旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

亀山城多門櫓です。

2006年07月31日 | 旅 歴史
亀山は東海道鈴鹿峠を押さえる交通の要でした。文永元年、関実忠が亀山城を築城しました。天正18年(1590)蒲生氏郷が会津転封になり、関一政は蒲生氏が治めていた白河へ5万石の大名として移封しました。亀山城には岡本宗憲が2万2千石で入り東南の丘陵に新しい亀山城を築いたのでした。
 三宅康盛の代のとき、幕府は堀尾忠晴に亀山城修築を命じました。寛永9年(1633)、忠晴が天守を解体後、修築するのは明智光秀の居城だった丹波の亀山城だったと判明しました。それ以後、天守閣の再建は許されず、天守台には多門櫓が建ったということです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上田藩主居館跡です。

2006年07月30日 | 旅 歴史
関ヶ原の戦いの後、上田城は破却されました。昌幸・幸村(信繁)の活躍で中山道で関ヶ原を目指した徳川秀忠軍は戦いに遅参させられてしまいました。秀忠の怒りは大きく破却されたようです。 ただし同じ真田の一員でもあった真田信之(信幸)への信頼は厚く上田と沼田の地を安堵したのでした。 城のない上田を治めるために建てたのがこの居館でした。現在ある遺構の表門は寛政元年(1789)藩主屋形が全焼し、その翌年に再建されたものだそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上田わっしょいです。

2006年07月29日 | 旅 歴史
 今、上田わっしょいが始まりました。大勢の人が踊っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一乗谷朝倉遺跡です。

2006年07月28日 | 旅 歴史
 弱冠13歳で、当主になった義景は文武に優れ、後に15代将軍になった足利義昭を迎え歓待し一乗谷は黄金時代を迎えました。近江・浅井長政と共に反信長の戦いを挑みましたが、刀禰(とね)坂の戦いで大敗してしまいました。
敗れた義景は大野に逃れましたが、一族の朝倉景鏡の裏切りにあい自害してしまいました。一乗谷は 天正元年(1573)信長勢によって火を放たれ、城下は三日三晩燃えつづけ栄華の永い歴史を閉じたのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅平の入口にある唐沢の滝です。

2006年07月27日 | 旅 歴史
唐沢の滝は長野県上田市の国道406号線沿いで菅平湖と菅平の中心街との間くらいの所にあります。高さ約15m、幅約10mの唐沢の滝は、遊歩道を少し歩けばすぐ目の前で見ることができます。新緑・紅葉の頃の美しさは抜群ですが、冬の凍った滝も魅力があります。菅平には多くの洞穴や岩陰がありますが唐沢は最大級だということです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角間渓谷の岩屋観音です。

2006年07月26日 | 旅 歴史
角間渓谷には岩屋洞窟と呼ばれている大きな洞窟があります。この岩の中の洞窟に堂が建てられていて観音様が祀られています。これが岩屋観音です。 毘邪(ひや)という鬼の住みかで「坂上田村麻呂」が討伐しようとしましたが、妖術に長じ霧にかくれ飛猿の如くすばしこく討つことができなかったそうです。将軍は隣町の霊験あらたかな馬頭観世音に祈願して術を封じてようやく鬼たちを討ち取ることができたそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真田昌幸のレリーフです。

2006年07月25日 | 旅 歴史
 上田から群馬県境の鳥居峠に抜ける国道144号線の真田町の入口下原に真田三代の碑があります。三代のレリーフは、中央が真田幸隆、向かって右が真田昌幸、左が真田幸村です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六文銭で有名な真田氏本城です。

2006年07月24日 | 旅 歴史
真田氏本城は規模の大きな山城です。松尾新城、住連寺城などとも呼ばれています。真田氏が上田城を築くまえの本城といわれています。隣にある天白城とともに馬蹄形状に構築されています。今日このページをアップしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追分馬子唄道中です。

2006年07月23日 | 旅 歴史
今日行なわれた信濃追分馬子唄道中の写真です。追分宿は中山道と北国街道の分岐点です。
 さらしなは右  みよしのは左にて  月と花とを追分の宿
とうたわれているように、ここを右すれば北国街道月の名所の更級や越後路に左すれば桜の名所吉野や関西方面に分かれたところです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上田の祇園祭です。

2006年07月22日 | 旅 歴史
 今、神輿が目の前を通り過ぎていきます。今日は祇園の祭りです。来週は市民の祭り「上田わっしょい」です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奄美大島にある西郷南洲謫居跡です。

2006年07月21日 | 旅 歴史
 安政6年(1859)西郷隆盛(号は南洲)が薩摩藩の怒りをかって流された西郷南洲謫居跡です。召還命令が下るまでの3年間この家で暮らしました。島の名家であった龍家の娘・愛加那(あいかな)という娘と結ばれ、2人の子ももうけたそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島原城です

2006年07月20日 | 旅 歴史
松倉豊後守重政によって元和4年(1618)から7年の歳月を費やして築かれた島原城です。本丸には安土桃山様式建築の粋を集めた総塗り込め白壁の美しい五層の天守閣がそびえます。三層櫓が3カ所ある豪壮堅固な城構えです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上田城薪能

2006年07月19日 | 旅 歴史
上田城薪能が来月8月24日(木)に上田市民会館で催されるそうです。
観世喜之・喜正父子と人気狂言師野村萬斎が出演するそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本のモアイ像です

2006年07月18日 | Weblog
平成8年(1996)4月13日にオープンした九州・宮崎県日南市にあるサンメッセ日南です。
モアイがブログのメインになっているので掲載してみました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

函館の五稜郭です。

2006年07月17日 | Weblog
北海道函館にある五稜郭です。ここの特徴は5つの突角をもつ星型である事と、日本最後の本格的な城郭であることです。
北辺防備のために築城されたものが、皮肉にも榎本武揚や新政府軍の日本人同士の戦いの場となってしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする