旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

吉村寅太郎寓居之跡

2020年03月31日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区三条木屋町上る上大阪町に吉村寅太郎寓居之跡があります。
 土佐四天王の一人・吉村寅太郎が文久3年(1863)に住んでいたところです。武市瑞山寓居跡の四国屋丹虎の隣に石碑が建てられています。寅太郎は土佐の庄屋の息子で、瑞山に師事し、尊皇攘夷に傾倒します。平野国臣らの浪士蜂起計画に呼応し、脱藩します。
 寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄。釈放後、再び京都へ上り孝明天皇の大和行幸の先駆けとなるべく中山忠光を擁立して天誅組を組織します。大和国で挙兵しましたが、八月十八日の政変で逆賊扱いになり、幕府軍の攻撃を受け敗れ戦死しました。享年27歳という若さでした。

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武市瑞山寓居之跡

2020年03月30日 | 旅 歴史

京都府京都市中京区三条木屋町に武市瑞山寓居之跡があります。
 文久2年(1862)に武市瑞山(半平太)が住んでいた「四国屋丹虎」の跡です。現在は、料亭「金茶寮」となっていて、武市ゆかりの間があるそうです。長州藩や尊攘派の志士達の定宿になっていて、池田屋事件の際に、土方歳三の探索を受けたところです。
 瑞山は中岡慎太郎、坂本龍馬、吉村寅太郎とともに土佐四天王と呼ばれた人物です。尊王攘夷を志し、土佐勤王党を結成、山内容堂に従って上洛。京都留守居役になり、吉田東洋が暗殺されると尊皇攘夷運動の中心人物になります。しかし八月十八日の政変で政局が一変し、容堂によって投獄され、慶応元年(1865)切腹させられました。37歳の若さでした。

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木戸孝允(きどたかよし)邸跡

2020年03月29日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区土手下夷川上る末広町に木戸孝允(きどたかよし)邸跡があります。
 木戸孝允(桂小五郎)邸は旧長州藩邸から300mほど北にあります。明治2年(1869)、木戸は鴨川畔の近衛家下屋敷を買い取り、自身の京都別邸としました。石長松菊園という旅館の前に「木戸孝允旧跡」という石碑が建てられています。
 明治10年(1877)、この別邸で危篤に陥った木戸を明治天皇が自ら見舞いに訪れました。一介の武士に対し前例のないことです。木戸はここで亡くなり、その子忠太郎が居住しました。昭和18年(1943)に京都市に寄贈され、一部、京都市職員会館「かもがわ」という市職員厚生施設となっています。

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旧長州藩邸址

2020年03月28日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区河原町に旧長州藩邸址があります。
 長州藩邸は高瀬川一之舟入の南側から御池通まで、河原町通から木屋町通に至る広い敷地でした。旧長州藩邸址の碑は京都市役所の東側、京都ホテルオークラの正面に建てられています。
 元治元年(1864)の蛤御門の変(禁門の変)で会津、薩摩を中心とする朝廷、幕府側に敗れた長州藩は、自らこの藩邸に火を放ち、京都を去りました。明治維新後、藩邸跡は官有となり、明治初年には勧業場が設立され、後に常盤ホテル(京都ホテルの前身)が建てられました。

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旧日本銀行京都支店

2020年03月27日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区三条高倉西入菱屋町に旧日本銀行京都支店があります。
 旧日本銀行京都支店は明治27年(1894)に開設された東洞院通御池上ルにあった日本銀行京都出張所が明治39年(1906)に新築移転してできた建物です。明治44年(1911)に出張所から支店になり、昭和40年(1965)に河原町通二条に移転しました。
 昭和42年(1967)に財団法人古代学協会の所有となり、平安博物館として開館しました。昭和44年(1969)には国の重要文化財に指定されました。昭和61年(1986)に京都府に寄贈され、修理・復元され、昭和63年(1988)に京都文化博物館別館として公開されました。

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二条城天守台

2020年03月26日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 天守台には石垣だけが残されています。慶長11年(1606)、伏見城から移築した5層の天守閣が完成し、慶長19年(1614)の大坂の陣では徳川方の本営となりました。寛延3年(1750)の落雷で天守が焼け落ちてしまいました。3代徳川家光以降、14代家茂まで上洛する将軍がいなかったため、天守は再建されませんでした。

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二条城本丸御殿御書院

2020年03月25日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 本丸御殿御書院は寛政2年(1790)から寛政5年(1793)にかけて建てられています。南面18.6m、東面25.4m、単層、入母屋造り、桟瓦葺きです。御書院は一之間、二之間、三之間、四季之間(春之間、夏之間、秋之間、冬之間)などがあります。昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城御常(おつね)御殿

2020年03月24日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 本丸御殿の御常(おつね)御殿は京都御苑の今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿です。明治26年(1893)から翌年にかけて本丸内に移築されました。仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前、約1年8ヶ月間住まわれた建物で、嘉永7年(1854)の内裏の火災の時も延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用されました。
 御常御殿は西面13.9m、南面31.7m、2重2階建てで、西面は入母屋造り、東面は寄棟造りです。2階は寄棟造り、桟瓦葺きになっています。松鶴之間、四季花草之間、雉子之間、萩之間などがあります。嘉永2年(1849)に建てられた建物で、昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城本丸御殿玄関

2020年03月23日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 本丸御殿の玄関は西面が27.3m、南面が13.8m、単層、入母屋造り、桟瓦葺き、御車寄は唐破風造り、銅板葺きです。玄関之間、取次詰所、取次之間、竹之間 二室、殿上之間、公卿之間、使者之間、御車寄などがあります。弘化4年(1847)に建てられた建物で、昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。

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二条城本丸御殿

2020年03月22日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 現在の本丸御殿は、京都御所にあった旧桂宮邸の御殿を移築したものです。創建当時の本丸御殿は、現存する二の丸御殿にほぼ匹敵する規模で、狩野派の障壁画で飾られていましたが、天明8年(1788)の天明の大火で灰燼に帰しました。その後、本丸御殿は再建されず、幕末に15代将軍徳川慶喜の住居として建てられました。しかしこの御殿も明治14年(1881)に撤去されてしまいました。
 現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治26年(1893)から明治27年(1894)にかけて本丸内に移築したものです。本丸御殿は玄関、御書院、御常御殿、台所及び雁之間が国の重要文化財に指定されています。

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二条城釣鐘

2020年03月21日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二の丸庭園の入口付近に釣鐘が置かれています。この鐘は、幕末の政変の時期に二条城と北側の所司代との連絡に使われました。鐘は二条城と所司代に設置され、二条城では東北隅の艮櫓跡に置かれました。鳥羽・伏見の開戦などにも使われ、明治になってからも非常時に備え使用されたそうです。

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二条城二の丸庭園

2020年03月20日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城には江戸時代につくられた二の丸庭園、明治時代の本丸庭園、昭和時代の清流園の3つの庭園があります。小堀遠州作と伝わる二の丸庭園は慶長7年(1602)の二条城の築城当初から存在し、寛永3年(1626)の御水尾天皇行幸の際に改修されました。二の丸庭園は書院造庭園で、神仙蓬莱の世界を表した庭園といわれています。
 三つの島と四つの橋を設けた池を中心とした池泉回遊式の庭園で、「八陣の庭」とも呼ばれています。二の丸御殿大広間上段の間(将軍の座)、黒書院上段の間(将軍の座)、行幸御殿上段の間(天皇の座)・御亭の主に三方向から鑑賞できるように設計されていました。昭和28年(1953)に国の特別名勝に指定されています。

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二条城白書院

2020年03月19日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 黒書院の奥には白書院があります。二の丸御殿の一番奥の建物です。間口6間、奥行6間、単層、入母屋造り、本瓦葺きです。将軍の居間・寝室として使われた部屋で、内部の装飾も大広間や黒書院とは違い、落ち着いたものになっています。絵画は狩野興以(こうい)または長信(ながのぶ)によるもので、居間にふさわしい水墨山水画となっています。
 慶長7年(1602)から翌年にかけ建てられ、寛永2年(1625)から翌年にかけ改修されています。かつては本丸の櫓門へと繋がる廊下橋があり、外に出る事なく直接本丸へ行くことができましたが、明治時代に撤去されてしまいました。白書院は昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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二条城黒書院

2020年03月18日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 蘇鉄の間の奥に黒書院があります。大広間より小さいことから小広間とも呼ばれています。黒書院は将軍が親藩大名や譜代大名と対面した場所です。間口は正面が7間、背面が8間、奥行は右側面が6間、左側面が8間、単層、入母屋造り、本瓦葺きです。慶長7年(1602)から翌年にかけ建てられ、寛永2年(1625)から翌年にかけ改修されています。
 黒書院の襖絵は狩野探幽の弟、尚信(なおのぶ)の作品です。金箔地の上に描かれた金碧障壁画で巧みな装飾が施されています。徳川家光の時に、後水尾天皇の行幸を迎える際に狩野派一門に描かせました。二の丸御殿全体で3千面以上もあり、1016面が国の重要文化財に指定されています。黒書院も昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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二条城二の丸御殿蘇鉄之間

2020年03月17日 | 旅 歴史

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二の丸御殿の蘇鉄之間は大広間から続く部屋で、間口は右側面が8間、左側面が9間、奥行は正面が1間、背面が3間、入母屋造り、本瓦葺きです。外の西側に広がる庭園には蘇鉄が植えられています。慶長7年(1602)から翌年にかけ建てられ、寛永2年(1625)から翌年にかけ改修され、昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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