冬至イベント「縄文の響き」は盛況だった。
昼夜ともに満席で、私の縄文ヒスイ漫談も2回目の夜の部はリラックスしてアドリブが連発。
結構受けていたようだし、次回は私の持ち時間をもっと長くして縄文イベントを継続していこう、と主催者である牧野さんから褒められた。
会場となった大倉山記念館
いい気分で散会した翌日に糸魚川市大規模火災発生。
火災時の私は、折しも都内某所でシルバーアクセサリー作りを習っており、マナーモードにしてあったスマホのメール着信や電話着信を知らせるバイブレーターがブルブルしっぱなし・・・休憩時にスマホを観たら、地元糸魚川市の火災を知った友人達からの安否確認や火事見舞いで、対応に追われた。
テレビもラジオもない所にいたので、安否確認問合せの内容とその多さに事態の深刻さを知った。
糸魚川ヒスイをテーマにしたイベントの翌日に大火災とは・・・絶句。
糸魚川は風が強い土地で、今回の被災地区は軒を連ねる人口密集地帯ゆえに、昔から火事となると大火事になる地域ではあった。
だから昔は、晩ごはんを多めに炊いて残りご飯をお握りにして非常時に備え、無事であれば翌朝はお粥にして食べる風習のあったのだと、小学校の授業で習った記憶がある。
ホールの吹抜けでリハーサルする出演者?
我が家は火元から2キロ離れた風上にあるので無事だったが、友人知人の家が焼失したそうだ。
えらいこった・・・年の瀬を迎えて家や仕事を突然失った被災者(昔ながらの商店が多い地区なのだ)には慰めの言葉も見つからない。
それに火元となってしまったラーメン屋さんの心境を想えば・・・針のムシロで食事も喉を通らず夜も眠れないだろう。
昔から糸魚川の人を楽しませてきた古いラーメン屋さん。
店主夫妻を知っているだけに他人事とは思えず、これが自分の両親だったらと想像すると胸が痛む。
公演を終えて安堵の表情の出演者。後列中央の青い服の男性が主催者の牧野じゅんさん。(写真は全て出演者のFBから借用)
糸魚川出身の童話作家、小川英子さんも花束を持って駆け付けてくれた。小川さんの実家は火災現場近くにある老舗の町屋で、電話で実家の状況を聞いたら、キリギリの所で風向きが変わって被災は免れたそう。
せめてもの救いは120棟が焼失した大火災にも関わらず、死者がいないという事で、消防団や消防署の活躍は無論だが、相互扶助の気風が強い地域力ゆえか・・・。
支援の輪が着々と広まっているようだ。
ふるさと納税で被災者を支援する、義援金寄付、色んな支援方法が告知されている。
ぬなかわヒスイ工房としても、当面は売上の5%をプールして義援金に寄付するし、工房には募金箱を置く事にした。
なんと去年、取材を受けたホームレス支援雑誌「ビッグイシュー」編集部からも何か出来る事があれば・・・とメールまで頂いた。
誰もが「自分にできる支援」を考えはじめている。