旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

立待岬

2012年06月30日 | 旅 歴史
 北海道函館市立待岬にある立待岬です。
 函館山の南東、津軽海峡に突き出たところに立待岬があります。晴れた日には下北半島を望み、また左手には、石川啄木が好んで散歩したといわれる大森浜、湯の川方面を望む大パノラマが楽しめます。
 岬の名前はアイヌ語の「ピウシ」からきているそうです。意味は魚用の槍をもち魚が来るのを待った場所という意味だそうです。
 第二次世界大戦では、旧日本軍の要塞となり、市民の立ち入りが禁止されていましたが、現在では見晴らしが良いことから、観光名所として知られています。

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石川啄木一族の墓

2012年06月29日 | 旅 歴史
 北海道函館市住吉町にある石川啄木一族の墓です。
 石川啄木は明治40年(1907)5月から9月までの短い期間、函館公園の北側にある青柳町で暮らしました。離散していた家族を呼び寄せ、文芸結社の苜蓿社の同人らの温かい友情に支えられ啄木にとって想い出の場所でした。
 明治45年(1912)4月に27歳という短い生涯を東京で終えた啄木の遺骨は、節子夫人の希望で大正2年(1913)、函館に移されました。大正5年に啄木の愛した立待岬に義弟・宮崎郁雨の手で墓碑が建てられたのでした。
 東海の 小島の磯の 白砂に
  われ泣きぬれて 蟹とたわむる

啄木が散策した大森海岸を見渡すことができる墓には一握の砂の一首が彫り込まれていました。
 啄木の墓の隣には、啄木を物心両面で支えた義弟の宮崎郁雨の墓があります。

 蹣跚まんさんと 夜道をたどる淋しさよ
  酒はひとりし 飲むものならず


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函館山ロープウェイ

2012年06月28日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にある函館山ロープウェイからの眺望です。
函館山は標高334m、周囲9kmの約200万年前に活動を終えた古い火山です。牛が寝そべっている姿に似ているので臥牛山(がぎゅうざん)ともいわれます。函館の夜景はナポリ、香港と並ぶ世界三大夜景として有名です。
 山麓と山頂を秒速7秒、約3分で結んでくれる函館山ロープウェイがあります。山頂駅は展望台と一体になってます。

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日本最古のコンクリート電柱

2012年06月27日 | 旅 歴史
 北海道函館市末広町にある日本最古のコンクリート電柱です。
 このコンクリート電柱は大正12年(1923)、当時の函館水電会社(現北海道電力)が建てました。わが国で現存する日本最古のコンクリート電柱です。現在の一般的な円柱形ではなく、角錐形なのが特徴です。

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北方歴史資料館

2012年06月26日 | 旅 歴史
 北海道函館市末広町にある北方歴史資料館です。
 司馬遼太郎が「江戸時代を通して、いちばん偉かった人物」と絶賛する高田屋嘉兵衛。函館の紀伊国屋文左衛門ともいわれ、ロシアとの交易、北洋漁業の基盤づくり、函館開発に功がありました。
 通称「高田屋嘉兵衛古文館」といわれるだけあって高田屋嘉兵衛や高田屋家にまつわる品、当時の資料などを数多く展示しています。

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日本聖公会函館聖ヨハネ教会

2012年06月25日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にある日本聖公会函館聖ヨハネ教会です。
 明治7年(1874)に英国聖公会の宣教師W・デニングが函館で伝道を開始したのが日本聖公会の始まりです。現在の聖堂は昭和54年(1979)に建てられたもので、中世期のヨーロッパの教会の様式を採り入れたモダンなものです。

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亀井勝一郎生誕の地

2012年06月24日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にある亀井勝一郎生誕の地の案内です。
 亀井勝一郎の生家跡に建てられた石碑です。函館市生まれのプロレタリア文学の文芸評論家、思想家です。「大和古寺風物誌」が有名です。他に人間教育、日本精神史研究などの著書があります。

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カトリック元町教会

2012年06月23日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にあるカトリック元町教会です。
 安政6年(1859)にフランスの宣教師メルメ・デ・カションが創建したローマカトリック教会です。たびたび火災で焼失し、現在の建物は大正13年(1924)に建てられたものです。
 とんがり屋根と鶏で、エキゾチックな雰囲気が漂う元町を象徴するゴシック建築の建物です。祭壇はローマ法皇ベネディクト15世より贈られた日本でたった一つの珍しいものです。聖堂の裏には「ルルドの洞窟」があります。

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ハリスト正教会

2012年06月22日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にあるハリスト正教会です。
 日本にできた最初のギリシャ正教の教会です。鐘の音からガンガン寺と親しみをこめて呼ばれています。
 荘厳なロシア風ビザンチン様式の教会で、安政年間の教会は大火などで焼失してしまいました。現在の建物は大正5年(1916)に再建されたものです。
 文久元年(1861)にこの地に来たハリストス正教会の司祭ニコライは、キリスト教徒が国禁下におかれていたにもかかわらず、日本で初めてロシア正教を伝導したのでした。
 白壁と緑の尖った屋根を持つビザンチン様式の美しい姿は、外国との貿易港であった函館の象徴になっています。白い外壁と、青緑の屋根とのコントラストがエキゾチックな印象をあたえます。
 ハリストスとは、ギリシャ正教でキリストのことだそうです。東京・神田ニコライ堂の鐘は、昭和3年(1928)にここから移されたものだそうです。 
 同志社大学の創始者新島襄は、21歳の時、箱館に来て、この教会にいました。そして、ここで知合った福士宇之吉(成豊)の手助けによって、元治元年(1864)函館港からアメリカ船ベルリン号に乗り込みアメリカに向ったのです。

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旧函館区公会堂

2012年06月21日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にある旧函館区公会堂です。
 明治43年(1910)に建てられた函館を代表する木造洋風建築物です。函館山を背にかかえ、ブルーグレーと黄色の彩色がひときわ目立つ建物です。
 函館区民の集会所として、また政財界人の社交場として建てられたものだそうです。館内の装飾は、ルネッサンス風の華麗さの中に和風建築の様式を織り交ぜています。
 元町公園のすぐの高台にあり、国の重要文化財に指定されています。玄関と左右入口、そして2階には柱頭飾りのある特徴的な建物です。内部の調度など由緒ある重厚な雰囲気を保っています。
 2階のバルコニーから函館の町や港がよく見えます。これらの函館らしい歴史的な町並みや建物は、元町や末広町周辺に多く、国の重要伝統的建造物群保存地区として指定されています。

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旧開拓使函館支庁書籍庫

2012年06月20日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にある旧開拓使函館支庁書籍庫です。
 明治13年(1880)頃に建てられたに書庫です。元町公園内の旧北海道庁函館支庁庁舎のそばにひっそりと佇んでいます。
 赤レンガ造りの建物で外壁のレンガには明治7から9年の年号と「函館製造」と書かれた刻印があります。このレンガは、開拓使直営の茂辺地煉瓦石製作所で、度々失敗しながら改良を重ね製造されたものだそうです。

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旧北海道庁函館支庁庁舎

2012年06月19日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にある旧北海道庁函館支庁庁舎です。
 元町公園内に明治42年(1909)に建てられた旧北海道庁函館支庁庁舎があります。明治40年(1907)の大火で旧庁舎が焼失したことから新築されました。古代ギリシャ風の木造洋風建築物です。コリント様式の柱頭飾りのある柱や屋根窓などが特徴です。
 函館支庁は大正11年(1922)に渡島支庁と改称されました。昭和32年(1957)、支庁は五稜郭町に移りました。その後、函館市に譲渡され表舞台から退きました。

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函館四天王像

2012年06月18日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にある函館四天王像です。
 元町公園には函館四天王像があります。明治期の函館繁栄の祖です。右から今井市右衛門、平田文右衛門、渡邉熊四郎、平塚時蔵です。明治11年(1878)公共につくした功を認められ、時の開拓使長官黒田清隆から四人そろって表彰されたそうです。
 渡邉熊四郎は大分県竹田の生まれで、明治2年(1869)金森洋物店を開き、ボーニ森屋デパート金森商船など経営しました。現在もレンガ造りの遺構を見ることができます。

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箱舘奉行所跡

2012年06月17日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にある箱舘奉行所跡です。
 徳川幕府は蝦夷地開拓、統治のため享和2年(1802)蝦夷奉行を設置しました。同年、箱館奉行と改称し、翌年箱館の港を見おろせる今の元町公園の場所に奉行所を建てました。
 その後、奉行所は元治元年(1864)に五稜郭内に移転し、箱館戦争の時には榎本軍(旧幕府軍)の拠点となりました。

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元町公園

2012年06月16日 | 旅 歴史
 北海道函館市元町にある元町公園からの景色です。
 元町公園は昭和57年(1982)10月に洋風公園として開園しました。元町は明治6年(1873)に正式町名となりました。横浜の港の見える丘公園によく似ています。
 ここは函館発祥の地です。江戸時代中期からここに役所がありました。松前藩時代には亀田番所、幕府直轄時代には箱館奉行でした。
 明治以後は開拓史の支庁、函館県の県庁、北海道庁函館支庁となり、大正11年(1922)市政施行により、渡島支庁と改称されました。昭和25年(1950)まで古くは北海道、近年は道南の行政の中心となっていたのです。
 園内には明治42年(1909)建築のルネサンス風の「旧北海道庁函館支庁庁舎」があり、現在観光案内所として使用されています。その他にも観光スポットが集まっています。

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