旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

たくみの里

2008年04月29日 | 旅 歴史
 今日は群馬県みなかみ町須川にあるたくみの里を紹介いたします。
 たくみの里は三国街道の須川宿で古くから伝えられる伝統の技を散策しながら楽しめるところです。須川宿にはとても清らかな水が流れています。水車も回っていました。
 総合案内所の豊楽館を中心にして20数軒の家が代々受けつがれてきた伝統の技を見せてくれて、体験もできるのです。
 須川宿資料館は昔、脇本陣だったそうです。門扉、襖、障子、欄間が当時のまま残され須川宿に関する古文書・書画など展示されています。

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旧大庄屋役宅書院

2008年04月27日 | 旅 歴史
 群馬県みなかみ町東峰須川にある旧大庄屋役宅書院を紹介します。
 旧大庄屋役宅書院は天保13年(1842)春に建てられました。河合家4代の定右衛門が大庄屋を仰せつけられた時に、領主伊丹氏が用人内山忠太夫に命じて建てさせたということです。
 間口3間、奥行5間、藁葺きの寄棟造書院で、式台 (しきだい)〈長さ2間、幅4尺)がある間口2間、奥行3間の玄関が母屋(おもや)と連結しています。
 伊丹氏が休息所に使用したようです。藁葺きに赤いトタンを覆ってしまっているので風情は損なわれています。農家の書院としてはまずらしく県指定の重要文化財となっています。
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前橋市水道資料館

2008年04月19日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市敷島町にある前橋市水道資料館を紹介します。
 前橋市水道資料館は給水開始した昭和4年(1929)からの60周年を記念して平成元年(1989)に敷島浄水場の管理事務所を改修して開館しました。
 隣にある配水塔は昭和4年(1929)に竣工されたもので今でも現役の水道施設として稼働しています。直径10m、高さ17mで避雷針をあわせると37mの巨大なものです。銅板を張った鋼鉄製の円筒型水槽を鉄骨の支柱で支えています。「水道タンク」の愛称で市民に親しまれています。
 昭和60年(1985)浄水構場事務所(現在の水道資料館)、配水塔が全国近代水道百選に選ばれています。
 水道資料館の床面積は、1階が182.58m2、2階が125.09m2で床総面積307.67m2です。鉄筋コンクリート造りで、屋根は小屋組み木造、エメラルドグリーンの瓦葺きです。採光のための半円形天窓が明るい感じを出しています。
 敷島浄水場の敷地は約800万平方mもあります。場内には約40種のツツジがあり館林のツツジに次ぐ有名なツツジの名所となっています。
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上野総社神社

2008年04月18日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市元総社町にある上野総社神社を紹介いたします。
 総社町の近辺は奈良時代に上野国府が置かれていたそうです。東国の奈良といわれ、崇神天皇の皇子で、上毛野・下毛野の国を開いた豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の墓だという二子山古墳もあります。
 この豊城入彦命が国土平定に貢献された經津主命の御武勇を敬愛し軍神として奉祀、武運の長久を祈願し、親神である盤筒男命・盤筒女命をも合祀してこの神社を創ったともいわれています。
 平安時代に上野国内549社の諸神を国府近くの一か所に合祀し、国司の遥拝所となったのが総社神社だといわれています。
 永禄9年(1566)10月の北条氏と武田氏との戦禍で、社殿をはじめ摂社、末社、宝物などことごとく灰燼に帰しました。かろうじて神明帳と御神鏡だけは難を免れそうです。
 群馬県の重要文化財に指定されている本殿は慶長年間(1596-1614)に総社城主秋元氏によって再建造営されたそうです。桃山時代の流造の様式をのこした立派な建築です。 
 また拝殿は天保14年(1843)の再建です。氏子であった関谷出雲正平貞許、出雲丞平貞義父子により造られたそうです。前橋市の重要文化財に指定されています。
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敷島公園

2008年04月16日 | 旅 歴史
 前橋にある敷島公園は、利根川と広瀬川に接していて約37ヘクタールもある広大な公園です。約3千本の松林は100年前に利根川の洪水を防ぐために植えられたものだそうです。
 松林に囲まれたレクリエーションエリアには水の広場、芝生のなかよし広場、フィールドアスレチック、ボート池、バラ園、熱帯植物温室などがあります。特に200種2千本のバラが咲き乱れるバラ園は人気があります。
  バラ園側の公園入口付近に「林間学校発祥の地」という石碑が建てられています。大正10年、ここで虚弱な児童を集めて林間学校をしたのだそうです。
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臨江閣

2008年04月13日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市大手町にある臨江閣をご紹介いたします。
 中央児童遊園地の正面入口前にある数寄屋風の重厚な和風木造建築が臨江閣です。県の重要文化財に指定されている本館と茶室、市の重要文化財の別館があります。
 本館は明治17年(1884)9月、当時の群馬県令(県知事)の揖取素彦(かとりもとひこ)や有志によって迎賓館として建てられたそうです。
 別館は明治43年(1910)に共進会の貴賓館として建てられた木造2階建ての入母屋建築です。安中市にあった旧中山道の杉並木の樹齢200年の大木が30本も柱に使われたそうです。

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萩原朔太郎記念館

2008年04月12日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市敷島町敷島公園内にある萩原朔太郎記念館を紹介いたします。
 萩原朔太郎は明治19年(1886)、北曲輪町(現在の千代田町)の医師の家に生まれました。この生家を現在の敷島公園の一画に移築復元し、記念館として一般に公開しています。
 北原白秋に師事し、26歳のときに「夜汽車」などの詩で中央詩壇にデビューしたそうです。大正6年(1917)処女詩集「月に吠える」を発表しました。
 昭和49年(1974)現在地に移築された土蔵のほか、書斎が昭和53年(1978)、離れ座敷が昭和54年に移築されたそうです。
 書斎は朔太郎が29歳の独身時代だった大正3年(1914)から8年まで書斎兼音楽室として愛用したそうです。朔太郎はこの部屋をゴンドラクラブと愛称してマンドリンやギターの演奏、作曲に耽ったそうです。ゴンドラ洋楽会(のちの上毛マンドリ倶楽部)も組織し、詩人として、音楽家として暮らしたそうです。
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