2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。
忘れえぬ2020年7月が終わります。
91歳だった父は
17日に、
ろうそくが燃え尽きるよう
に旅立っていきました。
(※温と一緒の26年前の父)
痛みも苦しみもなく見事な
大往生だったと思います。
多くの人がそうありたいと
望んでも、そうそうできる
ものではない最期でした。
妹夫婦の奔走で、コロナ禍の
中で参列する父の妹の年齢
を考慮した葬式を出し、
「直葬&そのまま当日納骨
お坊さんもなし」
というなんとも簡潔で潔い
父らしい葬儀になりました。
ホームの退去手続きから弁護士
の連絡まで一手にやってくれて
いる妹には感謝が尽きません。
(※妹宅の
「お父さんコーナー」)
今振り返ると感慨深いことに、
その2週間ほど前に善(23歳)
が突然、
「エジンバラには帰らない。
しばらくNZにいる」
と言い出し、ワーキングホリデー
ビザの残りでの再渡英を断念
次世代の1人がしっかり根を
下す覚悟を決めた直後に
父が旅立っていったのは、
その間に位置する世代として
深く感動する出来事でした。
「世の中に偶然というものはない」
といつも思ってきましたが、
その思いを新たにしました。
6月からGFちゃんが就職し、
善も転職して2人でがっつり
働き始めたので、休みも
がっつりとって
タウポへ(笑)
リフレッシュして楽しんだよう。
今月はGFちゃんの主催で
乳がん協会への募金のため
2週続けて延べ20人ぐらい
のパーティーを催したので
そのお疲れさんも兼ねて
GFちゃんは目標金額の
6倍以上を集めました
親は月初に
弾丸ロトルア
こちらも温泉でリフレッシュ
意外にもロトルア再発見の旅
近々再訪したい気満々です
この頃は父の容態が安定して
いたのが信じがたいほど。
7月は私たちのNZ移住が実現
した月でもあり、生涯大切な月。
今年は移住16周年でした。
私の思い付きで、素晴らしい
お食事で祝うことができました。
早咲きのサクラが咲き始め
願わくは花の下にて春死なん
をここにあっては実現した父。
きっと安らかになんか眠って
いる場合ではなく、持ち前の
健脚と好奇心で「あの世」を
散策し回っている頃でしょう。
忘れえぬ7月となりましたが、
All's Well That Ends Well
(※終わり良ければすべて良し)
三大欲とは食欲、睡眠欲、性欲
だそうですが、最近のキウイは
食欲の代わりに旅欲なのでは
と思うほどの旅っぷり(笑)
ロックダウンからレベル3まで
49日間の厳しい行動制限後の
反動が続いているような
昨日、NZ航空からのメールで
ブラフのオイスターパーティー
という2泊3日パッケージツアー
が出るという知らせが来ました。
「こんなのすぐ完売だろうね」
と話していたら、今日にはもう
オークランド発は
SOLD OUT
完売だと白黒(笑)
クライストチャーチ発も
残り14席
残席ありだとカラー(笑)
クイーンズタウン4泊5日も
残席2席でギリでカラー
興味深いのは、同じ4泊でも
$629→$549→$509と
値段が段々安くなっている事
需要の先細りを読んでいる
いくら安くてもリピーターは
ごくごく限られるだろうから
ロックダウンの反動がある
うちに
企画モノを連打して
需要を取り込もうと
最大の観光地クイーンズタウン
は域内経済の6割が観光関連で
新型コロナで一番影響を受け、
4人に1人が失職する見通しの
先行きが非常に厳しい場所💦
冬休み中は#サポートローカルや
オーストラリア人観光客の不在で
高級ホテルが大安売りになる中、
キウイもドッと繰り出したよう
ですが、次から次へとやってくる
海外からの観光客と違って、国内
の需要には限りがあるのが課題
と言っているうちに9月6日出発便
SOLD OUT
めでたく白黒に(笑)
息子たちが行ってきた
タウポも
驚くほど激混みだったそうだし。
経済の原動力は個人消費
個人の微力でもがんばろう
ペットさんたちが
タウポ旅行
から無事戻って来て
飛んでる息子(笑)
「
前回はワイヘキだったな」
と思ってググってみたら、
その通りだったのですが、
彼らの留守中、親はコレだった
というのに大笑い
なぜなら
今回もコレだった💦
とんこつ醤油ネギチャーシュー
@タンポポ・グレンフィールド店
夫はいつも通り味噌で。
アラカンが食べてもいいの
と思うほど背脂たっぷり~(笑)
それがネギの辛味とよく合う。
ピり辛メンマ
おかわりしたいぐらい。
コロンと来た餃子がイイ感じ
この日はラグビー観戦でした。
ブルース対
チーフス
地元ブルースよりも
チーフス推し
ガチなサポーター
私も赤と黄色で
アーロン
ダミアン
このプレーでなんで負ける~
寒い日ではなかったものの
さすがに7月に外で約2時間
となると温かいものご所望
寒くなると身体を温める作用
があるヒーティングフードの
実力を実感しますが、ネギは
ショウガに次ぐ温まり度では?
