けんか祭りは糸魚川市を代表する祭りといっても、寺町区と押上区の男だけに参加が許された祭り。
かってはどちらも漁師町だったので、昔は漁区を巡った日頃の遺恨が祭りで炸裂してホンモノの喧嘩沙汰が多かったようだ。
一の宮(天津神社・奴奈川神社)の境内を一の神輿が西側、二の神輿が東側と決まっており、東西に「踏ん張り桟敷」という陣地を組む。
寺町、押上の両区は毎年、一の神輿と二の神輿を交互に担ぐことになっており、拝殿と舞楽舞台を時計まわりに回って、頃合いを見計らって二基の神輿を組ませて押し合うのだ。
寺町が勝てば豊作、押上が勝てば豊漁が約束される神占いの神事である。
祭りの翌日は踏ん張りで直会。
つまり神輿同志でがっぷり四つ相撲を組み、真向勝負の力比べをするのである。
組合う回数は最低六回以上と決まっており、あと何回組合うかは天候や疲労具合を考慮して両区の運営委員長同志の現場判断に委ねられている。
男たちが吠え、神輿が軋む。
神輿が激しくぶつかり、壊れるほど神サンが喜ぶとされる。
この時、見物人たちは「負けんなや~!」と声援をおくる。
寺町も押上の男達も「負けとられん!」と必死だ。
昨今のスポーツ選手は「勝ちにいきます」と決意を表すが、けんか祭りの参加者達は「負けまい」とするのである。
ここが重要で、「佳いなあ~」と思うところ。
負けまいとするのは受けの美学があるからである。
日本人は勝負事に受けの美学を求めてきた。
大相撲最高位の横綱には、立会において対戦相手の息に合わせて受けて立ち、先に組ませてからが勝負という「横綱相撲」が求められてきたのである。
能動的に勝とうとせず、ひたすら無心に全身全霊をかけて戦い、結果として負けないという受動的な態度。
勝ち負けより、参加者各位がどれだけ全力を尽くしたのが問われるのがけんか祭りである。
あと八日!