旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

田中一村記念美術館

2011年06月30日 | 旅 歴史
 奄美パークの中にある田中一村記念美術館です。
 日本画家の田中一村は明治41年(1908)7月22日栃木県に生まれました。奄美の自然に魅せられ、昭和33年、50歳のときに奄美に移り住みました。日本のゴーギャンともいわれています。
 泥染工をしながら亜熱帯の植物や魚を精密な写生と大胆な構図で描き続けた田中一村でしたが無名のまま昭和52年(1977)名瀬市の借家でひとり夕食の準備をしているときに心不全で倒れ69才の生涯を終えたそうです。

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奄美パーク

2011年06月29日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市笠利町にある奄美パークです。
 旧空港跡地に建設されたばかりの奄美パークです。道路沿いの入口付近には奄美の民家も再現されています。
 民家を見ながら上っていくと大きなドームが見えてきます。「奄美の郷」という展示館です。駐車場も広く南国の木々も植えられていてムード満点です。
 奄美の自然を紹介するミニシアターや、画家・田中一村の美術館が併設されています。
 奄美諸島の5つの島(喜界島、奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島)を個別に紹介するブースがあり各島の特徴が説明されます。
 島唄をゆっくり聴くことができる装置があります。これを聞きながら加計呂麻の諸鈍シバヤも見ることができるのです。

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大瀬海岸

2011年06月28日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市笠利町にある大瀬海岸です。
 大瀬海岸は、奄美群島では最大の海鳥の渡りの中継地であり休息場所です。奄美の海岸の中でもとりわけ美しいといわれる土盛海岸のすぐ隣の海岸です。
 バードウォッチングの観察ポイントとして有名で全国からマニアの人がやってくるそうです。海岸線沿いにはサイクリングロードもあり灯台も見えます。
 夏期はセッカ、コサギ、クロサギ、イソシギアジサシなどが群れ飛び、冬期はハクセキレイ、ダイサギ、シギやシロチドリ、カモやウなどが集まっているそうです。
 奄美大島の野鳥の紹介をしている看板です。写真付きなのでわかりやすく説明してありました。

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笠利町歴史民俗資料館

2011年06月27日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市笠利町須野にある笠利町歴史民俗資料館です。
 あやまる岬近くにある資料館です。数多くの資料が収蔵展示され,奄美文化の研究の拠点になっています。
 先史時代の遺跡の出土品をはじめ、昔の衣類や農具といった民俗資料を展示しています。「奄美の歴史と文化-黒潮の民の足跡-」をテーマとして構成されています。
 奄美は古代から「道の島」として知られ,南島と九州を結ぶ文化交流の道となっていました。笠利町からは数多くの遺跡が発見されています。
 

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あやまるソテツジャングル

2011年06月26日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市笠利町須野にあるあやまるソテツジャングルです。
奄美大島では食料がないとき、ソテツの種子や幹を利用した「蘇鉄ガユ」「ナリ味噌」で窮地を凌いだそうです。
 ソテツは成長するのが遅いので、大きなものでは200年以上のものもあるそうです。
 ソテツは海岸山地を問わずいかなる痩せ地にも生育し風土にあった植物であったことから大事に育てられてきたそうです。
  奄美大島の至る所にたくさんのソテツが自生しています。このほとんどが山肌や赤土に群生していますが、ここあやまるのソテツは砂地に群生しています。
  あやまるのソテツ群は砂地に育つソテツとしては奄美一の群生だそうです。

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あやまる観光公園

2011年06月25日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市笠利町須野にあるあやまる観光公園です。
 あやまる岬のすぐ近くには、大人や子供が楽しめる遊具施設いっぱいの公園、あやまる観光公園があります。
 高台からの眺めとは違って海がより身近に感じられます。海からの風も心地よいです。海水プールなども備わっています。
 ファンシーサイクル、サイクル列車などがあり広場や美しい海岸で有名な土盛海岸までつながるサイクリングコースもあります。