ネギ恋しさにタンポポでした。
冬の食卓には欠かせませんが
さらにドンと摂るのもよし
遠出する価値あるな~
と思う安定の美味しさ
ペットさんたちがタウポ
旅行から帰ってきました。
お天気も良くて最高だった
そうですが、どこも激混み💦
夜もピザだのバーガーだのに
長蛇の列ができていたそう。
学校休みを外したのに、周囲の
モーテル20軒ほどは1軒を除き
どこも満室。善たちのところも。
(↑こういうマーケティング
調査目線
は親と一緒かも)
船からでないと見られない
有名なこのマオリ彫刻へ。
親は行ったことがない
やって来たココは
バンジージャンプ
善(23歳)はこれが目的
だったらしいですが、
GFちゃんはパスだそう
でも
デブレッツのスパが
スゴ~くよかったらしい。
バンジーも大盛況だったそうで
冬休み中は毎日70人超が飛び
フル回転
だったとか。
キウイの#サポートローカル
の本気ぶりがわかるかも
(↑自分たちも楽しいし
)
ローカルマーケットでトゥイ
GFちゃんはチーズボード
形がなんともカワイイ
オレンジのダウンは私の(笑)
おみやげのオーガニックの
レンズ豆スープミックスと
ラタハニー
1瓶をザーッと水に入れて
煮込めば美味しいスープの
でき上り
で、ホントに
美味しかったです
また2人でがっつり働いて
次は南島進出らしいです
父の葬儀が終わって3日で、
フル回転の妹は父が入居して
いたホームの退去手続きへ。
(※どうもありがとう
)
スーツケース引きずって行き
部屋の私物を詰められるだけ
詰めて、残りの小物や家具は
処分をお願いしたそう。
妹宅にはリビングにちょっとした
お父さんコーナーができたとか。
数独とキャップが父らしい。
「鬼灯の冷徹」って漫画が大好き
だったんだけど、その中で
「49日の間にどれだけ現世の
家族がその人のことを思って
供養するかで、あの世での
処遇が決まる」っていう件りが
あったので、鬼灯さまや閻魔さま
や十王たちにも届くように、
せっせとお供えしたりお香を
絶やさないようにしています。
妹がマンガを読む人だと知り
まずビックリ(いつから?)
さらにマンガの49日の解釈に
ビックリ仰天でしたが
何であれどうであれ、人には
それぞれの弔いの方法が
あるんだな~と思いました。
私は死後の「あの世」を魂が
帰っていく場所だと信じ、
無宗教の身には「あの世」での
格差の主張は響かないので、
(※この話は
コチラでも)
弔いの気持ちは現世に残る
自分の生き方に反映させよう
と思っています。もしも自分が
先立つ身なら、残していく者の
幸せを何よりも願うからです。
まず平常心であること。
次世代を守り育むこと。
そして幸せであること
キウイの友人たちからは91歳の
痛みのない大往生ということで
それは祝福(That is a blessing)
と言われ、私もそう思います。
哀悼よりも祝福を
過去よりも未来を
がんばりましょう
移住16周年を祝いながら
人生で成し遂げてきたこと
という話を夫としました。
「一番長いのは結婚生活」
と言われて、はたと気づけば
その通り
でした。
夫婦で一緒なのは、
結婚生活:
29年
不動産投資歴:28年
猫飼い歴:27年
親歴(笑):26年
日本生活:22年
NZ生活:16年
私だけなのは、
親との生活:19年
アジア生活:19年
移住記録歴:18年
フリーランス歴:17年
勤め人歴:16年
ボランティア歴:14年
ヨガ歴:14年
(※ビーズ歴は途中の
ブレイクが長すぎ💦)
さすがにアラカンともなると
どれも長く
なってきます。
こういう日々の積み重ねが
人生を形作っているんだな
と、つくづく感じます
60代の友人がまさかのまさか
で家を売却して子どものいる
オーストラリアに引っ越す事を
決めたのを知ったばかりで、
(※今度会うのはブリスベン?)
