旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

長宗我部元親 墓石

2009年05月31日 | 旅 歴史
 高知県高知市長浜にある長宗我部元親墓石を取り上げてみます。
 長宗我部元親の墓は長浜天甫寺山の南斜面の森の中にあります。元親は天文8年(1539)岡豊(おこう)城で国親の長男として誕生しました。永禄3年(1560)の本山氏との「戸ノ本の戦い(現高知市長浜)」が元親の初陣となりました。
 永禄6年(1563)本山氏を朝倉城から追い、安芸氏、津野氏、一条氏を次々と破り安芸郡東部を平定して土佐を制覇しました。天正13年(1585)には四国を平定しました。豊臣秀吉の四国征討で敗れたものの、土佐一国を安堵されました。
 以後、忠実な秀吉傘下の大名となり羽柴姓まで許されました。秀吉の九州征伐の際に戸次川合戦で長男信親を亡くし失望のあまり精神を病んだといわれています。
 慶長4年(1599)年4月初旬、元親は病気療養のため盛親を伴って上洛し、京都伏見の邸に入りました。豊臣秀頼に謁見した後、5月19日、61歳の生涯を終えました。遺言により天龍寺で火葬し、遺骨は土佐へ送られ、天甫寺山に葬られました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/


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浦戸城跡

2009年05月31日 | 旅 歴史
 今日は高知県高知市桂浜にある浦戸城跡を紹介します。
 浦戸城跡は鎌倉時代の終わり頃この地の豪族の城として築かれました。天文年間(1632-54)本山梅慶の城砦になり、本山氏滅亡後、土佐を平定した長宗我部元親の家臣横山友隆が城代になりました。
 元親は天正16年(1588)岡豊城から大高坂城高知城に城を移しましたが、水害が重なったため3年でこの浦戸城に本城を移すことにしました。その後10年間、浦戸城が政治、軍事の中心になりました。関ケ原の合戦後の慶長6年(1601)山内一豊が遠州掛川城から入封します。同8年高知城に移り、浦戸城は廃城になりました。


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善楽寺

2009年05月30日 | 旅 歴史
高知県高知市一宮にある善楽寺です。
 百々山(どどざん)善楽寺は真言宗豊山派のお寺です。大同年間の頃に弘法大師が土佐一の宮の別当寺として善楽寺を建立しました。
 明治の神仏分離によって 善楽寺は土佐神社から離れ、続く 廃仏毀釈に依って廃寺となりました。
 その際に本尊は土佐の国分寺に、仁王像は 最御崎寺に預けられたそうです。その後、高知市の安楽寺に本尊が移され安楽寺が善楽寺のあとを継ぎ四国八十八箇所霊場30番目の札所となりました。
 昭和5年(1930)善楽寺が復興したため2つのお寺が30番札所となってしまいました。双方とも札所を主張したため巡礼にまわる人々は混乱しました。
 平成6年(1994)に善楽寺が30番目の札所になり、安楽寺は奥の院として正式に定められました。
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龍乗院

2009年05月30日 | 旅 歴史
高知県高知市比島町にある龍乗院(りゅうじょういん)を紹介します。
 一乗山大中寺龍乗院は天台宗のお寺です。開基は山内一豊で、日讃永厳を開山として安土桃山時代の慶長5年(1600)に創建されました。
 板垣退助の生家にあったとされる門は龍乗院の山門になっています。絹本着色普賢延命像(けんぽんちゃくしょくふげんえんみょうぞう)は縦106cm、横56cmの鎌倉時代の作品で国の重要文化財に指定されています。
 初代住職の日讃永厳は164歳まで生きたといわれています。元和元年(1615)、大坂夏の陣の和平交渉に軍師として参列していたそうです。
 寛文11年(1671)に土佐藩主山内豊昌により現在地に移されたそうです。明治元年(1868)に国清寺と静林寺を統合して現在に至っています。
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寒霞渓

2009年05月29日 | 旅 歴史
 香川県小豆島町寒霞渓にある寒霞渓を紹介します。
 寒霞渓(かんかけい)は、香川県の小豆島にある渓谷で群馬県妙義山、大分県耶馬渓とともに日本三大渓谷に選ばれています。
 1300万年前の火山活動で生まれ、風雨の浸食作用が造りあげた奇岩怪石が続きます。
 切り立った岩壁の間をすり抜けるロープウェイで山頂まで5分で上れます。絶景を空中から眺めることができます。
 日本書紀にも記述があるほど歴史は古く当時は鉤掛山、神懸山などと呼ばれていたそうです。明治時代に藤沢南岳という儒学者によって寒霞渓と命名されたということです。
 山頂の展望台には瓦 投げができるところがあります。この輪の中にうまく入ると願いがかなうそうです。
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小豆島ふるさと村

