旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

四万の甌穴

2008年10月29日 | 旅 歴史
 今日は浅間山が初冠雪しました。群馬県中之条町大字四万にある四万の甌穴を紹介します。
 四万温泉の少し手前、国道353号沿いの四万川にに架かる「秋鹿橋」から下流の約130mの間に大小8個の甌穴が見られます。
 甌穴とは、川の渦巻き状の流れにより、石や砂が同じところを回り、川底の岩盤と接触して侵食されてできた丸い穴です。
 四万川の強い水の力が川底の転石を回し、岩盤(凝灰岩)の接触部に凹みを生じ数万年という長い年月にわたって浸食したものです。
 まさに自然が作り出した芸術です。四万川に取水ダムができる以前は、甌穴は子どもの水遊び場になっていたそうです。
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積善館

2008年10月26日 | 旅 歴史
 今日は群馬県吾妻郡中之条町四万甲にある積善館を取り上げます。
 本館は県重要文化財に指定されています。元禄時代の創業で300年の歴史を持っているそうです。この奥に山荘、佳松亭(かしょうてい)の3つの時代の建物が建っています。
 源泉は赤い橋の下を流れる新湯川の川底、毎分900Lの豊富な湧出量があり、お風呂は源泉掛け流し式です。
 積善館は新湯川と四万川の合流点にあって、宿の正面は新湯川を渡る橋になっています。数多くの映画のロケにも使われたところです。
 積善館には「元禄の湯」とよばれる浴室があります。1930年に造られたそうです。四万温泉のポスターのもなったそうです。
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泰寧寺

2008年10月25日 | 旅 歴史
 今日は群馬県みなかみ町須川にある泰寧寺を紹介します。
 写経とあじさいで有名な泰寧寺は延慶2年(1309)真改(しんかい)によって開基されたそうです。最初は臨済宗として開創されましたが、のちに曹洞宗になりました。開基は細川伊予守源綱利という説もあるそうです。
 中世の動乱期の中で一時衰退しましたが、月夜野の玉泉寺8世洞庵文曹(とうあんぶんそう)によって天文6年(1537)中興されたそうです。池に架かる風情のある石の橋を渡ると長い石段が続きます。
 石段の上には県の重要文化財に指定されている山門が堂々と建てられています。間口3間、奥行2間の楼門(ろうもん)で、入母屋造の禅宗様式の山門です。
 円柱12本のうち11本は1本の大ケヤキから取られたと言い伝えられているそうです。上層内部には釈迦三尊像、迦葉・阿難の二大弟子、十六羅漢像が安置されています。
 泰寧寺本堂も群馬県の重要文化財に指定されている立派な建物です。欄間は本堂正面の須弥壇の左右に2面あります。寛永7年(1795)再建されたものです。
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旧大庄屋役宅書院

2008年10月16日 | 旅 歴史
 今日は群馬県みなかみ町東峰須川にある旧大庄屋役宅書院を紹介します。
 旧大庄屋役宅書院は天保13年(1842)春に建てられました。河合家4代の定右衛門が大庄屋を仰せつけられた時に、領主伊丹氏が用人内山忠太夫に命じて建てさせたということです。
 間口3間、奥行5間、藁葺きの寄棟造書院で、式台 (しきだい)〈長さ2間、幅4尺)がある間口2間、奥行3間の玄関が母屋(おもや)と連結しています。
 伊丹氏が休息所に使用したようです。藁葺きに赤いトタンを覆ってしまっているので風情は損なわれています。農家の書院としてはまずらしく県指定の重要文化財となっています。
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前橋市水道資料館

2008年10月13日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市敷島町にある前橋市水道資料館を紹介します。
 前橋市水道資料館は給水開始した昭和4年(1929)からの60周年を記念して平成元年(1989)に敷島浄水場の管理事務所を改修して開館しました。
 隣にある配水塔は昭和4年(1929)に竣工されたもので今でも現役の水道施設として稼働しています。直径10m、高さ17mで避雷針をあわせると37mの巨大なものです。銅板を張った鋼鉄製の円筒型水槽を鉄骨の支柱で支えています。「水道タンク」の愛称で市民に親しまれています。
 昭和60年(1985)浄水構場事務所(現在の水道資料館)、配水塔が全国近代水道百選に選ばれています。
 水道資料館の床面積は、1階が182.58m2、2階が125.09m2で床総面積307.67m2です。鉄筋コンクリート造りで、屋根は小屋組み木造、エメラルドグリーンの瓦葺きです。採光のための半円形天窓が明るい感じを出しています。
 設計は、当時の建築界で高名な野田俊彦氏です。建物の外観、内部、庭などに昭和初期の雰囲気が漂います。 
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上野総社神社

