旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

京都市山科区の随心院です。

2006年11月28日 | 旅 歴史
 伏見の欣浄寺に住んでいた深草少将が小野小町の元に百日通った所が、この随心院です。今の「小町化粧の井戸」の辺りだそうです。この地に語り伝えられる百夜通(ももよがよい)の話は悲哀にみちています。深草少将は小町を慕って、小野の里に雨の夜も雪の夜も通い続けました。九十九日目の夜、降る雪と発病により最後の一夜を前に世を去ったのです。この時、小町は榧(かや)の実にて、数を取り、後に小野の里に播いたといわれています。
 夢にしか会えない人を思い、多くの夢の歌を残し、後世六歌仙の第一人者と評され、小倉百人一首の「花の色は  うつりにけりな   いたづらに  わが身世にふる  ながめせしまに」 と哀愁に富み、情熱的な歌は、華やかな盛艶時代を想い、人生のはかなさを歌ったのは、あまりにも有名であります。
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京都山科区にある勧修寺です。

2006年11月27日 | 旅 歴史
 勧修寺(かじゅうじ)は真言宗山階派の大本山です。昌泰三年(900年)、醍醐天皇は生母の菩提を弔うため、生母の里であった寺を御願寺と定め、外祖父藤原高藤の諡号をとって、勧修寺と号されました。本堂は江戸時代に霊元天皇より仮内侍所を賜って造られたとされ、千手観音像をまつってあります。
 天皇家、藤原家の帰依のもと、代々の法親王が相次いで入寺され、門跡寺院として繁栄しましたが、まもなく衰え、徳川氏の時代、寺領寄進などにより再興されました。庭園は氷室池を中心として、まわりの山々の景色も取り入れた池泉回遊式庭園です。平安時代には、この池に張る氷の厚さでその年の農作物の豊凶が占われたそうです
 寝殿作り風の宸殿や、江戸初期書院作りの典型とされる書院(重文)は元禄十年(1697)に、明正天皇の旧殿を外賜されたものです。前庭には水戸光圀が寄進したという、背が低く大きな笠を乗せた「勧修寺形」の灯籠があり、針状の葉をもつ樹齢750年のハイビャクシンが広がります。
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京都市伏見区にある伏見稲荷大社です。

2006年11月26日 | 旅 歴史
 伏見稲荷大社はお稲荷さんの愛称で知られ、もっとも京都人に馴染み深いお神社のひとつです。商売繁盛・五穀豊穣・開運の守護神として古くから庶民の信仰を集め、全国約3万から4万近くある稲荷神社の総本社です。
 ふだんから参詣人の絶えない社ですが、特にお正月には商 売繁盛を願ってたくさんの人が初詣に訪れます。大鳥居を抜けると絢爛とそそり立つ桜門、そして檜皮葺きの本殿、権殿など重厚な社殿が並んでいます。 
 稲荷山山腹には千本鳥居と呼ばれる鳥居のトンネルがあり、目にも鮮やかな朱色の鳥居は道なりに延々と続き、驚くばかりに華やかで稲荷山上まで約1万本も続いています。
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伏見区南浜町にある寺田屋です。

2006年11月25日 | 旅 歴史
 寺田屋は坂本龍馬の定宿でした。幕末に有馬新七ら9人の薩摩藩士が同士討ちをした寺田屋事件や坂本龍馬が襲撃されたところです。
 後に妻になるおりょうの気転で危機を脱したのは有名です。「維新は寺田屋の一室から生まれたり」と言われるように、この時代の歴史を語るときには欠かすことが出来ないところです。
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京都市長岡京市にある光明寺です。

2006年11月24日 | 旅 歴史
京都は北山、東山、西山と三方を山に囲まれています。その西山にあるのが光明寺です。 長岡京市栗生あることから世に「粟生光明寺」といわれ法然上人の廟所のある寺として浄土宗院中、最も重んじられています。
 熊谷次郎直実が建久9年(1198)に念仏三昧院を建立し開山しました。後に四条天皇により光明寺と命名されました。西山(せいざん)浄土宗の総本山です。法然が最初に念仏の教えを説いた寺で、「浄土門根元地」といわれています。
 モミジの寺として知られ、広大な境内を数百本のモミジが紅に染まり、参道の石畳はモミジで埋め尽くされます。通称「もみじ参道」には大勢の観光客が集まります。入口「総門」と門をくぐった「女人坂」の紅葉は見事です。境内に本堂、阿弥陀堂などが立ち並び回廊で結ばれていて独特の雰囲気をかもし出しています。
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長岡天満宮

