京都府京都市左京区修学院薮添に修学院離宮があります。
中離宮の客殿は延宝6年(1678)に東福門院(東福門院は後水尾天皇の女御で徳川2代将軍秀忠の娘です)が亡くなった後に、光子内親王のために女院(にょいん)御所の奥後対面所を林丘寺に移築したものです。客殿は書院造りで、延宝5年(1677)に建てられています。
客殿は入母屋造り、木賊葺きの庇の深い屋根があり、板戸を建て、濡縁をを廻しています。その欄干の一部分には、乱菱状の格子が設けられ、「網干(あぼし)の欄干」といわれます。漁村で網を干した形に似ていることから名づけられたそうです。
客殿は西側の南に「一の間」、その東に「二の間」、その北に「三の間」があります。一の間の北には仏間もあります。一の間は12畳半で豪華な造りです。ここの1間半の飾り棚は霞棚(かすみだな)と呼ばれ、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一つに数えられています。互い違いの欅板が霞がたなびいているように見えることから名づけられたそうです。
地袋の戸の引手が羽子板になっていたり、床の壁や襖は、腰張が群青と金の菱形模様という斬新な意匠です。棚の壁面には後水尾上皇の勅命により詠まれた、修学院八景を詠み込んだ漢詩と和歌の色紙が貼り付けてあります。金具などには三つ葉葵の紋が入っていて、東福門院が徳川家から嫁いだことを物語っています。
二の間は10畳で、狩野永敬の四季絵があり、南側の畳縁の杉戸には鯉と鮒、大鯉を描かれています。魚たちが夜な夜な絵から抜け出して庭の池で泳ぐため、漁網を描き加えたといわれます。楽只軒に通じる階段との境の杉戸には、狩野敦信が描いたといわれる祇園祭の放下鉾と岩戸山の絵が描かれています。
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