寒い日が続きます。早朝の浜は、強い寒風にさらされて激しい波が打ち寄せています。明け方の闇の海面から闇より黒いものが山のように盛り上がります。その頭が崩れて白いものがあっという間に私の足元に広がってきます。
自然の意志を直に感じるようで、なにか対話している気分になる。
私たちはこのように外の風景を、認識します。
そして同時に、私は自分の内側にこみあげてくる緊張感を味わっています。この内側の認識 . . . 本文を読む
世界と言うと、あなたはどんなイメージを持つでしょうか。
真っ先に地球上にある国々。あるいは宇宙。自分を取り巻く世界、あるいは社会。それを逆に見れば、自分という存在の外側の世界ということになりますね。
そして自分=「私」という存在は、この世界の中で生きているのです。私たちは意識的であれ無意識であれ、この世界という認識と、「私」という認識を明確に区分しています。
わざと、当然のことを遠回しに言っ . . . 本文を読む
前回はスケールを極小に向かって無限に続く物と空間のつながりを観てきましたが。今回は逆に極大に向かって考えてみましょう。
空間に浮かぶものたちは互いに引きあって1なる存在をつくり続けます。それは極大に向かっても同じことがいえるのです。
私たちには宇宙の銀河と見えるものは、それと相当のスケールで見れば一つの細胞に見えるでしょうし、その銀河が無数に広がっている銀河は、ひとつにまとまって見えるスケール . . . 本文を読む
空間の中に何かを認識できるということは、ものが一つのかたまりとして存在すからですね。
人間が、地球は丸く、宇宙に浮かんでいると認識できるようになったのはつい数世紀前でした。それまで、私たちの立っている地面の裏側にも人が頭を下に向けて立っているなど、誰が理解できたでしょう。今の私たちは、それを理解できるほどには、大きなスケールでものを観る能力を身に着けたのです。
そのスケールの世界を意識しながら . . . 本文を読む
空間をイメージします。何もない空間だけを私たちは認識することが出来るでしょうか。空間に向かって意識を向けるということは、禅宗の瞑想のようです。
紙風船。
はじめてそこに認識が生まれます。紙風船を介して、わたしたちは空間を認識することが出来るのです。空間の中に1なるものが生まれる。それが認識のスタートです。
無の空間から1なるものが生まれる。それはどいう仕組みなのでしょうか。そう考えると、ひと . . . 本文を読む
もし、この世界に空間がなかったら、どんな風景が想像出来るでしょうか。
世界がものだけの世界をあえて考えると、全宇宙の天体が隙間なく一つのかたまりになってしまうでしょう。
物理学では、その大きさは原子一個分になってしまう計算になると聞きました。ビックリですね。
わたしたちのこの身体はどうでしょうか。空間がなければ目にも見えない微細なカチカチの粒になってしまうのです。
これをとても命と呼ぶこと . . . 本文を読む
世界を思い描くものさしのような概念。これを私は次元と呼んでいます。それが一般常識に沿っているのか違うのかはわかりませんが、私の考えの出発点はここにあります。
わたしたちは空間を3つの次元で認識しています。3次元空間は私たちが生きているまさにこの空間です。この中に私たちは存在している、実在の世界と言うことが出来ますね。
それに対して、時間とスケールの次元は、ちょっと異質です。それは直接ものとかか . . . 本文を読む
先日人の体はこうなっているという図をしましましたが、人間の想像力はそこでととまりません。わたしたちは蟻になったり、原子になったり、さらにもっと小さな世界や、逆に大きな世界をイメージする力を持っています。のしてんてん系宇宙はまさにそのイメージ力によって認識できる世界なのです。
わたしたちは無限に遠くに行けるというイメージを持つことが出来ます。それと同じように、無限に小さくなる世界と無限に大きくなる . . . 本文を読む
わたしたちは空間に浮かんでいる。そのイメージ図がこれです。
これは人の姿だと思って下さい。
黒いひとつの点が原子だとすると、原子が集まって細胞になります。(赤い円)
その細胞が集まって組織が出来ます。(水色)
組織が集まって器官、手足となります。(青)
その部位が集まってヒトが出来ています。
私の体が原子のスケールまで縮んだとしたら、人の体はこのように見えるかもしれません。
わた . . . 本文を読む
ルビンの壺をネット検索すると、たくさんの画像を観ることが出来ます。上の写真もその中の一枚。勝手に使いましたが、商売ではないのでお許しください。
これは壺の写真ですね。暗い空間の中に置かれているものを、私たちは当たり前のように認識しますね。
ここには壺しか置かれていないのですが、もっと単純に言えば、物と空間があるわけですね。そしてわたしたちは、この壺を意識するとき、空間のことは考えないのです。当 . . . 本文を読む