旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

明治生命館

2013年10月31日 | 旅 歴史
 東京都千代田区丸の内に明治生命館があります。
 明治生命館は昭和9年(1934)3月に建てられました。指名コンペ方式で設計は岡田信一郎・捷五郎兄弟、構造設計は内藤多仲が担当しました。平成9年(1997)、昭和の建造物として初めて重要文化財の指定を受けました。
 太平洋戦争後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されました。アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われたそうです。昭和31年(1956)にアメリカ軍から返還され、現在は明治安田生命保険の本社屋として現役利用されています。
 明治生命館の建物は5階分のコリント式列柱が並ぶ古典主義様式にのっとったデザインです。社長室の内装には当時の流行であったスパニッシュ様式も取り入れられています。

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帝国ホテル

2013年10月30日 | 旅 歴史
 東京都千代田区内幸町にある帝国ホテルです。
 明治23年(1890) 帝国ホテルが海外からの賓客をお迎えする「日本の迎賓館」として開業しました。井上馨は隣にあった鹿鳴館と密接な関連を持ったホテルをと渋沢栄一と大倉喜八郎を説得して有限会社帝国ホテル会社を設立・建設させたものです。総建坪は1300余坪でドイツ・ネオ・ルネッサンス式の木骨煉瓦造3層の建物でした。
 大正4年(1915) アメリカの建築家F.L.ライトは帝国ホテル設計のために来日し、大正11年(1922)に帝国ホテルが竣工するまで日本に滞在し、帝国ホテルのあらゆる詳細部、装飾的な手ぎわや、中に入れる家具の一つ一つにまで監理しました。遠藤新をはじめ多くの日本人建築家に大きな影響を与えました。

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日生劇場

2013年10月29日 | 旅 歴史
 東京都千代田区有楽町には日生劇場があります。
 日生劇場は日比谷公園に臨むように立つ日本生命ビルの中にあります。日本芸術院会員で文化勲章受賞者の建築家村野藤吾が設計しました。座席数は1330席。重厚な外観と幻想的な内装を持つ建物として高い評価を得ている建築物です。
 淡紅色の万成石による重厚な外装、その壁面のバルコニーのようにへこんだオリエント風の窓と黒の紋様の手摺があり、劇場へ至る足元には長谷川路可氏による大理石モザイクが続きます。劇場の一階は素通しガラスで囲まれ、玄関ホール(ピロティ)ではギリシア的な柱、白大理石の床、大きなアルミグリル照明等が目を楽しませてくれます。
 階段の手摺りは細めのステンレススチール、螺旋階段の側壁には木が張られ、繊細な美しさを見せてくれます。各階のホワイエの壁は白い大理石テッセラ貼りで、天井は白の石膏の孔のあいたボードとなっており、赤い絨毯との調和しています。

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帝国劇場

2013年10月28日 | 旅 歴史
 東京都千代田区丸の内に帝国劇場があります。
 帝国劇場は帝劇の名で親しまれ、数々の名作が上演されてきました。日本初の洋風劇場として明治44年(1911)に建築されました。益田太郎、渋沢栄一、荘田平五郎、福沢桃介、日比翁助、田中常徳などが発起人となり、大倉喜八郎が采配を振って日本ではじめて設立された西洋式演劇劇場です。
 昭和41年(1966)には最新式の設備を持つ地上9階、地下6階のモダンな劇場になりました。収容人数は1897人、客席数1階が1209席、2階が688席でミュージカルや演劇が上演されています。9階には出光美術館があります。

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国会議事堂

2013年10月27日 | 旅 歴史
 東京都千代田区永田町に国会議事堂があります。
 国会議事堂は、国会が開催されるところです。現在の国会議事堂は、大正9年(1920)建築開始で、昭和11年(1936)11月7日に完成しました。実に17年目にようやく完成したのです。
 11月29日は議会開設記念日だそうです。明治23年のこの日に日本で初めての議会である「第1帝国議会」が開かれたのです。この時は日比谷の経済産業省のあるあたりの木造の仮議事堂だったそうです。
 向かって左側が衆議院、右側が参議院です。構造は、地上3階、中央部4階、地下1階で、中央部に高さ65.45メートルの塔があります。外壁は花崗岩、内装は大理石の重厚な造りとなっています。
 鉄骨材は八幡製鉄所で作られました。組み立て工事中に関東大震災に襲われました。コンクリート杭を4000本以上打ち込んだ基礎のおかげでほとんど被害を受けなかったそうです。


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日枝神社

2013年10月26日 | 旅 歴史
 東京都千代田区永田町に日枝神社があります。
 日枝神社は武蔵野開拓の祖神・江戸の守護神として山王宮を祀っています。文明10年(1478)太田道灌が江戸に築城するにあたり鎮護の神として勧請しました。
 天正18年(1590)徳川家康が江戸城に居城するにあたり、徳川家の産土神としたことから江戸の市民に親しまれてきました。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)といい、古事記に登場する神話の神です。
 日枝神社の神使は古くより猿といわれていて、夫婦円満・殖産繁栄の神としても参拝者の信仰を受けています。また江戸三大祭りの一つ「山王祭」も有名です。

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日比谷公園

2013年10月25日 | 旅 歴史
 東京都千代田区に日比谷公園があります。

 近代日本文化の流れに起こった文明開化のあおりを受け、外国に負けない都市のシンボルとして日比谷公園は造られました。周辺には参謀本部や鹿鳴館、そして帝国ホテルと、豪華な洋風建築物が建ち並んでいました。
 日比谷見附の跡の石垣があります。江戸城外郭城門の一つで、日比谷御門の一部でした。
 園内北東部の心字池は江戸城に連なっていた堀の名残りです。日比谷公園造成の時に禅宗の日本庭園である「心」の字をくずした形で造られました。
 ここが「日比谷」といわれるようになったのは江戸時代です。当時はこのあたりまで海で海苔や牡蠣などを養殖する人々がいたそうです。海苔を育てるため海中に立てる道具を「ひび」と呼んだことから「ひびや」という地名がついたそうです。
 家康の時代、ここは徳川の領地となり、幕末まで松平肥前守等の大名屋敷がありました。明治に入り陸軍練兵場となり、明治22年(1889)の議定から14年に渡る計画・設計・造成を経て、明治36年(1903)、日本初の洋式公園として開園したのです。
 海外要人の歓迎会など、さまざまな国際交流の舞台となる一方、日露講和条約に反対する焼き討ち事件、関東大震災、第二次世界大戦、戦後の学生運動など、まさに激動の表舞台になりました。

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法務省旧本館

2013年10月24日 | 旅 歴史
 東京都千代田区霞が関に法務省旧本館があります。
 法務省旧本館は旧司法省庁舎として、米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)があった桜田門の目前に明治28年(1895)に建てられました。設計は建築顧問官を務めていたドイツ人建築家ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンで、実施設計と工事監理は河合浩蔵でした。ドイツ・ネオバロック様式の堂々たる歴史主義建築です。
 明治新政府は官庁を一ヶ所に集めるという官庁集中計画をたて、法務省旧本館と大審院(最高裁)が建てられました。大審院が完成した後、官庁集中計画は中止されました。そして大審院は戦後取り壊されています。
 大正12年(1923)の関東大震災では煉瓦外壁が鉄材補強されていたことで被害はありませんでしたが、昭和20年(1945)の東京大空襲で煉瓦壁と煉瓦床以外の全てを焼失しました。
 昭和23年(1948)、大成建設が改修工事を担当し、廃墟のようになった赤れんが棟の復興に着手しました。建物自体を3階建てから2階建てに変更し、屋根も天然スレートから瓦葺きに変えられました。昭和25年(1950)工事は完了し、法務省の本館として使用されました。
 老朽化が進んだ平成6年(1994)に平成の改修が行われました。文化財としての観点から創建時の外観に戻され、急な勾配の天然スレート葺きに復原されました。そして同年暮には国の重要文化財に指定されました。
 地上3階建ての煉瓦造りで、建築面積は3369.3平方m、延床面積は9426.2平方mと広大な建物です。館内の法務史料展示室では日本の司法に関する史料や建設当時の建築に関する史料などを展示しています。

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桜田門

2013年10月23日 | 旅 歴史
 東京都千代田区霞が関に桜田門があります。
 桜田門は寛永13年(1636)に修築され、大正12年(1923)の関東大震災で破損し、その際に鉄網土蔵造りに改修されました。桜田門は他の各門と同様に「桝形城門」という第1の門と第2の門との中間に桝形(4角形)の広場がある形式が採られています。
 桜田門の桝形は15間×21間あります。現存している城門の中では最も広い規模を有していて形態が良く保存されています。桜田門は本瓦葺きの高麗門で、昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。
  もともとこの門は小田原街道の始点として「小田原口」と呼ばれていましたが、江戸時代の寛永13年(1636)に、日比谷入り江を埋め立てて桜田門として作り直されたようです。
 安政7年(1860)3月3日、ここで「桜田門外の変」が起こりました。水戸の尊攘激派の高橋多一郎、金子孫二郎、関鉄之介らは脱藩し、薩摩の同志と連絡をとり、彦根藩の行列を襲撃して、大老・井伊直弼を暗殺した事件です。
 井伊直弼は安政の大獄で反対派を弾圧し、水戸に下された勅諚(ちょくじょう)の返納を迫りました。返納をめぐって尊攘派が2派に分裂して対立し、藩論は返納と決まりました。そして、反対派への弾圧が始まると、追い詰められた尊攘激派は脱藩し、薩摩藩尊攘激派の一部とともに、幕政批判と直弼弾劾を目的とする大老井伊直弼の暗殺を決行したのでした。 井伊直弼は彦根藩上屋敷から登城途中の桜田門外(現在の桜田門交差点)で襲撃されました。最初はピストルで撃たれ、動けなくなったところを斬首されたそうです。幕府実権者の殺害事件は、幕府勢力弱体化が表面化し、江戸幕府終焉の発端となりました。


