岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢にある毛越寺です。
毛越寺は嘉祥3年(850)慈覚大師円仁が開祖になり、奥州藤原氏2代基衡の勅願によって造営したお寺です。毛越寺は中尊寺と並び平泉町を代表とする寺院で、国特別史跡と特別名勝に指定されています。
大師が東北巡遊でこの付近に来たとき、一面霧におおわれて進めなくなりました。その時、足元に 白鹿の毛が落ちていました。不思議に思いその毛をたどると前方に白鹿がうずくまっていました。
大師が近づいて行くと、白鹿の姿は消えて一人の白髪の老人が現れ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げたのです。円仁は、この老人こそ薬師如来の化身と思い、一宇の堂を建立し、毛越寺が始まったのです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
毛越寺は嘉祥3年(850)慈覚大師円仁が開祖になり、奥州藤原氏2代基衡の勅願によって造営したお寺です。毛越寺は中尊寺と並び平泉町を代表とする寺院で、国特別史跡と特別名勝に指定されています。
大師が東北巡遊でこの付近に来たとき、一面霧におおわれて進めなくなりました。その時、足元に 白鹿の毛が落ちていました。不思議に思いその毛をたどると前方に白鹿がうずくまっていました。
大師が近づいて行くと、白鹿の姿は消えて一人の白髪の老人が現れ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げたのです。円仁は、この老人こそ薬師如来の化身と思い、一宇の堂を建立し、毛越寺が始まったのです。
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岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺金色堂です。
中尊寺の金色堂は藤原清衡が天仁2年(1109)ごろから着手して15年の歳月をかけ天治元年(1124)に完成させました。単層、宝形造りの阿弥陀堂で、堂の内外に漆を塗り、金箔を重ねた金色の建物です。
内部の装飾も華麗です。柱や須弥壇、長押し(なげし)、桁(けた)などには白く光る夜光貝の〈らでん〉をちりばめ、要所には透かし彫りの金具・漆の蒔絵と、お堂というより工芸美術品のようです。
建武4年(1337)の大火の時もこの金色堂だけが被害に遭わず中尊寺創建当初の唯一の遺構になっています。壇上には本尊阿弥陀如来を中心に、黄金に輝く11体の仏像が安置されています。
金色堂の中央の須弥壇には、初代清衡の遺骸、向かって左の壇に2代基衡、右の壇に3代秀衡の遺骸が安置されていて、秀衡の遺骸の傍らに、子泰衡の首級が納められています。
高蔵寺阿弥陀堂(宮城県角田市)と白水阿弥陀堂(福島県いわき市)と共に東北3大阿弥陀堂の一つに数え上げられていて、当時の地方へ波及した阿弥陀堂建築を代表する存在です。中尊寺金色堂は平成9年(1997)国宝に指定されています。
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中尊寺の金色堂は藤原清衡が天仁2年(1109)ごろから着手して15年の歳月をかけ天治元年(1124)に完成させました。単層、宝形造りの阿弥陀堂で、堂の内外に漆を塗り、金箔を重ねた金色の建物です。
内部の装飾も華麗です。柱や須弥壇、長押し(なげし)、桁(けた)などには白く光る夜光貝の〈らでん〉をちりばめ、要所には透かし彫りの金具・漆の蒔絵と、お堂というより工芸美術品のようです。
建武4年(1337)の大火の時もこの金色堂だけが被害に遭わず中尊寺創建当初の唯一の遺構になっています。壇上には本尊阿弥陀如来を中心に、黄金に輝く11体の仏像が安置されています。
金色堂の中央の須弥壇には、初代清衡の遺骸、向かって左の壇に2代基衡、右の壇に3代秀衡の遺骸が安置されていて、秀衡の遺骸の傍らに、子泰衡の首級が納められています。
高蔵寺阿弥陀堂(宮城県角田市)と白水阿弥陀堂(福島県いわき市)と共に東北3大阿弥陀堂の一つに数え上げられていて、当時の地方へ波及した阿弥陀堂建築を代表する存在です。中尊寺金色堂は平成9年(1997)国宝に指定されています。
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岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺の白山神社です。
金色堂のさらに奥に白山神社があります。嘉永6年(1853)に再建された建物です。中尊寺鎮守の1つで中尊寺一山の僧侶によって神寺能(じんじのう)が行われています。
嘉祥3年(850)中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山神社から分霊し、大師自ら十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号したそうです。
白山神社境内には入母屋造りの能舞台と楽屋があります。毎年5月4、5日に古実式三番(こじつしきさんば)と御神事能(おじんじのう)が奉納されています。
能画家松野奏風による松が優雅に描かれています。昭和22年(1947)描かれたということです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
金色堂のさらに奥に白山神社があります。嘉永6年(1853)に再建された建物です。中尊寺鎮守の1つで中尊寺一山の僧侶によって神寺能(じんじのう)が行われています。
嘉祥3年(850)中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山神社から分霊し、大師自ら十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号したそうです。
白山神社境内には入母屋造りの能舞台と楽屋があります。毎年5月4、5日に古実式三番(こじつしきさんば)と御神事能(おじんじのう)が奉納されています。
能画家松野奏風による松が優雅に描かれています。昭和22年(1947)描かれたということです。
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岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺の旧覆堂です。
中尊寺旧覆堂は金色堂を風雪から護るために正応元年(1288)鎌倉幕府によって建てられた五間四方の堂です。古くは「鞘堂(さやどう)」と呼ばれていました。
近年の調査では、金色堂が建立されてから50年ほどしてから簡素な覆屋根がかけられ、増改築を経て室町時代中期に現在の形になったものと考えられています。
芭蕉をはじめ多くの文人や参拝客が堂内に入り薄明かりの中に金色堂を拝観したのです。昭和38年(1963)に新しい覆堂が建設されたので少し離れた現在の所に移築されました。旧覆堂は大正6年(1917)国の重要文化財に指定されています。
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中尊寺旧覆堂は金色堂を風雪から護るために正応元年(1288)鎌倉幕府によって建てられた五間四方の堂です。古くは「鞘堂(さやどう)」と呼ばれていました。
近年の調査では、金色堂が建立されてから50年ほどしてから簡素な覆屋根がかけられ、増改築を経て室町時代中期に現在の形になったものと考えられています。
芭蕉をはじめ多くの文人や参拝客が堂内に入り薄明かりの中に金色堂を拝観したのです。昭和38年(1963)に新しい覆堂が建設されたので少し離れた現在の所に移築されました。旧覆堂は大正6年(1917)国の重要文化財に指定されています。
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