいたら、ババみたいなもんでもええちゅうことかい」
「そういうこっちゃ。ほんにポロックみたいな絵やなァ。」
ってな感じで、母もきっと喜んでおります。
ありがとうございまし^た^
どんなことでも、自分の本当にやりたいことをやり通したら、その仕事はきっと人の役に立つ。そう信じたいですね。
「ほら、折師さんという若者から、勇気をもらえたと言ってもらえたよ。
おばあちゃんの絵、役に立ったで。」
天に向かって、報告してやりたいで^す^
ありがとうございました。母の分まで御礼申し上げます。
気の早い田んぼはもう色づいてきています。
自分の田んぼじゃないのに、なんとなく嬉しくなりますね。
今年も食料大丈夫って思うんで^す^
あっ!なるほど。
私は螺旋をえがいて母の絵がよくなっていると言いたかったのですけれど、確かにこの田んぼの?の絵には幾筋もの螺旋が見えますよね。気付かなかった。
稲が並んでいるのかな?
sure_kusa様ありがとうございました。
その言葉が再び浮かびました…。
他人の批難も、ひいては自分の内なる批難も跳ね除けるところまで…それを超えるまで行くこと。そのことの難しさ。
されどのしてんてん様のお母様のように超える事は出来る。勇気づけられますね。 そしてそれを支えてきたのしてんてん様にも…。
リハビリ絵画録、心に勇気をくれる記事たちに感謝を!
連想しました ♪
秋になると、ますますお米が恋しくなりますね。
ご飯一膳・・どれだけ刈り取れば食べられるのだろうと、いつも考えます。
>螺旋
→ 左手前から右上へとラセンが遠くの方まで続いていますね ♪
素敵な絵です。