2009年05月29日 | 旅 歴史
 今日は香川県小豆郡小豆島町室生にある小豆島ふるさと村を取り上げます。
 小豆島ふるさと村の入口に小豆島町立美術館の夢想館があります。平成2年(1990)ふるさと創生事業の1億円を使って建てられたそうです。時の総理大臣の海部首相の筆による銘があります。郷土出身の現代画家の作品などを展示しています。
 小豆島の自然の中でのスポーツ、レジャー、特産品や文化を有効利用した滞在型、参加型観光レクリエーション施設です。道の駅でもあります。「日本夕陽百選」に認定された美しい瀬戸内海の景色も堪能できます。
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二十四の瞳映画村

2009年05月28日 | 旅 歴史
 今日は香川県小豆郡小豆島町田浦甲にある二十四の瞳映画村を紹介します。
 壺井栄の小説「二十四の瞳」をテーマとする映画と文学のテーマパークです。
 「おなご先生」こと大石先生と12人の子供たちの心のふれあいを描いた物語です。
 昭和29年(1954)に木下恵介が監督をした松竹映画「二十四の瞳」は全国で大ヒットして主演した高峰秀子はスターダムに上りました。
 この映画村のオープンセットは昭和62年(1987)の松竹映画「二十四の瞳」の時に建てられました。朝間義隆が監督をし、主演は田中裕子でした。このセットを保存して使用して映画村にしています。

 壺井栄文学館には小豆島出身の壺井栄の代表作「二十四の瞳」の生原稿や生前の愛用品、数々の出版本を展示しています。また夫の詩人壺井繁治の書簡や色紙なども展示しています。
 小豆島から壺井栄、壺井繁治の他、作家の黒島伝冶が生まれています3人とも苦しい生活の中から、激しい弾圧にも屈せず自らの文学を築いています。

 映画村にある岬の分教場は昭和61年(1988)映画撮影のために建築されました。映画村より600m手前にある岬の分教場は昭和29年(1954)の「二十四の瞳」の時に舞台となったところです。
キネマの庵には1950年代の日本映画の黄金期の映像が流され、スターの写真なども飾られています。ミゼットのまわりに「二十四の瞳」や「七人の侍」、「羅生門」など松竹、東宝、東映、大映、日活5社の作品が堪能できます。
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マルキン醤油記念館

2009年05月27日 | 旅 歴史
 香川県小豆郡小豆島町苗羽甲のマルキン醤油記念館です。
 全国でも五本の指に数えられるマルキン醤油の記念館です。明治40年(1907)の創業で創立80周年を記念してこの記念館を造ったそうです。
 この建物は百年も前の大正初期に建てられた工場です。ここで諸味からしょうゆを搾り出していたそうです。合掌造りとしては最大規模を誇るもので、平成8年(1996)に国の有形文化財に登録されたそうです。

 記念館にはしょうゆの製造工程のパネルや、しょうゆ造りのためのさまざまな道具類が展示されています。元祖「しょうゆソフトクリーム」も販売されています。
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小豆島オリーブ公園

2009年05月27日 | 旅 歴史
 今日は香川県小豆郡小豆島町西村甲にある小豆島オリーブ公園を紹介します。
 オリーブと花に囲まれた公園です。海を見下ろす小高い丘にあります。オリーブの木やハーブが日本にいる感覚を失わせます。
 日本のオリーブの発祥の地でもあり道の駅にもなっています。白亜のオリーブ記念館からはエーゲ海のような瀬戸内海と田ノ浦岬が見渡せます。

 小豆島はギリシャのミロス島と姉妹島になっているそうです。小豆島オリーブ公園にはハーブガーデンやハーブクラフト館、芝生広場、ギリシャ風ロッジなど併設されています。
 オリーブ記念館内にはオリーブの女神アテナ像があります。周りにはオリーブオイルなどお土産を売るショップやレストランなども入っています。
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平和の群像

2009年05月26日 | 旅 歴史
 平和の群像は香川県小豆郡土庄町吉ヶ浦土庄港んいあります。
 平和の群像は平和への祈りを込めて昭和31年(1956)に制作されました。土庄港の桟橋前広場に建てられています。
 不朽の名作「二十四の瞳」をモデルにしたブロンズ像です。大石先生と12人の子供たちの像です。
 愛と平和の願いをこめて彫刻家の矢野英徳氏が創作したそうです。オリーブの歌の石碑やオリーブの女神の像も同じ場所に建てられています。
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禅師峰寺

2009年05月26日 | 旅 歴史
高知県南国市十市にある禅師峰寺を紹介します。
「峰寺(みねんでら)」として親しまれている禅師峰寺は真言宗豊山派のお寺です。四国八十八ヶ所霊場の第32番目の札所になっています。 
 神亀年間(724-729)に行基が建立したといわれています。印度の補陀洛山に似て、八葉の蓮台に似ているところから八葉山とし、行基菩薩が開いた峰の寺の意味で禅師峰寺と名付けられたそうです。
 この地で求聞持法の修行をしていた弘法大師は、船の安全を願って自刻の十一面観世音を安置したそうです。
 海上交通の安全に霊験があるとされ船魂観音(ふなだまかんのん)と呼ばれて敬われています。土佐藩主が参勤交代で江戸に向かう時、必ずお参りしたそうです。
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国分寺