「人生に『絶対』はない」
という事を改めて肝に銘じた
ところですが、今後の人生は
どうなっていくんでしょう
私はここで土に還りたいなぁ
でも先がわからないからこそ、
人生はおもしろい
昨日7月24日は、私たちの
移住16周年記念日でした。
16年前の昨朝オークランド空港に
到着し、その静かさと人の少なさに
移住してきたことを実感しました。
善(23歳)とGFちゃんはタウポに
旅行に行っているので2人だけ。
前々から和食で祝おうと、とある
お店にお任せを頼んでいました。
(※表立ってはしていないそう)
立派なお品書きまで用意され
春を思わせる桜色がキレイ
まずはキャビア載せ茶碗蒸し。
惜しげもない贅沢なキャビア以上
に感動した茶碗蒸しの美味しさ。
これ以上はないシンプルさなのに
プリンのような艶やかなコクとキメ
こんなに美味しい茶碗蒸しには
お目にかかったことがありません。
季節の前菜は豪快は松ぼっくり
に思わず笑顔になりました。
早春の森に分け入っていく気分。
ふろふき大根、鶏肉の八幡巻
ピリ辛田楽、うどんの磯部揚げ
ふろふきはスプーンをもらい
お汁までいただきました。
とてもじゃないけど残せない
田楽とキウイの色合いの美しさ
小槌の中は白粋牛蒡という
初めていただく上品な牛蒡
まだまだ根菜を愉しむ季節
テーブルが華やぐお造り
マグロは大根の中に隠れています。
大根が和紙のように見えます。
ツバキはお庭からでしょうか。
鯛の潮汁仕立てのおうどん
香ばしい香りが立ち込めて
やっぱり「鯛は骨」
(↑身までしっかりいただきますが)
オイルフィッシュ(バラムツ)の
柚子味噌幽庵焼
柚子の使い方が驚きで、
フワフワして見えるのは、
なんと柚子のワタ煮です
(※我が家の痩せっぽち柚子
にはこんなにワタがない
)
お寿司はまるで2人専科で、
赤海老、イカげそ、蟹身
イカ男とエビ子なので
2人とも万々歳。さらに豪華
な蟹身の大盤振る舞い
デザートは林檎のミルフィーユ
ほのかな甘さの煮リンゴに添えた
ドライアップルの優しく上品な甘味
どれも贅沢すぎるほど手が込んだ、
素晴らしいコースで言葉にならない
ほど美味しく、感激でした。
激混みの超忙しい金曜日に、たった
2人前だったのが申し訳ないほど
次回はぜひ善たちを連れて行こう
2人でゆっくり16周年を語り合い
夫のビックリ決断も出たりして
思い出深い記念日になりました
すでに始まった17年目も充実した
実り豊かな1年になりますように。
この地に受け入れられたこと、
この地で生きていけることに
心から感謝しています。
残りの人生も善きキウイとして
しっかり生きていきましょう。
宅配でドーンと届いた箱
私たちの手作り
あなたのホームメード
とあります。
さっそくコロ
がチェケラー
でも興味なさそうに去って行く
それもそのはず、
中身はコレだから(笑)
善(23歳)が1週間分頼んだ
食材宅配サービス「ウープ」
保冷剤がたくさん入っていますが
頼んだのは「ベジタリアン
」で
コロが気になるようなものはゼロ
4人の3日分の材料が全て入っていて
材料や調味料もパックしてあります。
カボチャは賽の目に切ってあり
玄米は炊いて真空パックに
冷蔵庫マグネットからカードから
レシピから、どこの国の料理かを
世界地図で示したりするシート
までサービス
ゲーム感覚
スーパーでも買える食材と
特製ソース類の組み合わせ
初日
サラダの上にキドニービーンズ
送られてきたものでレシピ通り