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あやまる岬

2011年06月24日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市笠利町須野にあるあやまる岬です。
 奄美の乙女達は正月になると赤、青、黄のいろとりどの糸で刺繍したきれいな手鞠で手鞠歌をを唄いながら手鞠つきをしたそうです。
 この岬の一帯のなだらかな地形が「アヤに織られた手鞠」によく似ていたことからいつの頃からか「アヤマル」と呼ばれるようになったそうです。
 岬に説明板には「由来は、あやに織りなした鞠の如く美しい岬というところからつけられた」同様な事が書かれていましたが別の意見もあるようです。
  「あや」というのはぼんやりと見えにくいことを指していて、転じて「山の一番遠いところ、はるかに高い所」の意味になるそうです。
  「まる」とは「まり」が変化したものだといいます。「まり」お尻のこと指します。つまり、あやまる岬から内陸に見える山の向こう側からの名称として遠くの山のその端(尻)にある岬からあやまる岬になったというのです。
 いずれにしても素晴らしい眺望です。奄美十景のひとつ、あやまる岬の展望台です。太平洋が一望できるのです。
  岬に立つと眼下には白い砂浜と遠浅のサンゴ礁の海が広がっていて雄大な景色に見とれてしまいます。
 天気がよければ奄美大島北端の笠利崎や隣の喜界島まで見渡せます。このあやまる岬のサンゴ礁海岸はリアス海岸の大島海峡一帯と湯湾岳付近の山地とともに、昭和49年(1974)奄美群島国定公園に指定されています。
 丘の裾野のアダンやソテツの群生も見事です。ここは岬というより公園という感じです。高台の公園と下の公園と2つの大規模な公園です。

 奄美群島においては、それぞれの集落を「シマ」と呼び、同じ集落の人を指して「同じシマの者」というそうです。
 集落が違えば、余所のシマの人という意味で「ヨソジマの者(人)」というそうです。
 奄美群島に住んでいる人や出身者の人に対しては「シマッチュ(島の衆)」と呼びま

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土盛海岸

2011年06月23日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市笠利町にある土盛海岸です。
 土盛海岸は奄美北部にある美しい海岸です。奄美空港から10分ですのでテレビのロケなどにも使われることが多いそうです。
通称ブルーエンジェルといわれる濃いグリーンの海です。透明度が高く、遠浅の海のブルーは幻想的で白い砂浜とマッチしています。
 波打ち際はキメの細かい砂浜が続きますが、海の中自体は岩場が多く、ダイビング、海水浴、ウインドサーフィンに最適だそうです。
 東の方にはかすかに喜界島の島かげが見えました。

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蒲生崎観光公園

2011年06月22日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市笠利町屋仁にある蒲生崎観光公園です。
 蒲生崎観光公園は、寿永4年(1185)壇ノ浦の合戦に破れた平氏が奄美にまで逃げ延びて、ここに源氏の追っ手に備えて見張り台を作ったといわれているところです。
 海抜120mの高台からは太平洋と東シナ海が一望できます。展望所からは笠利崎、小宝島、宝島、上ノ根島、横当島などが遠望できます。
  源氏の追手の船を警戒した平有盛(たいらのありもり)・行盛(ゆきもり)は、この蒲生崎(屋仁崎)に遠見番を設けたそうです。
 見張りをした人は蒲生左右衛門(がもうざえもん)という平有盛の家臣でした。蒲生崎神社はこの蒲生左衛門を祭神として建てられています。
 笠利湾の入り口をはさんだ反対側の安木屋場崎には今井権太夫という武士を充てて近海を監視させ、敵の襲来に備えたそうです。
 雄大な景色と海に沈む夕日が美しいところとして有名なスポットです。
 「スチュワーデス刑事」のロケ地にも使われたことがあるようですが道が狭く大型バスは入れない感じです。海側に落ちれば大変ですので道すがらの景色は見ないようにしていました。
 近くに「みなとや」という料理屋があるそうです。ここも同じ番組で使われたようですが「鶏飯」を創作した所なのです。ここの岩城さんが名付けた料理なのです。
 今上天皇が皇太子時代に妃殿下と一緒に来島された際にこの「鶏飯」を献上し、お代わりまでされたたことから一躍有名になったそうです。
 頂上付近には三角点がありました。三角測量を行う時に地表に埋定された基準点です。経度・緯度の基準になるのが「三角点標石」です。