2009年05月26日 | 旅 歴史
 今日は香川県高松市国分寺町にある国分寺(讃岐)を紹介します。
 白牛山国分寺は古義真言宗御室派のお寺です。御室派とは、京都御室仁和寺を総本山といただく宗派です。国分寺は別格本山でもあるそうです。また国分寺は四国八十八箇所80番目の札所にもなっています。
 この国分寺も聖武天皇が天平13年(741)に発した国分寺建立の詔により、日本各地に建立された国分寺の1つです。
 寺伝では行基が十一面千手観世音菩薩を本尊として開基したとされています。
 この国分寺と、讃岐国分寺跡は国の特別史跡に指定されています。
 発掘調査の結果、奈良時代の讃岐国分寺は、現在の国分寺や東隣にある宝林寺を含む、南北240m、東西220mの境内地を有していたそうです。
 この国分寺の本堂は奈良時代の講堂跡に建っていて、今の本堂はこの礎石を再利用しているそうです。
 木造の千手観音立像は行基が造り、空海が手直ししたといわれています。実際には平安時代後期の作のようです。
 本堂は鎌倉時代後期の建築て゛国の重要文化財に指定されています。弘仁年間(810-824)に弘法大師が本堂などを修復しましたが、天正年間(1573-1592)に戦火にあい本堂と鐘楼のほかはすべて焼失したそうです。
 梵鐘は創建当時からのもので奈良時代のものです。これも国の重要文化財に指定されています。慶長14年、高松藩主の生駒一正が、この鐘を気に入り、城内に持ち込みました。ところか゛鐘は少しもならず城内外に悪いことが重なりました。そのため一ヶ月足らずで返されたそうです。。
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大阪城残石公園

2009年05月25日 | 旅 歴史
 今日は香川県小豆郡土庄町小海甲にある大坂城残石記念公園を紹介します。
 徳川幕府が落城した大坂城の拡張、修築工事の石垣石の産出を行った場所です。道の駅にもなっていて資料館も併設されています。御影石を切り出した石丁場、残石などに関わる写真や古文書のほか、当時の石の運搬に使われた道具類や石工が使う用具類などが展示されています。
 園内には重さ5トンもある50近くの御影石が並べられています。残された石の保存と活用を図るための展示施設が整備され、石文化を伝えています。また石の搬出に係る港湾も一体で整備されています。

 修羅といわれる大きな石を運搬する木枠があります。さまざまな形や大きさがあり堅い樫の木で造られていました。
 ロクロといわれる木製のウインチも使われました。横から見ると台形型の木枠に太い円柱型の軸木をはめこんだ形状をしています。軸木上部に樫の木の細長い棒を差し込んで回転させたそうです。
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小豆島大観音

2009年05月24日 | 旅 歴史
 今日は小豆島にある小豆島大観音を取り上げます。
大本山小豆島大観音仏歯寺は別名しあわせ観音とよばれています。高さが50mはあるだろうと思われる白亜の小豆島大観音像は小高い丘の上に立っています。
 観音像の中に釈迦の歯の分骨を祀っている本堂があります。スリランカにある有名なお寺の仏歯寺より分与されたもので 「仏陀のミハ」 と呼ばれています。スリランカの仏歯寺と姉妹寺院になっているそうです。

 本堂内にはエレベータで上れる展望台、釈迦殿があります。最上階の展望窓からは島の風景や瀬戸内海を見渡すことができます。
 この観音像は竣工されたのが平成6年(1994)で松久宗琳という大仏師と清水建設が力を合わせたそうです。開山されたのは平成7年(1995)だったそうです。

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霊山寺

2009年05月19日 | 旅 歴史
今日は徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻にある霊山寺を紹介します。
竺和山(じくわさん)霊山寺は高野山真言宗の寺院です。「一番さん」と親しまれる四国八十八箇所霊場の第1番札所になっています。
 弘仁6年(815)に弘法大師がここを訪れ21日間逗留して修行したといわれています。
 天竺(インド)の霊鷲山で釈迦は仏法を説いていました。天竺の霊山である霊鷲山を日本に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け第一番札所としたといわれています。
 本尊の釈迦如来は弘法大師が刻んだそうです。左手に玉を持った坐像です。
 仁王門を入ると、左に鐘楼、多宝塔、正面に本堂、右に紀州接待所、大師堂、本坊があります。
 室町時代には三好氏の庇護を受け、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つでした。
 天正年間(1673年 - 1693年)に長曽我部元親の兵に焼かれましたが、徳島藩主蜂須賀光隆によって再興されました。その後明治24年(1891)の出火でまた多くの建物を失っってしまいました。本堂と多宝塔以外は近年の再建です。
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