2006年11月22日 | 旅 歴史
 長岡京市天神にある長岡天満宮です。菅原道真が愛した場所として有名です。現在の社殿(本殿、祝詞舎、透塀)は昭和16年に京都の平安神宮の社殿を移築したものです。菅原道真が大宰府に左遷されるにあたり、「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残りを惜しまれました。道真自作の木像をお祀りしたのが創立であるといわれています。
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石清水八幡宮

2006年11月21日 | 旅 歴史
 千年の昔、京から大和の長谷寺(はせでら)詣でをする女人たちは、かならずといっていいほど、男山(おとこやま)石清水八幡宮に立ち寄り、詣り、旅の無事を祈願しました。標高82メートルの神様の坐(いま)す山「男山」の中腹には霊泉“石清水”が涌き出ていて、その名に由来します。
 社号は明治初年に“男山八幡宮”と改称されましたが“石清水”の社号が創建以来の由緒深いものであるため、大正7年に再び“石清水八幡宮”と改称されたそうです。石清水八幡宮は「徒然草」にもでてきます。社殿は徳川家光の造営によるものです。
 社伝によると、859年(貞観元年)、九州の宇佐八幡宮に参籠した奈良の大安寺の僧行教が国家鎮護のため八幡大菩薩の神託を受け朝廷に奏上したので、朝廷は宇佐八幡に準じて平安京の西南裏鬼門にあたる男山に正殿・礼殿各3宇を造営し、翌年遷座が行われたとされています。
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天竜寺

2006年11月20日 | 旅 歴史
 天竜寺は、正式には霊亀山天竜資聖寺といい、臨済宗天龍寺派の大本山です。本尊は釈迦如来です。1994年に世界文化遺産に登録されました。
暦応2年(1339)年8月に後醍醐天皇が吉野の行宮で没すると、夢窓疎石の勧めで足利尊氏は翌年4月亀山殿の旧地に寺院建立の工を起こしました。寺号は暦応の年号から暦応資聖禅寺と定めました。ところが延暦寺が暦の字の使用に反対したため、2年後天竜寺としました。そして夢窓疎石が院宣により開山しました。
 工事は戦乱による財政難などで遅れましたが、天竜寺船などの対明貿易の利益をあて康永元年(1342)10月に上棟式と執り行い、貞和元年(1345)8月に盛大な完成の式典を挙行できました。 当時は京都五山の第2位でしたが、第1位の南禅寺が五山の上となったので至徳3年(1386)に五山の第1位となりました。

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渡月橋

2006年11月19日 | 旅 歴史
 京都嵐山の代表的な風景は渡月橋です。平安時代初期に亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」と感想を語ったことから「渡月橋」と呼ばれるようになったそうです。 橋の長さは155mあります。現在の橋は洪水で流されたあと昭和9年に竣工し、2001年3月にリニューアルされました。 下を流れるのは大堰川です。上流は保津川、下流は桂川と呼ばれ、淀川に合流して大阪湾に注いでいます。江戸初期に角倉了以が渡月橋のすぐ上流に大きな「井堰」を築いて舟運の便を図ったので、この辺りを「大堰川」と呼ぶようになったそうです。
 仁明天皇の承和年間(834~48年)の平安初期に道昌僧正が現在の渡月橋より200m上流の場所に橋を架けたそうです。この橋は葛野橋とか法輪寺橋ともいわれ天竜寺十景の一つに数えられていたそうです。
 天竜寺造営後、夢窓国師が更に大きな橋に架け替えましたが、応仁の乱で焼失したそうです。その後景徐という僧が勧進帳を作って橋を架けたのですが洪水で流失してしまったそうです。
 慶長年間(1596~1615年に)嵯峨の富豪で度々登場する角倉了以が保津川を開き「井堰」を築いて舟運の便を図った時に現在の処に架け替えられのです。
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二尊院

2006年11月17日 | 旅 歴史
京都市右京区にある二尊院は小倉山二尊院華台寺といい、天台宗の寺院です。鎌倉時代に制作された「発遣(ほっけん)の釈迦」如来像と「来迎(らいごう)の阿弥陀」如来像の「二尊」の立像が祭られているので、「二尊院」と呼ばれるようになったそうです。
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化野念仏寺

