伏見の欣浄寺に住んでいた深草少将が小野小町の元に百日通った所が、この随心院です。今の「小町化粧の井戸」の辺りだそうです。この地に語り伝えられる百夜通(ももよがよい)の話は悲哀にみちています。深草少将は小町を慕って、小野の里に雨の夜も雪の夜も通い続けました。九十九日目の夜、降る雪と発病により最後の一夜を前に世を去ったのです。この時、小町は榧(かや)の実にて、数を取り、後に小野の里に播いたといわれています。
夢にしか会えない人を思い、多くの夢の歌を残し、後世六歌仙の第一人者と評され、小倉百人一首の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」 と哀愁に富み、情熱的な歌は、華やかな盛艶時代を想い、人生のはかなさを歌ったのは、あまりにも有名であります。
夢にしか会えない人を思い、多くの夢の歌を残し、後世六歌仙の第一人者と評され、小倉百人一首の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」 と哀愁に富み、情熱的な歌は、華やかな盛艶時代を想い、人生のはかなさを歌ったのは、あまりにも有名であります。