旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

鎌原観音堂

2009年03月26日 | 旅 歴史
 今日は群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原にある鎌原観音堂を紹介します。
 天明3年の浅間山大噴火で鎌原村は時速100kmの火砕泥流に襲われました。この村には477人の村人が住んでいました。
 その時、この観音堂に逃れた93人だけが奇跡的に助かりました。以来、観音堂は厄除け観音として信奉されています。
 観音堂の前の石段は現在15段ですが本来は50段ありました。この石段を最後まで駆け上がった村人だけが火砕流から逃れることができました。わずか数段上りきれずに命を落とした人も発見されています。
 残った村人はそれぞれ縁を組み、新しい家族となって村を再建していった、という悲しい云われのある場所です。
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旧官営富岡製糸場

2009年03月20日 | 旅 歴史
今日は群馬県富岡市富岡にある旧官営富岡製糸場を紹介します。
 安政6年(1859)の開港により、日本の生糸は、品が不足していた欧米各国に輸出され活況を呈しました。横浜には、各国の貿易商社が軒を並べました。
 ところが品質のよくない粗悪な生糸が出回り不評を買いました。明治新政府は欧米の生糸に劣らない製品を生産するため創設責任者に尾高惇忠を任命し、洋式の製糸の機械の導入して近代的な生産方式を確立しようとしました。
 フランス人ポール・ブリュナに指導され、家内生糸生産が盛んであったこの富岡に官営の製糸工場が建設されました。明治5年(1872)7月工場完成し10月から操業が開始されたそうです。
 ブリュナなどの外国人が赤ワインを飲んでいるのを若い娘の血を飲んでいるなどと噂され、工女が思うように集まらなかったそうです。
 政府命令によって士族などの子女が集められ軌道に乗ったそうです。そしてここで修行した子女が自分の地方に戻った時には機械式生糸生産の指導者として活躍したそうです。
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龍光寺

2009年03月09日 | 旅 歴史
今日は群馬県富岡市富岡にある龍光寺を紹介します。
 龍光寺の墓地には、数カ所に分散されて48人の旧官営富岡製糸場工女の墓があります。明治6年6月には全国から集められた工女はは550人を上回ったそうです。
 富岡製糸場は官営の模範製糸工場として、明治5年(1872)10月に操業を開始しました。そして機械による製糸の技術習得のため多くの女性が集められたのです。
 明治26年までに不幸にして病気などで亡くなった者女性は64人ほどいて、大半は遠い異境の地から富岡にきた人たちでした。この龍光寺と海源寺に埋葬されたそうです。
 龍光寺で有名な物は板碑 (いたひ)と梵鐘です。緑泥片岩という青石を材料とした、高さ140cm、幅45.5cmの長方形の板碑は群馬県の有形文化財に指定されています。
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貫前神社

2009年03月05日 | 旅 歴史
今日は群馬県富岡市一ノ宮にある貫前神社を紹介します。
 貫前神社は,千年余を経た古木に囲まれた荘厳な静けさの中にあります。鳥居から長い階段を下ったところにあります。
  高さ395cmの一対の銅製燈籠は、慶応元年(1865)に制作され慶応2年にここに建てられました。地元の養蚕農家をはじめ上州、江戸、横浜の生糸、絹商人などから4790両もの献納金が集まったそうです。富岡市指定重要文化財です。
 531年に武神である経津主神 (ふつぬしのかみ) と農耕の神、比売大神 (ひめおおかみ) を祀ったのが始まりで、1500年近くの歴史があります。
 現在の社殿は3代将軍徳川家光の命によって建てられたそうです。江戸時代初期の漆塗りで極彩色の社殿は国の重要文化財に指定されています。
 本殿・拝殿・楼門は,寛永12年(1635)3代将軍家光が再建し、その後元禄11年(1698)に5代将軍綱吉の時代の大がかりな修理をしたということです。
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