福島県喜多方市慶徳町新宮字新明道下にある会津新宮城跡をご紹介します。
新宮城(しんぐうじょう)は会津盆地北西部にあった中世の城館です。城の南西部には新宮熊野神社が祀られています。佐原義連の孫・新宮時連が建暦2年(1212)に築いたといわれています。
新宮氏は、鎌倉時代から室町時代初期にかけてこの付近を治めていました。鎌倉末期に新宮荘地頭として土着し、14世紀末以降、蘆名(あしな)氏としばしば争いました。応永22年(1415)以降に新宮城は落城し、新宮氏は蘆名氏に滅ぼされたのです。
城跡は大規模な方形居館(ほうけいきょかん)の主郭を中心とし、これを囲む外郭からなりたっています。主郭の内側は東西100~120m、南北120~130mの規模で、その周囲に幅15~20mの堀がめぐっています。堀の内側には幅7~8mほどの土塁が積まれています。外郭は東西約480m、南北約440mで自然の河川と人工の堀で構成されていました。平成21年(2009)に国指定史跡となっています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
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新宮城(しんぐうじょう)は会津盆地北西部にあった中世の城館です。城の南西部には新宮熊野神社が祀られています。佐原義連の孫・新宮時連が建暦2年(1212)に築いたといわれています。
新宮氏は、鎌倉時代から室町時代初期にかけてこの付近を治めていました。鎌倉末期に新宮荘地頭として土着し、14世紀末以降、蘆名(あしな)氏としばしば争いました。応永22年(1415)以降に新宮城は落城し、新宮氏は蘆名氏に滅ぼされたのです。
城跡は大規模な方形居館(ほうけいきょかん)の主郭を中心とし、これを囲む外郭からなりたっています。主郭の内側は東西100~120m、南北120~130mの規模で、その周囲に幅15~20mの堀がめぐっています。堀の内側には幅7~8mほどの土塁が積まれています。外郭は東西約480m、南北約440mで自然の河川と人工の堀で構成されていました。平成21年(2009)に国指定史跡となっています。
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