旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

由布院美術館

2010年10月31日 | 旅 歴史
 大分県由布市湯布院町川上岩室にある由布院美術館です。
 昭和35年(1960)湯布院で42歳の生涯を閉じた放浪の詩人画家・佐藤渓(けい)の作品と万華鏡を常設展示しています。
 佐藤渓は日本全国を放浪して詩と絵をつくり続けました。一風変わった展示ルームが中庭を囲むように配されています。


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宇奈岐日女神社

2010年10月30日 | 旅 歴史
 大分県由布市湯布院町川上にある宇奈岐日女神社です。
 宇奈岐日女(うなぎひめ)神社は由布岳の神とされ、祭神に国常立尊、国狭槌尊、彦火火出見尊など6つの神を祀っているため六所宮(ろくしょぐう)とも呼ばれています。
 神社の名称となっている宇奈岐日女は鰻の化身とも言われ、祭神の中には入っていません。伝説によると美しい女神で力自慢の醜巨神、道巨命(みちのおみのみこと)に命じて湯布院の地を開拓したとされています。
 社伝によれば、創祀は景行天皇12年(紀元82年)とされていますが明らかではありません。続日本後紀に豊後国宇奈岐日女神社に嘉祥2年(849)に神階従五位下を授けるとの記述があることから社歴は古いことがわかります。
 明治維新まではまでは別当を務めた臨済宗の佛山寺と習合していましたが、神仏分離により現在の姿となりました。明治6年(1873)郷社、大正12年(1923)県社に列せられました。
 境内は1万坪を超え、境内は樹齢300年を超える杉の老木で覆われています。流造りで朱塗りの社殿と神門が荘厳な雰囲気を出しています。


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ヤマコ臼杵美術博物館

2010年10月29日 | 旅 歴史
 大分県臼杵市深田にあるヤマコ臼杵美術博物館です。
 臼杵石仏の隣にあるヤマコ臼杵美術博物館は旧臼杵藩主稲葉家に伝わる漆工芸品を中心に展示しています。
 中津藩から臼杵の稲葉藩にお嫁入りしたお姫さまの婚礼道具である化粧箱や香道具、貝あわせなど目を見張るものがあります。2階は臼杵石仏周辺で発掘された中世の遺物を展示しています。


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臼杵石仏・古園石仏

2010年10月22日 | 旅 歴史
 大分県臼杵市深田、前田、中尾にある臼杵石仏・古園石仏です。
 古園石仏は山王山石仏から山裾に下り、丘に沿ったところにあります。崖を深くえぐって彫られています。
 中尊の大日如来像は豊かな頬と半月の眉、半眼を閉じた目、小さな唇でわが国の石仏中でも最高傑作といわれています。


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臼杵石仏・山王山石仏

2010年10月21日 | 旅 歴史
 大分県臼杵市深田、前田、中尾にある臼杵石仏・山王山石仏です。
 山王山石仏はホキ石仏群、堂ヶ迫石仏群からは谷を隔てたところにあります。
 通称「かくれ地蔵」と呼ばれる3体の如来像で、中尊の如来は高さ2,6m、豊満な体で童顔です。


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臼杵石仏・堂ヶ迫石仏群

2010年10月20日 | 旅 歴史
 大分県臼杵市深田、前田、中尾にある臼杵石仏・堂ヶ迫石仏群です。
 堂ヶ迫石仏群はホキ石仏群の南側にあります。4つの石仏群があります。高さ1.2mの地蔵半跏像を中尊とした地蔵十王像です。隣には大日如来を中心に右に観音、釈迦、左には弥陀、勢至が彫られています。
 別のところには阿弥陀如来を中尊として左右に薬師、愛染明王、釈迦が彫られています。その隣には釈迦如来群があります。


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臼杵石仏・ホキ石仏群

2010年10月19日 | 旅 歴史
 大分県臼杵市深田、前田、中尾にある臼杵石仏・ホキ石仏群です。
 ホキ石仏群は2ヶ所あり、右側の石仏群は9体の阿弥陀を中心に観音、勢至菩薩、天部2体の13体が刻まれています。小像でかなり傷んでいます。
 左側は阿弥陀3尊像で臼杵石仏の中でも傑作といわれています。中尊の高さは2.85m、丸彫りに近い巨体は量感に富んでいます。


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臼杵石仏

2010年10月18日 | 旅 歴史
 大分県臼杵市深田、前田、中尾にある臼杵石仏です。
 臼杵石仏は臼杵市深田、前田、中尾の丘陵の山裾の谷間の露出した凝灰岩に刻まれた磨崖仏群です。奈良時代の敏達天皇の時に「真名野長者」と呼ばれた者が子の死を悼み中国より蓮城法師を呼んで磨崖仏を刻んでもらったという伝説があります。
 実際には平安時代後期から鎌倉時代にかけて刻まれたと推定されています。ホキ石仏群(ホキ石仏第2群)、堂ヶ迫石仏群(ホキ石仏第1群)、山王山石仏、古園石仏の4つに大別されていて、59体の石仏が国宝に指定されています。


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大分県キリシタン殉教記念公園

2010年10月17日 | 旅 歴史
 大分県大分市葛木にある大分県キリシタン殉教記念公園です。
 大分県キリシタン殉教記念公園は昭和35年(1960)、キリスト教徒であった当時の大分市長上田保が中心となり、九重町の篤志家の寄付によって造られました。
 慶長17年(1612)に幕府直轄領にキリシタン禁教令が出され、翌年に全国に拡大されました。安土桃山時代、領主であった大友義鎮(宗麟)らのキリスト教への改宗により大分はキリシタンの中心地でひとつで最盛期には1万人を超えるキリシタンがいたそうです。ここでも厳しい取締りが行なわれました。
 キリシタン殉教記念公園がある葛木は獄門原と呼ばれ、約200人の最も多くの殉教者を出したとこです。公園内には、北村西望によるキリシタン殉教の地の碑が建てられています。



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大友宗麟像

2010年10月16日 | 旅 歴史
 大分県大分市要町にある大友宗麟像です。
 大分駅前の広場に富永直樹氏作製の大友宗麟(おおともそうりん)の像があります。昭和57年(1982)に建てられました。
 大友宗麟こと大友義鎮(よししげ)は大友家の第21代当主です。父の義鑑(よしあき)の後を継いで豊後守護となりました。九州北部の6か国を支配した戦国大名でキリシタンでした。



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府内城跡(大分城址公園)

2010年10月15日 | 旅 歴史
 大分県大分市荷揚町にある府内城跡(大分城址公園)です。
 「府内」とは大分の別称で、古代この地に豊後国府が置かれていたことに由来しています。鎌倉時代から戦国時代にかけては豊後国の守護職、守護大名であった大友氏の拠点でした。濠や石垣は残り、城跡は公園になっています。櫓や城門、廊下橋などが復元されています。
 府内城は慶長2年(1597)、石田三成の妹婿である福原直高が築いた荷揚城が始まりです。その後、名軍師竹中半兵衛の息子の竹中重利が入封し、天守、土塁、堀などを完成させました。
 竹中重利の子、2代重義は長崎奉行も兼ね、非情なキリシタン弾圧を行ないました。寛永11年(1634)不正発覚で江戸で切腹させられ改易になりました。日根野氏を経て松平(大給)氏が明治まで治めました。
 江戸時代には府内藩2万石の藩庁が置かれていました。寛保3年(1743)大火により天守を含む大部分の建造物が焼失し、その後、天守は再建されませんでした。
 明治初期に本丸、東丸、西丸の建造物以外は破却され、堀の一部は埋め立てられてしまいました。太平洋戦争の際、空襲により櫓が数棟焼失しました。


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遊歩公園

2010年10月14日 | 旅 歴史
 大分県大分市府内町にある遊歩公園です。
 遊歩公園は、大分市の府内城の南側、県庁前の大手通りにあります。第二次大戦後、大分市の戦災復興計画の一環として造成された公園です。遊歩道に沿って、朝倉文夫や北村西望らによる十数体の彫刻、記念碑が建っています。
 天文20年(1551)に府内を訪れてキリスト教の布教を行ったフランシスコ・ザビエルの彫像。弘治3年(1557)聖歌隊が賛美歌を合唱、外国人神父からビオラを学んだ少年達が大友宗麟の前で演奏したという西洋音楽発祥記念像などものもあります。
 朝倉文夫が昭和25年(1950)に作製した大分県出身の作曲家瀧廉太郎の像もあります。朝倉氏は竹田高等小学校での廉太郎の3年後輩で、像の下には廉太郎との関わりを記した朝倉氏自筆の文も刻まれています。遊歩公園は瀧廉太郎の終焉の地でもありました。



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大分県立芸術会館

2010年10月14日 | 旅 歴史
 大分県大分市牧緑町にある大分県立芸術会館です。
 大分県立芸術会館は、美術館と多目的ホール(県民文化会館)とからなる県運営の複合文化施設です。
 開館は昭和52年(1977)9月です。当時大分市内で唯一の本格的な美術館でした。田能村竹田、福田平八郎、高山辰雄、宇治山哲平、朝倉文夫など大分県に関係する人の作品を収蔵、展示しています。


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大分市美術館

2010年10月07日 | 旅 歴史
 大分県大分市上野にある大分市美術館です。
 大分市美術館は大分市市街地の南側にある上野の森の丘陵地に平成11年(1999)に開館しました。
 国の重要文化財を含む田能村竹田を中心とする豊後南画や、山辰雄、福田平八郎の日本画、洋画の佐藤敬、竹工芸の生野祥雲斎、現代美術の風倉匠など大分県、大分市にゆかりのある美術家の作品を中心に収蔵、常設展示しています。
 屋外には原口典之、青木野枝、剣持和夫といった現代彫刻などを設置し、公園の中で散策できるように考えてあります。


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別府タワー

2010年10月06日 | 旅 歴史
 大分県別府市北浜にある別府タワーです。
 別府タワーは別府駅東方、北浜の海岸近くに建っています。高さ100mのテレビ塔です。鉄骨鉄筋コンクリートの建物の上に塔を組んだ構造で、秒速160mの台風にも耐えられる構造になっているそうです。
 名古屋テレビ塔、通天閣に次ぎ、日本で3番目に建てられた高層タワーで、別府観光のシンボルとして親しまれています。別府観光開発株式会社により運営されています。
 平成19年(2007)年、建造から50年を経過したことを期に、国の登録有形文化財への登録が申請され、同年10月に登録されました。


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