欧介や蒼太が通っていた警察犬訓練所には、警察犬もいれば、災害救助犬もいました。
彼らは、お仕事をする犬でありながら、お仕事の練習をしている時は、
とっても楽しそうで、イキイキとしていて、それがお仕事に繋がる厳しい訓練に
耐えてやっているようには全く見えませんでした。
訓練士さんたちは、皆さん
「犬は、ツライ、苦しいと思ったらやりませんよ~。」と言います。
彼らにとって、訓練は楽しい遊びなのだ。そういう訓練ができなければ、
匂いを嗅ぎ続け足跡を追うとか、遭難者の匂いを探し続けるなんてできるわけがないのです。
以前、まだ新米の訓練士さんが、担当している犬に一生懸命教えようとしていたが、
犬は混乱し、嫌がり、訓練士さんはその犬の行動を責め、はたから見ていても
お互いに上手くいっていないのが見て取れた。
すると、所長さんが、「初めっから、丁寧に教えてやれよ!お前の感情で犬を痛めつけても、
ダメなんだよ!!」と怒鳴っていた。
すんごいっ、ストレートだった。直球だ。
私はドキッとした。
その頃の私は、欧介が分かっててやらないのか?分かって無くてやらないのか?
よく分からなかった。
できないこともやらないと判断して、イライラしたり怒ったりしていたのだ。
O先生の判断で、「欧介は分かってますから、やらせましょう!」って言われても、
「欧介は分かってないのでもう少し教えましょう!」と、言われても、
何をどう判断してそう見ているのか?さっぱりわからなかった。
と言うことは、知らず知らず、その新米訓練士さんがしているのと同じことを
欧介にしているのではないかと思いました。
その新米訓練士さんを見て、私が感じた物は不快だったのだ。
一生懸命なのは分かるけど、なんか見てて不快感があった。
この感覚を忘れてはいけないと思いました。
それからは、犬が理解できているか?どうか?常に考え、注意深く反応を見るようになりました。
少しでも理解不足なんじゃないかと思う節があれば、より丁寧に教えるようにしました。
分かってても私に集中してなくて、やらないとか、
オヤツをもう少し欲しいのに、思ったようにもらえないからやらないとか、
天候などの理由でやりたくないなど、明らかにやらない理由が分かる時だけ、
「やりなさい!!」と言う態度を取るようにした。
そのことで欧介が変わったのは言うまでもありませんが、
周りの反応、特に服従訓練をしていることに対する批判と言うものが、全く無くなりました。
犬を理解し、適切な態度で訓練をしていると、周りの人も不快感が無いんですね。
私の場合は、「そんな小さな子に訓練なんかして、かわいそうだ」とか、
「お勉強ばかりでかわいそうね~」、挙句の果てには、
「訓練をしたばっかりに、飼い主に従い左側を歩くようになってたから、道の向こう側から
道路を渡っちゃって、車に轢かれちゃった子がいるのよ~そうならないように。」
なんて遠回しな厭味を言われちゃったり。。。ていうか、マテで止まれなかったのか?って
話なんだけど。。。
逆に、「きちんと叱らないとダメだ」とか、「甘やかすからだ」と普段は、
散々責められたので、どちらも私が欧介を理解できずに、方法ばかり頭でっかちで、
欧介を見れずに聞きかじったり、よいと思われる方法を当てはめてやってみて、
私は一生懸命やってるのに・・・私は・・・って感情が周りを不快にしていた。。。
もしも、今、そんな風に人に責められたり、叱られたり、厭味を言われたりして
傷ついている人がいたら、しつけに対するアプローチの仕方ではなくて
犬の本当の気持ちを理解できているだろうか?伝えたいことがきちんと伝えられているのか、
もう一度よく考えて見ることをお勧めします。
犬が吠える、引っ張る、咬みつくこれらすべてやって欲しくない行動です。
これらの起こる理由を考えるのは原因を追及する意味で大事です。
でも、もっと大事なのは、吠える、引っ張る、咬みつくの対象を除去することじゃないんですね。
視界を遮ったり、気をそらしたり、避けたりするのは一見有効な手段に見えますが、
それをして欲しくない!というこちらの気持ちが果たして伝わっているか?
伝えるためにストレートにドキッとするような気付きを犬に伝えられているか?
あの時の所長さんのストレートで分かりやすい直球は、
私の心は受け止めやすかったのでした。