2006年11月16日 | 旅 歴史
化野念仏寺は華西山東漸院(かさいざんとうぜんいん)と号する浄土宗の寺です。化野は古来より死者を風葬する地で鳥辺山の煙とともに世の無常の象徴とされました。和歌では「化野の露」という人生の無常をあらわす枕詞に使われているほどです。
寺伝によれば弘法大師空海が弘仁年間(810-824)に小倉山寄りを金剛界、曼茶羅山寄りを胎蔵内と見立てて千体の石仏を埋め、中間の川の河原に五智山如来寺を建てて、野ざらしとなった屍を弔ったのがはじまりです。
整然と並べられた8,000体もの石仏は三途の川をイメージさせます。徒然草にも 「あだし野の露消ゆることなく鳥辺野の烟立ち去らで」 と記されています。
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祇王寺

2006年11月15日 | 旅 歴史
 石川丈山さんコメント有り難うございました。「詩仙堂」にチャールズ皇太子ダイアナさんがきていたのですね!
 今日は祇王寺を紹介致します。「平家物語」に名高い白拍子・祇王ゆかりのお寺です。祇王は平家物語に出てくる白拍子です。平清盛の寵愛を受けていた祇王は母の刀自(とじ)、妹の祇女(ぎにょ)と3人で裕福に暮らしていました。
 ところが自分が推薦した同じ白拍子の仏御前に清盛の寵を奪われてしまったのです。祇王は母と、妹の3人で嵯峨野の往生院に入って、尼となったのでした。
 後に仏御前も祇王を追い、4人の女性は念仏三昧の余生を過ごしたのです。往生院はこのあたりにあったのではないかと推測されています。
 庵の前には緑の苔むす庭があります。これが秋になると一変して真っ赤な散りモミジが絨毯のように敷き詰められそうです。竹林も見事でした。
 祇王寺は法然の弟子の念仏房良鎮(りょうちん)が創建したといわれています。本尊は大日如来です。 

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京都市右京区の壇林寺です。

2006年11月13日 | 旅 歴史
 壇林寺http://f18.aaa.livedoor.jp/~ogino/kyouto_nisi/index.htmは嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子(壇林皇后)によって平安初期の786~850年に創立された官寺です。一時は天龍寺一帯を占めた大寺でした。創建当時は十二坊の塔頭があったといわれ、中国から来朝した僧・義空を師としてこの寺で禅が唱え始められました。氏の学問所学館院を設けたのもこの人であり、平安初期の文化や仏教に影響を与えました。その後廃絶し、その跡地に現在の天竜寺が建てられたのだそうです。
 現在のお寺は、壇林皇后をかたどったとされる准胝観音を本尊として、昭和39年建立されたもので元の「壇林寺」とはあまり関係がないようです。寺内には宝形造の本堂と宝物館があります。「壇林」は「栴檀の林」と言う意味で、転じて「僧が集って学問をする場所」「お寺」という意味になったようです。嘉智子は深く仏教を信仰したので、「壇林皇后」と呼ばれるようになったのだそうです。
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京都市右京区の清涼寺です。

2006年11月12日 | 旅 歴史
 清涼寺は、平安貴族の源融の山荘地で、融の死後、寺に改め、棲霞寺とされたそうです。のちの寛和元年(985)、宋より帰朝した東大寺の僧然(ちょうねん)が持ち帰った釈迦如来を、その境内に一宇を建てて安置したそうです。
 然(ちょうねん)は清涼寺を創建しようとしていましたが果たさず亡くなりました。その後弟子の盛算がその志を継いで釈迦堂を建てたのが始まりとされています。
秀頼公首塚は1980年に大阪城の三の丸から出土した豊臣秀頼の首を1983年に納めたものだそうです。首に介錯の跡があったといわれています。
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京都市右京区の大覚寺です。

2006年11月11日 | 旅 歴史
大覚寺は嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の総本山です。嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で天皇崩御の後の貞観18年(876)、嵯峨天皇の皇女、淳和天皇皇后が寺に改められ大覚寺と名付けられました。一時荒廃しましたが、鎌倉時代には後嵯峨、亀山天皇が入寺、徳治3年(1308)には後宇多天皇が入寺しここで院政をしき、嵯峨御所とも呼ばれました。ここに南朝の大覚寺統を形成されました。北朝方の持明院統と皇位継承で争いました。明徳3年(1392)、ここの正寝殿にて南北両朝の講和が成立しました。
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