ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

停電の一日

2006-06-12 | 移住生活
今日のニュージーランド在住者のブログは、この話で持ちきりのことでしょう。
オークランドの大停電(南島の一部も雪のため停電に)
朝8時半から、復旧が遅れた西蘭家が暮らす東オークランドを含む地域は午後4時半まで、計8時間の停電となりました。

オークランド市の80%以上、約70万人以上が影響を受けたそうで、被害総額はGDP(国内総生産)換算で7000万ドル(約53億円)
とか。いかに被害甚大だったことか。シティーなど中心部では昼までに復旧したようですが、お店やオフィスは軒並み休業だったそうです。電気もつかなければ、エレベーター、パソコン、電話も使えないんじゃ、仕事にならなかったことでしょう。

学校も、
「子供を引き取りに来るように」
とラジオで保護者に呼びかけていたそうですが、電池式のラジオなど家にない私たちには知る由もなく(笑) 温(12歳)の場合は、携帯電話を持っている同級生が自分で親に電話して引き取りにきてもらったりで、クラスで10人が早退。それ以外は最後まで授業を受けていたそう。(もちろん、温もこの1人)

ところが帰宅のためのスクールバスが来ず、バス会社は、
「保護者が引き取ってもう生徒がいないと思った。」 
という理由で、バスをよこさなかったそう。そこから学校とバス会社の交渉が始まり、「長引きそう」と察した息子は友だちと市バスで帰宅。それでもいつもより1時間も遅い帰宅でした。
(バス代のない子はそれ以降もずっと待っていたそう。先生は手分けしてマイカーでピストン輸送をしていたとか。ご苦労さまです)

善(9歳)は徒歩通学なので大きな影響はなし。それでも、学校が緊急用の自家発電機で明かりをつけていたことなど興奮気味に話していました。ある同級生のパパは出勤しようと開閉がリモコン式のガレージからクルマを出したところで停電に。ガレージのドアが閉まらなくなり、部屋に通じるガレージ内のドアには鍵がないため、やむなく会社を休んでしまったとか。(その家はママも働いています)
きっとこの手の話はたくさんあることでしょう。電車も不通でした。

西蘭家でもパソコンが落ち、冷蔵庫は開けても真っ暗―― 
ガスのないオール電化の家の弱さを思い知らされました。
料理どころかお湯さえ沸かせず、お茶もコーヒーも飲めません。シャワーも温水タンクに残っているお湯がなくなったらそれでおしまいです。電話、ファックス、メールも不通で、外部との連絡は携帯電話のみ。私たちも開店休業に(笑)
(みじんこビジネス、西蘭商店の被害額は限りなくゼロ´。`;)

掃除機、洗濯機、アイロンも使えず、家事も開店休業。
電子レンジさえ使えないので、とにかく温かいものがありません。昼は2人でサンドイッチ。卓上コンロでお湯を沸かして一度だけコーヒーを飲みました。豆が挽いてあってよかったです´。`A(↑頭の中ではこんなコーヒーを1日中思い浮かべていました。カフェも開店休業状態だったんじゃないかと思います)

夕食は消去法でお鍋ということに。
夜までに復旧したので実際は煮炊きができましたが、
「明るいうちに・・・」
と早々と具を切ったり、肉だんごを作ったり、冷凍の白身魚やさつま揚げを解凍したりしていたので計画決行。簡単ですしね(笑)

午前中に外出したので、
世の中み~んな停電中!
というのをこの目でしかと見てきました。一番驚いたのは、
信号機が真っ暗だったこと。
不思議な眺めでした。どの色もついていないなんて。それでも住宅街の東オークランドはの~んびりとしたもので、天気も上々、パッと見にはいつも通りでした。

子どもが帰宅してそろそろ暗くなるいいタイミングで復旧し、
電気をつけては、「この明るさ!」
お湯で洗い物をしては、「この温かさ!」
みんなでラグビーを見ては、「この楽しさ!」
と、電気のありがたみをしみじみと感じました。

停電自体はあってはならないことですし、仕事に大きな影響が出た人や会社にとっては散々な1日だったことでしょう。今日、手術を受ける予定だった人など、どんなにやるせないかと思います。(今週は医者のストライキも始まるというのに)

ただ個人的には、電気のある普段の生活を見つめ直し、普通であることへの感謝を思い起こすいいきっかけになりました。思いがけないアナログな時間に、ゆっくり新聞を読み、フランスの古い友だちに手紙をしたためました。明日は快晴になって、思い切り洗濯や掃除ができますように(祈) 今はきれいな月が出ています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする