旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

宮沢賢治記念館

2013年01月31日 | 旅 歴史
 岩手県花巻市矢沢にある宮沢賢治記念館です。
 宮沢賢治記念館は昭和57年(1982)9月にオープンしました。稗貫郡里川口村(花巻市)の質・古着商の息子として生まれた賢治がよく散歩した胡四王山(こしおうざん)の中腹の緑豊かな林の中に、モダンな記念館は建っています。
 宮沢賢治は詩人、童話作家、農民、教師、宗教家、地質学者であっただけでなく絵画、肥料設計、音楽、エスペラント語研究、など多方面にわたる足跡を残した人です。
 展示は、宮沢賢治をめぐるその環境・信仰・科学・芸術・農村・総合・資料展示の7部門からなり、愛用していたチェロ、自筆の原稿など、多くの資料や展示品も並んでいます。また、宮沢賢治イーハトーブ館には、賢治に関連した様々なジャンルの芸術作品なども並んでいます。

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花巻市博物館

2013年01月30日 | 旅 歴史
 岩手県花巻市高松第26地割にある花巻市博物館です。
 花巻市博物館は平成16年(2004)4月に宮澤賢治記念館の丘の下、宮沢賢治童話村の隣に開館しました。考古、歴史、美術・工芸の3つに分けて稗貫・和賀を含む花巻の歴史と文化をわかりやすく展示・解説しています。
 花巻市は、江戸時代、盛岡藩の南の要塞として花巻城が置かれ、南部藩の重臣・北秀愛と北松斎の城代によって今日の花巻の基礎が築かれました。奥州街道を城下町に引き込み四日町や一日市、里川口を商人町として周囲から商人を集め、経済的基盤を確立させたのです。
 盛岡藩時代の甲冑、武具、江戸時代の町並みを再現したミニチュア、敷地内から出土した約140万年前のアケボノゾウの足跡化石レプリカなどが展示され、稗貫郡里川口村(花巻市)の質・古着商の息子として生を受け、花巻市で亡くなった宮沢賢治のコーナーもあります。

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熊谷家住宅

2013年01月29日 | 旅 歴史
 岩手県花巻市矢沢にある熊谷家住宅です。
 熊谷家住宅は江戸後期、天保年間(1830-1844)頃にに建てられたと考えられる大型民家です。本屋は、寄棟造(よせむねづくり)の萱葺きの直家(すごや)です。(直屋は一般的な長方形の住宅です)
 間口約14間、桁行9.5間(馬屋を入れると12.5間)、奥行約7間、梁間6間です。上家の梁間は5間でかなり大きく、これを前後に3尺ずつ下屋に附した形です。
 熊谷家は、屋号を「酢屋」といい、幕末には製酢業を営み、矢沢村の肝入(きもいり)も勤めていました。熊谷家は盛岡藩の南辺(なんへん)地域の大型民家を今に伝える貴重な建物で主屋、土蔵2、便所、 小屋、屋敷神が花巻市有形文化財に指定されています。

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光勝寺

2013年01月28日 | 旅 歴史
 岩手県花巻市石鳥谷町五大堂にある光勝寺です。
 貴峰山光勝寺(こうしょうじ)は真言宗、豊山派のお寺です。宝蔵庫には町指定有形文化財の14体の仏像を収蔵しています。ここが有名なのは五大尊蘇民祭(ごだいそんそみんさい)が行われるお寺だからです。
 旧暦の正月7日(2月1日)1年間の無病息災を祈願した木札365枚を麻袋に入れ、守り札として奪い合い手にした者に幸福が訪れるという、800年以上前に始まったといわれる伝統行事です。
 蘇民祭は建久2年(1191)に始まったとされ、花巻市の無形民俗文化財に指定されています。昔は招福の護摩火餅の争奪だったそうですが、明治27年(1894)に梵字(ぼんじ)の文字と駒形の絵を記した板札を麻袋に入れ、群衆の中に投下する現在のやり方になったそうです。

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啄木新婚の家

2013年01月27日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市中央通にある啄木新婚の家です。
 石川啄木新婚の家は明治38年(1905)、中学時代からの友人節子と結婚した家で、新妻ばかりでなく両親と妹と共にわずか3週間だけ暮らした家です。
 結婚式を前に婚約者の掘合節子は啄木を待っていました。しかし啄木は姿を見せなかったため、級友で画家の上野宏一の晩酌で珍妙な「花婿のいない結婚式」がこの家で行われたそうです。
 その後、20歳の啄木はこの家で3週間新婚生活を送りました。この家で稿を起こした随筆「閑天地」は連日、岩手日報の紙上の掲載されました。「我が四畳半」には新婚の夢あたたかな情景を描いています。

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旧中村家住宅

2013年01月26日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市愛宕町にある旧中村家住宅です。
 旧中村家住宅は文久元年(1861)に建てられた盛岡市中央公民館構内にある商家です。盛岡市南大通(新穀町)に建てられていましたが中村七三氏から寄贈を受け、移築、復元された町屋建築です。
 中村家は「糸屋」または「糸治」と呼ばれ、呉服・古着などを主に商っていたようです。初代は天明2年(1782)から盛岡で商売をはじめ、2代目の時から「糸屋」を称するようになり盛岡藩の特産である紫根染を一手に商うなどして発展し領内指折りの豪商となりました。
  主屋は文久元年(1861)頃に建てられました。木造1部2階建て、切妻平入り、瓦葺きです。1階には雪国によく見られる「こみせ」のような土間空間が「みせ」前にあり、風雪を避けるように造られています。
 建物の外壁には隣家への防火対策としてこの地方独特な「うだつ」が上がっています。壁一面、土壁で仕上げ、2階屋根の上まで壁を延ばしています。主屋、土蔵、はかりばが国の重要文化財に指定されています。

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旧藤野家住宅

2013年01月25日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市上田字松屋敷の岩手県立博物館内にある旧藤野家住宅です。
 旧藤野家住宅は岩手県江刺市伊手にあった直屋(すごや)とよばれる農家建築で、岩手県立博物館に移築、復元されています。直屋は一般的な長方形の住宅で、仙台藩領と二戸・九戸地方に多い農家の建て方です。
 旧藤野家住宅は19世紀前半に建てられたとみられ、当初からほとんど改修されず、江刺地方の典型的な平面構成をしています。土間側妻を寄棟造り、座敷側妻を入母屋造りとしています。
 建坪は40坪と比較的小規模で、向って左側に玄関があり「にわ」と呼ばれる土間空間があり、右側に「おかみ」、「なかま」、「なんど」、「でえ」と呼ばれる板敷きの部屋が喰い違いで構成されています。昭和53年(1978)国の重要文化財に指定されています。

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旧佐々木家住宅

2013年01月24日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市上田字松屋敷の岩手県立博物館内にある旧佐々木家住宅です。
 旧佐々木家住宅は下閉伊郡岩泉町大字岩泉字指畑にあった曲り家の農家建築です。佐々木家は藩政時代、岩泉村の肝煎(今の村長)を務めていました。現在、岩手県立博物館に移築、復元されています。
 建物は約64坪で、この地方としては標準的な規模です。建築年代は19世紀後半頃と推定されています。岩手県北地方の農家の比較的古い形式で建てられています。柱には栗材を用い、チョウナなどを使って仕上げています。
 曲り家は、岩手県の旧南部領に分布する民家のひとつの形式で、曲りの部分はまや(馬屋)として使われました。旧佐々木家住宅は、国の重要文化財に指定されています。

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岩手県立博物館

2013年01月23日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市上田字松屋敷にある岩手県立博物館です。
 岩手県立博物館は岩手県の県制百年を記念して昭和55年(1980)10月に開館した総合博物館です。総合展示室では岩手の歴史を時代の流れに沿ってテーマ別に展示しています。
 分類展示室では動物や地質などの自然や、考古・民俗などを各分野に分けて展示しています。近代美術展示室では岩手県ゆかりの画家や彫刻家の作品を展示しています。特に萬鉄五郎の作品や遺品は約1600点に及んでいます。
 屋外には国の重要文化財に指定されている旧佐々木家住宅、旧藤野家住宅を展示しています。江戸後期に建てられた曲り家・直家で移築復元されたものです。また、県内の草木と岩石を集めた植物園と岩石園もあります。

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岩手銀行旧本店本館(旧盛岡銀行)

2013年01月22日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市中ノ橋通にある岩手銀行旧本店本館(旧盛岡銀行)です。
 岩手銀行旧本店本館は昭和6年(1931)の岩手県金融恐慌で破綻した盛岡銀行の建てた建物です。明治44年(1911)、交差点を向いた正面にドームを頂いた市中心街のランドマーク的建築として建てられました。
 赤レンガ造り2階建て(一部3階)、屋根は銅板葺きでドーム部分のみスレート葺きになっています。設計は東京駅を設計した辰野金吾氏と盛岡出身の工学士・葛西萬司です。ルネッサンス様式で、辰野式と呼ばれる赤れんがにアクセント効果を与える白色花こう岩の帯とドーム屋根の組み合わせが印象的です。
 建物正面は六角形の平面でこの部分だけが3階となっています。柱飾りやレリーフなどの意匠に凝っていて、正面性を出し、屋根にはドーマをつけて印象深い建物にしています。
 窓は縦長を基調とし1階は小庇、2階は上部をファンライトと呼ばれる半円形の欄間として変化をつけています。明治の貴重な建物として国の重要文化財に指定されています。

