緑の香りが流れる
ふっと、心に染まる
懐かしさが見える
時間が止まる
香りは五次元からやってくるのだろうか
今この時を
充実して
嗅覚に届くおくりもの
誰にでも
分け隔てなく
色を届ける
この香りに
私は癒されていく
心はその時、無限に拡がるようだ
その瞬間
五次元に触れているかのように
ああ
この香りに包まれし
心と身体
この私というかたまりをほぐしていくものよ
このかたまりのはらわたから
黄金をつかみだすのだ
緑の香りが流れる
ふっと、心に染まる
懐かしさが見える
時間が止まる
香りは五次元からやってくるのだろうか
今この時を
充実して
嗅覚に届くおくりもの
誰にでも
分け隔てなく
色を届ける
この香りに
私は癒されていく
心はその時、無限に拡がるようだ
その瞬間
五次元に触れているかのように
ああ
この香りに包まれし
心と身体
この私というかたまりをほぐしていくものよ
このかたまりのはらわたから
黄金をつかみだすのだ
時間の流れも感じさせられました。
詩の方が講義調のナウイムズ説明よりしっくりきます。
要は、どこにうったえるかーですかね。
頭か
心か
置かれている環境か
目指す理想か
狭まれている現実か
見せてあげたい5次元か
どちらも
人を連れてはいけるどころでしょうけど
飲むのはその人の意思でしょうかね。
意志か
感銘か
誘いか
どっちにしろ
導いたひとからは予測できない
未知の産物でしょうけれど
人は永遠に孤独だということでしょう。
真実の側から言えば、唯一無二の存在ということでしょうし、頭脳の側から言えば、認識の壁に阻まれて、けっして他と一つにはなれない。
ですからある意味、教える。導くというのは大きな幻想であり、不遜だと思うのですね。
ただ真摯に、己の中にある真実と思えるものを表現する。
思考、芸術、工芸、体感。
そして受ける側は、己の心で受け止める。
それがあるべき姿ではないかと思ったりします。
「どっちにしろ
導いたひとからは予測できない
未知の産物でしょうけれど」
だからこそ、いかに己の真実に触れる努力をするかですよね。