なのでレシピの写真にそっくり(笑)
でも、この1皿でパンもパスタも
ないってなんかお腹空かない
善は「足りてる
」と断言して
親は冷蔵庫のご飯を混ぜご飯
にして、やっと1食という感じ
2日目
カリフラワーに衣をつけた
パンフライの魚料理風
ベジタリアンでなければ
そのまま白身魚でいけそう。
初日の教訓で私がスープと
具だくさんオムレツを用意
善がスープをおかわりして
いたのは気のせいか?💦
3日目
ビックリなボリューム
ひよこ豆と玄米チャーハン。
4人で食べきれない量でした💦
経験から言うと、量がバラバラ
初日<2日目≪3日目
で量もカロリーも増えました。
お味はさすがに予想以上で、
全体的にスパイス強めです。
(↑我が家にはちょうどいい)
食材が新鮮でいいのはわかる
しかし、いつ切ったのか
いつ炊いたのか
ということが気になる私
そして個別使い切りパックから
プラスチック容器から
横が1m近くある大型の箱まで
私には精神的に耐えられない
ゴミ・ゴミ・ゴミ・ゴミ
分別して出せばいいのではなく
出さない努力をしているのに、
このあっけらかーんとした
ゴミの量には持続可能性を
感じることができませんでした。
高級食材で、インスタ映えして
オシャレで、今風ベジタリアンで
エスニックで、オーガニックで
アレで、コレでとはいっても、
自分の普段の食事のために、
こんなに環境に負荷をかける
ものがガソリン車の宅配で
家に届くというコンセプトが
私には一発アウト
(↑電気自動車でもアウト)
かつて流行った食卓に届くまで
に食材がどれだけ地球環境に
負荷をかけているかという、
フードマイレージという言葉は
食材宅配サービスの利便性や
インスタ映え
に負けて
もはや死語なんでしょうか
3日間一生懸命作ってくれた
善とGFちゃんには感謝
でも、もうやめよう
お2人さんは、タウポなう
外国人なしでも激混みらしい。
ここ数日の雨が上がって
ウォーキングに出たら
えっ
他の蕾もパンパンに膨らんだり
ほころび始めていたり
で、咲いてます(笑)💦
早咲きのカワヅザクラらしく
毎年8月には咲いていますが
もう咲いていました
願わくは花の下にて春死なん
日本人の多くが望むからであろう
平安時代から詠み継がれている
西行が31文字に託した理想の死
南半球にあっては達成した父
今日は春一番のような強い風が
吹いていましたが、そろそろこの世
を見納めて旅立っていったかな
91年3ヵ月の長い長い人生への
労いと、畏敬と、感謝と、祝福と。
どうか高い所から私たちを
見守っていてください
妹から興味深いメール
が
来たのでまたまた勝手転載(笑)
7月12日に行った時にナースに
言われたことがありました。
どうもお父さんはここまでに2回、
お母さんが来た、と思ってると。
「お母さんが帰った後」は食欲
が出て水分もびっくりするほど
ゴクゴク飲むんですって。
7月10日に叔母さんが行って
「とっても元気でよく喋ってたわよ。
顔も前回よりふっくらしてた」
って言ってたの。ただし、そのよく
喋った内容が温くんと善くんの事で
熱心に2人の最新情報を語ってて、
叔母さん的にはちょっと「❔❔」
だったらしいんだよね。
(↑叔母は2人が子どもの頃に
会ったきりなのです)
妹は父が叔母を母と勘違いして
孫の話をしていたと思ったよう。
でも、父は年齢的な物忘れは
あっても認知症を感じるような
会話や発言が1度もなかったので
それは幽体離脱だったのでは?