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岩手護国神社

2013年01月21日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市八幡町にある岩手護国神社です。
 岩手護国神社は明治2年(1869)南部藩15代の最後の藩主、県知事でもあった南部利恭によって創建されました。最初は岩手郡東茶野畑(盛岡市内)に鎮座していましたが明治39年(1906)盛岡八幡宮境内に遷座されました。
 昭和14年(1939)に招魂社から「岩手護国神社」と名称を変えました。盛岡藩士の目時隆之進や中島源蔵、戊辰戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦などの戦没者約35800柱を祀っています。


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盛岡八幡宮

2013年01月20日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市八幡町にある盛岡八幡宮です。
 盛岡八幡宮の創建は康平5年(1062)前九年合戦の時、源頼義・義家父子が戦勝祈願した事が始まりとされています。延宝8年(1680)、南部氏第29代南部重信藩主が領内守護の総氏神として大社殿を造営しました。
 重信は青森から南部氏の崇敬社であった櫛引八幡を盛岡城下である現在地に遷座させ「新八幡」としました。維新後、盛岡城は廃城となり、城内にあった鳩森八幡宮が櫛引八幡と合祀する形で遷座し、さらに明治22年(1889)に白山神社を合祀しました。
 明治17年(1884)の盛岡大火などの災害や永年の風雪被害を受けて社殿は幾度か再建されました。現在の社殿は平成9年(1997)に再建されたものです。境内には盛岡指定文化財の青銅灯篭や延暦期に坂上田村麻呂が建立したという神明社、笠森稲荷神社、岩手護国神社などがあります。
 盛岡八幡宮は県下一の大社で、多くの参拝者で賑わっています。チャグチャグ馬コや流鏑馬などの神事が受け継がれていて盛岡総鎮守として広く信仰の対象となっています。

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旧盛岡高等農林学校門番所

2013年01月19日 | 旅 歴史
岩手県盛岡市上田にある岩手大学農学部(旧盛岡高等農林学校)の番所です。
 旧盛岡高等農林学校門番所は明治36年(1903)盛岡高等農林学校の正門(現在の通用門)に建てられた「寄せ棟風八角」の造りで、建築文化にとって価値ある明治の建物です。
 この門番所は、本館の竣工により、現在地に移築されました。この門番所と旧正門も同時期の学校施設として価値が認められ、旧本館とともに国の重要文化財に指定されました。

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岩手大学農学部(旧盛岡高等農林学校)旧本館

2013年01月18日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市上田にある岩手大学農学部(旧盛岡高等農林学校)旧本館です。
 岩手大学農学部旧本館は大正元年(1912)12月に盛岡高等農林学校の本館として建てられました。青森ヒバを用いた明治後期を代表する木造2階建ての欧風建築物で、2階は全体が講堂で、1階は、校長室、事務室、食堂などになっていました。
 昭和49年(1974)大学が現在地に移転後、傷みがひどくなったため、昭和52年(1977)に修復を行い、翌年から岩手大学農学部附属農業教育資料館として使用されています。また、平成6年(1994)10月にも大修復がなされました。
 この旧本館は、明治期に設置された国立専門学校の中心施設として現存する数少ない遺構の一つです。建築当時の姿をそのまま留めていて、保存状態も良好であることから、門番所とともに国の重要文化財に措定されました。


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報徳寺

2013年01月17日 | 旅 歴史
 岩手県盛岡市名須川町にある報徳寺の案内です。
 瑞鳩峰山報恩寺(ほうおんじ)は曹洞宗のお寺で、盛岡五山の一つです。応永元年(1394)に南部家13代南部守行により、陸奥国三戸郡に創建されたと伝えられています。
 慶長6年(1601)南部家27代南部利直の時、盛岡に移封のため、報恩寺も現在地に移り、南部領内208カ寺の総領となりました。本堂は嘉永4年(1851)に改築されたもので、羅漢堂は享保20年(1735)に建てられた平屋建て、土蔵造りの建物です。
 五百羅漢は報恩寺の羅漢堂に納められた尊像で、499体が現存しています。羅漢堂の中は四方の壁が棚になっていて、そこにびっしりと羅漢、つまり仏教行者の像が何段にも並んでいます。
 これらの像は胎内の墨書銘から、享保16年(1731)報恩寺17代和尚が造立したもので、京都の仏師が9人掛かりで4年間かけて造ったそうです。全て寄せ木造り、漆塗りで、像の中にはマルコポーロ、フビライなども含まれています。羅漢堂と五百羅漢は盛岡市指定有形文化財になっています。
 石川啄木がまだ盛岡中学の学生だったころ、この北山一帯の風光をこよなく愛し、級友とよく散策したといわれています。詩集「あこがれ」の中の「落瓦の賦」は報恩寺をうたったものです。
 宮沢賢治も 盛岡高等農林学校時代に報恩寺で参禅したりして報恩寺を訪れています。

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