2008年10月12日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市元総社町にある上野総社神社を紹介します。
 総社町の近辺は奈良時代に上野国府が置かれていたそうです。東国の奈良といわれ、崇神天皇の皇子で、上毛野・下毛野の国を開いた豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の墓だという二子山古墳もあります。
 この豊城入彦命が国土平定に貢献された經津主命の御武勇を敬愛し軍神として奉祀、武運の長久を祈願し、親神である盤筒男命・盤筒女命をも合祀してこの神社を創ったともいわれています。
 平安時代に上野国内549社の諸神を国府近くの一か所に合祀し、国司の遥拝所となったのが総社神社だといわれています。
 永禄9年(1566)10月の北条氏と武田氏との戦禍で、社殿をはじめ摂社、末社、宝物などことごとく灰燼に帰しました。かろうじて神明帳と御神鏡だけは難を免れそうです。
 群馬県の重要文化財に指定されている本殿は慶長年間(1596-1614)に総社城主秋元氏によって再建造営されたそうです。桃山時代の流造の様式をのこした立派な建築です。
 境内には他にも神楽殿や神庫があります。 宝物殿に納められている社宝の「正一位護国霊験惣社大明神」と書かれた額は清和天皇の勅額だといわれています。御神体である総社本上野国神名帳や懸仏、雲版は群馬県の重要文化財です。
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敷島公園

2008年10月09日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市敷島町にある敷島公園を取り上げます。
 前橋にある敷島公園は、利根川と広瀬川に接していて約37ヘクタールもある広大な公園です。約3千本の松林は100年前に利根川の洪水を防ぐために植えられたものだそうです。
 スポーツエリアには昭和58年(1983)あかぎ国体の主会場となった陸上競技場があります。野球場、サッカー・ラグビー場、テニスコート、屋内水泳場なども設けられています。
 松林に囲まれたレクリエーションエリアには水の広場、芝生のなかよし広場、フィールドアスレチック、ボート池、バラ園、熱帯植物温室などがあります。特に200種2千本のバラが咲き乱れるバラ園は人気があります。
 バラ園側の公園入口付近に「林間学校発祥の地」という石碑が建てられています。大正10年、ここで虚弱な児童を集めて林間学校をしたのだそうです。
 前橋で生まれた詩人、萩原朔太郎の生家も記念館として敷島公園の一画に移築復元されています。
 明治45年(1912)に落成した国立原蚕種製造所の本館も前橋市蚕糸記念館として敷島公園のバラ園内に移築保全されています。ここは日本の蚕糸業の振興に、また前橋の蚕糸業の発展に大きな役割を果たしてきたそうです。蚕業試験場、蚕糸試験場養蚕部などと改称され、昭和55年(1980)茨城県筑波学園都市へ移転したそうです。
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臨江閣

2008年10月02日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市大手町にある臨江閣を紹介します。
 中央児童遊園地の正面入口前にある数寄屋風の重厚な和風木造建築が臨江閣です。県の重要文化財に指定されている本館と茶室、市の重要文化財の別館があります。
 本館は明治17年(1884)9月、当時の群馬県令(県知事)の揖取素彦(かとりもとひこ)や有志によって迎賓館として建てられたそうです。
  明治26年(1893)には明治天皇の行在所となったそうです。また明治34年(1091)には伏見宮が滞在なさったそうです。その後は、結婚式の披露宴会場などに広く使われたそうです。
 別館は明治43年(1910)に共進会の貴賓館として建てられた木造2階建ての入母屋建築です。安中市にあった旧中山道の杉並木の樹齢200年の大木が30本も柱に使われたそうです。
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