と思いました。別ブログ
「みたび」
でちょこちょこ記録している
夢日記がまさにその状態で、
眠っている間に魂が身体を
抜け出して、行きたい所に
自由に行っている経験です。
(※
天国は何度も登場します
)
魂が自分の身体(大概は自宅
として登場します)に戻る瞬間
まで思い出せることもあります。
父のガンは頭に転移していた
ので最期の数週間はよく寝て
いました。その間に身体を離れ
た魂が、母や温や善を訪ねて
叔母に孫の最新情報を語れる
ほどになっていたのか(笑)
妹の所や我が家にもきっと
来ていたことでしょう
いや、まだその辺にいるかも
「お父さんは骨太だったので、
火葬に時間がかかりました」
という義理の弟の報告もあり、
その健脚で天国への階段を
しっかりと昇っていってね。
ウェリントンにあっさりあった
天国への階段(笑)
今日は父の葬儀の日でした。
北に向かって冥福を祈りました。
ちょうど大雨が降っていました。
旅立ちの雨は縁起がいいそうで
緑も一段と鮮やかで美しい
妹が状況が目に浮かぶリアルな
メールを送ってきてくれました。
参列したのは父の妹たち4人に
ご主人の1人と妹夫婦でした。
コロナ禍とはいえ、アニキが亡くなったのに
「直葬&そのまま当日納骨。お坊さんもなし」
という強引なスケジュールはさすがに不満
な人もいるかな、と思ってたらみんな当たり
前のようにすんなり受け入れてくれました。
棺には写真で送った数独の本2冊と鉛筆に
加えて新聞の切抜きもいっぱい入れました。
本2冊じゃすぐ終わっちゃいそうだから。
なにより、お父さんの骨の立派さと美しさよ
みんなで驚嘆の声を上げちゃった。
真っ白。
悪かったところは色が悪いと言うじゃない。
眩しいくらい真っ白だったよ。
骨の残り具合も粉々になったりしてなくて、
膝や肘や足の付け根の関節なんか、ハート
型みたいな原形のままだし、腕や脚の骨も
肘から手首とか膝から足首くらいまで、
長いまま。耳も固まりで両耳とも耳の穴まで
そのまま。理科室の標本みたい。
ひとつひとつの解説にみんなでわぁわぁ
声上げて賑やかな骨上げ(←想像できる)
骨壺にぎっしりで重くて、運ぶのはオットに
託されました。みんなも代わる代わる持って
「これ腰やられる」って(笑)
成長する少年時代にはたいしたもの食べて
なかっただろうし、原爆の翌日に爆心地に
入って多少は被爆もしてただろうし、大人
以降はタバコに酒に糖尿にと褒められない
91年3ヶ月の答がこの骨なら立派すぎ
全体的に明るく穏やかな1日でした。
夜ご飯
は善(23歳)が作ってくれ
完全なベジタリアンでお腹が空いた
親たちは、後からご飯
追加(笑)
善にシティーのジャパレスで串団子🍡
を買ってきてもらい、和菓子好きだった
父を偲びながら4人でいただきました。
(↑きな粉好きなGFちゃんまで・・笑)
父は数独が好きでした。
特にNZのヘラルド紙に載る
ものが気に入っていて、
「NZのはやりでがある
」
といつも言っていました。
夫がせっせと切り抜き、
私が手紙を添えては
定期的に送っていました。
送ると
葉書の礼状が来て
そんなやりとりが10年近く
続いていました。
これは古本で見つけた
フランス語の数独(笑)
コロナの影響で郵便事情が
悪くなり、最期の方は届いた
のかどうか不明でしたが、
妹によると机の上に開封
した手紙があったそうで、
いくつかは届いていたのか。
妹が葬儀屋さんに確認して
長旅に出る父に数独と鉛筆
をお供させることに
チビた鉛筆がなんとも愛着
の度合いを示しています。
数独用にゴルフのスコア
を記入する小さな鉛筆(?)