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皇居

2013年10月22日 | 旅 歴史
 東京都千代田区千代田にある皇居です。
 現在の皇居は、明治元年(1868)明治天皇が、江戸に行幸し、東の京都として東京と改称したとき、東京城(旧江戸城)が天皇の東幸中の行宮(行在所)と定められ、明治2年(1869)以来用いられています。
 東京城の御座所は明治初期には皇城(こうじょう)と称し、明治21年(1888)に宮城(きゅうじょう)と改称されました。戦後の昭和23年(1948)に宮城の名称は廃止され、皇居と呼ばれるようになりました。
 江戸城が築かれたのは長禄元年(1457)のことでした。扇谷上杉持朝の命で同家の執事太田道灌が築城しました。土塁と簡素な居館がある程度の小さな城だったようです。
 道灌が城代をつとめましたが、文明18年(1486)道灌は主家の上杉定正により誘殺されます。永正2年(1505)には上杉朝良が入城し、大永4年(1524)に北条氏綱により陥落するまで扇谷上杉氏の本拠となりました。
 その後は北条氏が遠山氏を江戸城城代としていました。遠山景政の弟川村秀重が守っていましたが、豊臣秀吉の大軍に包囲され開城し北条氏は滅亡しました。
 天正18年(1590)徳川家康はそれまで領有していた甲信駿遠三の五ヶ国から北条氏の旧領に移るように秀吉に命じられました。家康は江戸城を居城と定めて入城し、文禄元年(1592)からは拡張工事に着手しました。
 慶長8年(1603)家康は江戸に幕府を開き、江戸城は天下の府城となりました。その後3代家光の代まで普請を続け、寛永13年(1636)一応の完成を見ました。
 家光の代には5層の豪華な大天守がありましたが、明暦3年(1657)の振り袖大火でこの大天守をはじめ本丸・二の丸殿舎などが焼失、以降明治に至るまで13回の火災を経験しました。
 天守閣は基礎石積は44平方m600坪 高さ60mの金色のシャチを頂く壮大なものだったそうです。八代将軍吉宗によって石垣のみが再建され、建物は再建されませんでした。
 徳川幕府の大政奉還、有名な勝海舟と西郷隆盛の談判による江戸城の無血開城などがあり、東京遷都が実現しました。


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丸の内ビルディング

2013年10月21日 | 旅 歴史
 東京都千代田区丸の内にある丸の内ビルディングです。
 昭和初期、歌にも歌われたように、丸ビルは、都会的なもの、モダンなものの象徴でした。丸の内のオフィスに通勤するホワイトカラーはエリート社会の代名詞でもあり、人々の羨望の的でもありました。
 「丸の内ビルヂング」、この何の変哲もないビルの名称が「丸ビル」と略されたところにも魅力を増大させる要因がありました。関東大震災直前の大正12年(1923)、近代都市・東京のオフィスビルとして誕生した丸ビルは、平成9年(1997)に解体されるまでの長い間、多くの人々に愛されてきました。
 平成14年(2002)「新しい丸ビル」が9月6日新装オープンし、道路をはさんだ向かい側には平成19年(2007)「新しい新丸ビル(新丸の内ビルディング)」もオープンしています。

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浜離宮 可美真手命像

2013年10月20日 | 旅 歴史
 東京都中央区浜離宮庭園に可美真手命像があります。
 浜離宮恩賜庭園「中の御門」入口近くには可美真手命(うましまでのみこと)の銅像があります。饒速日命(にぎはやのみこと)の皇子で、神武天皇の東方遠征に従い、手柄を立てたといわれる軍神です。明治27年(1894)明治天皇の銀婚式を記念して陸軍省が行った懸賞募集に当選した作品だということです。

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浜離宮お伝い橋

2013年10月19日 | 旅 歴史
 東京都中央区浜離宮庭園にはお伝い橋あります。
 浜離宮恩賜庭園にある「お伝い橋」は平成9年(1997)に再築された橋です。橋の長さは117.8mで高知県産の総檜造りです。宝永4年(1707)、松平綱重の長男の綱豊(後の6代将軍徳川家宣)が、園内大改修を行ったときこの橋を架けたそうです。

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浜離宮潮入の池

2013年10月18日 | 旅 歴史
 東京都中央区浜離宮庭園の浜離宮恩賜庭園には潮入の池があります。海水を引き、潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で多く用いられていた様式です。旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でしたが、現在、実際に海水が出入りしているのは、この庭園だけです。

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浜離宮庚申堂鴨場

2013年10月17日 | 旅 歴史
 東京都中央区浜離宮庭園に庚申堂鴨場があります。
 庚申堂鴨場は安永7年(1778)に造られた鴨の遊猟施設です。他にも新銭座鴨場があります。11代将軍家斉は大いに活用したそうです。幕末から明治の初め荒廃しましたが、再整備され昭和19年(1944)まで使われたそうです。
 鴨場が使われた離宮時代は園内に鷹部屋や鷹師宿舎、鷹匠小屋、調理所などがあったそうです。鴨場が利用されたのは冬鳥が飛来する晩秋から翌年の春先でした。現在、鴨場の施設が見られるのは全国でわずか5箇所しかないそうです。

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