を気に入っていた時期も。
消しゴムにもこだわり、妹が
手当たり次第買っていたり。
スポーツから囲碁将棋まで
多趣味ながらも凝り性で
数独は最後の趣味でした。
今夜は豪勢なポットラックで
13人の大パーティー
(↑狭い我が家基準)
我が家の調理は善(23歳)担当
ピザは生地から3種類作り
手前から肉アリ
ベジタリアン
一番奥がビーガンで
チーズもナシ
ビーガンラザーニャも男子作
もちろん肉ナシ、チーズなし
ダイエットや宗教の関係で
エビなど甲殻類ダメ
豚肉ダメなどいろいろあり
ベジタリアンやビーガンが
幅広くOKだったりします。
今時の食事って複雑です。
その分いろいろ楽しめる
イスラエルクスクス
テーブルの下にはピンクの小旗
NZでピンクといえば乳がん協会
協会が企画した募金集めのための
ピンクリボン・ブレックファスト
企画に参加すると、ピンク尽くし
のキットが箱で送られてきます。
自宅でパーティーをして募金を
集めようという、NZらしい企画
でも、朝ごはんパーティーでは
仕事の関係で全員は集まれず
夜のブレックファストに
パーティーの主催はGFちゃん
ママが乳がんサバイバーで
協会を支援したいという
熱心な思いで先週と今週と
2週続けてのパーティーでした。
GFちゃん作ピンクのスイーツ
先週は善のカード関係者向け、
私たちは欠席してドライブへ。
「人生の片づけ」と称した
年初のダウンサイジングで
来客時の折り畳みテーブル
から何から一式寄付して💦
着席はムリな人数でした。
テーブルがお皿でいっぱいに
今日は善の高校時代の友だち
男女10人が11人に増えて、
GFちゃんがタジタジなほどの
弾丸トークがさく裂
親も混じり楽しい夜でした。
高校時代からの知っているので
かれこれ8、9年の付き合い
パートナーがいないのは1人に。
全員でビックリだったのが、
みんな自分たちの子どもの名前
をすでに決めていること~
(※パートナーがいない子も💦)
善とGFちゃんもすでに決定
ここからはどのカップルが
1番最初に親になるか
父の旅立ち直後のまさかの話に
こうやって命がつながって
世代が変わっていくんだな
とつくづく感じました
GFちゃん、お疲れさまでした
父が他界したといっても
日常生活が変わる訳ではなく
今日はボランティアに行き、
冬休み中で一段と忙しく💦
目いっぱい働いてきました。
帰宅後は仕事でいつも通り。
昨晩は善(23歳)が気を使って
ご飯当番
を代わってくれ、
生涯初のカキフライに挑戦
養殖場で買ってきたカキ
サックサクにできました。
これにカレーライスの晩御飯
心がこもって美味しかった
ホームの方で記録しておいて
くれた父の最期の様子を
妹が写真で送ってくれました。
びっしり書き込んであり、
おかずをお見せすると
「もういらない」と仰り、
お薬のお声掛けをすると
「一番いらない」と仰る
父らしい合理的な様子に
「おとうさんだよね~」
とみんなで大笑いでした。
父は9人きょうだいの次男で
長男と三男がすでに他界し
男きょうだい2人は遠方で
この状況での上京は無理
女きょうだい4人は全員横浜
在住なので、喪主の妹の
判断で直葬という簡略式
なお葬式にするそうです。
叔母たちも全員70~80代の
何らかの持病持ちなので、
時節柄、密を避けて時短
でという配慮だそうです。
NZパスポートの私たちは
日本に入国できないため
遠くから冥福を祈ります
父が今日、他界しました。
文字を打ってみて、改めて
感じる他の世界への旅立ち
1929年、昭和4年生まれ、
91歳になっていました。
父は今年1月下旬に自分で
ホームに入ることを決め、
入居に当たって健康診断を
受けたところ、ステージ4の
肺ガンであることが発覚。
しかし、痛みも苦しみもなく
うつるものではないので入居
にも問題ありませんでした。
妹夫婦の奔走で無事入居し
私たちも
2月初旬に会いに
行き、元気な姿と安心した
様子にホッとしました。
@ホームのロビー
妹づてに聞く
新生活の様子
もなかなか順調そうでしたが
(※ここで何回か一緒に食事)
転んで歩行器をリースしたり
ベッドを介護用に変えたりと
「そんなの必要なの」
と半信半疑のうちに、あっと
いう間に手放せなくなって、
経験のあるホームから先手
先手で勧められるものは、
全てがすぐに必要になって
くるものばかりでした。
入居後半年の短い間でしたが
誰よりも本人が気に入って
「みんなよくしてくれるよ」
と、いつも満足そうでした。
昨日は父と妹夫婦と私たちと
ビデオスカイプをしました。
父はもう話せなくなっていま
したが、耳だけは地獄耳
私たちの話に表情を変えて
完全に理解していました。
表情がニヤけて笑っている
ような時もありました。
最期の最期まで痛みもなく
緩和ケアも必要ないまま、
ろうそくが燃え尽きるように
小さくなった灯がふっと消え
旅立っていきました。
91年3ヵ月4日の大往生
大戦も戦後の復興も経験し
真面目に懸命に生きた人生
お疲れ様でした
(※抱っこされているのは長男
26年前の父です)