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奄美大島紬村

2011年06月21日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡龍郷町赤尾木にある奄美大島紬村です。
 薩摩藩の藩政時代からのサトウキビ栽培と大島紬の生産は奄美大島の財政の柱でした。大島紬はなんと80工程にもわたる複雑なプロセスを経て出来上がるそうです。
 国の「伝統的工芸品」の指定を受けた奄美大島の織物「大島紬」。奄美大島紬村では職人たちの匠の技を工程に沿って見学できるようになっています。泥田での泥染め体験、手織り体験、着付け体験なども受付てくれます。
 本場大島紬は、経糸・横糸ともに絣(かすり)括りされた糸を使用する「経緯絣(たていとかすり)」の大島紬と、横糸のみに絣(かすり)括りされた糸を使用し、たて糸に縞や無地の地糸を使用する「よこそ」と呼ばれる大島紬に大別されています。

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西郷松

2011年06月20日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡龍郷町龍郷にある西郷松です。
 月照は絶命し、奇跡的に蘇生した西郷に幕府から捕縛命令が出ていたこともあり、藩は奄美大島へ流したのでした。先君・斉彬の無二の寵臣であったことも考慮したのでしょう。
最初に舟の縄をかけた松が「西郷松」として残っています。
 安政6年(1859)1月12日、藩の黒糖運搬船「福徳丸」に乗ってきた西郷はこの地龍郷に上陸しました。年六石の扶持が付いていたといわれていますので島流しよりは軽かったようです。
 文久2年(1862)1月29日、鹿児島召還のときもここから乗船したそうです。新藩主の実父で事実上の藩主であった守旧派の島津久光の怒りを受け同年6月12日、徳之島、のちに沖永良部へ再び流されてしまいました。
 元治元年(1864)2月11日、沖永良部から赦免召還されました。途中この地に上陸し、愛加那母子と面会したそうです。2月26日この地より乗船し、愛加那との最後の別れとなりました。
 島妻制度の掟に従い、二人の子供は西郷本家にひきとられ、愛加那さんは、一人淋しく明治35年(1902)65歳で亡くなったそうです。長男の菊次郎は後に京都市長になったそうです。
 赦免された西郷は京都に上りました。朝廷の意を重んじて一旦は長州を敵としましたが、坂本龍馬仲介で、木戸孝允と謀って薩長連合を結成しました。慶応3年(1867)12月ついに王政復古の大業を成就、その後も官軍の参謀として大功を樹て、明治維新の基礎を確立したのです。
 明治4年(1871)薩摩へ帰郷していた西郷は参議として新政府に復職しました。陸軍大将・近衛都督を兼務し、大久保利通、木戸孝允ら岩倉使節団の外遊中には留守政府を主導しました。
 その際、朝鮮出兵を主張する征韓論に与し開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴くことを主張し、帰国した大久保らと対立しました。
 1873年の明治六年政変で江藤新平、板垣退助らとともに下野、再び鹿児島に戻りました。明治10年(1877)年私学校生徒の暴動から担ぎ出され西南戦争に発展します。善戦したものの自らも足と胸に弾丸を受け、城山で自刃しました。享年50才でした。
 西郷は「吉之助」、号は「南洲(なんしゅう)」と名乗っていました。本名は「隆永(たかなが)」でした。隆盛という名は、明治天皇が西郷を表彰する際に、吉井友実に公式の場で使う諱を訊ねた時、彼の父の名「隆盛」が西郷の名であると勘違いし、これが誤って広まってしまったそうです。

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西郷南洲謫居跡

2011年06月19日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡龍郷町龍郷にある西郷南洲謫居跡にある石碑です。
 安政6年(1859)西郷隆盛(号は南洲)が薩摩藩の怒りをかって流された場所です。召還命令が下るまでの3年間この家で暮らしました。島の名家であった龍家の娘・愛加那(あいかな)という娘と結ばれ、2人の子ももうけたそうです。
 井伊の強引で横暴な政治方針に対抗するため島津斉彬は兵を率いて京都に入り、京都朝廷より幕政改革の勅許を受け、強大な兵力を背景に、井伊大老を中心とする幕府に対し改革を迫ろうとしました。
 西郷は斉彬の命を受け、その前準備のために、京都に先発しました。安政5年(1858)7月16日、朝廷方面の下工作を手がけている時、斉彬が急逝してしまったのです。
 井伊大老は「安政の大獄」といわれる幕府に批判的な者を一斉に捕縛し処刑し始めたのです。薩摩藩と京都朝廷との橋渡し役を務めていた月照も追われました。西郷は月照を薩摩藩内に匿おうとしましたが藩政府の方針は一変していました。
 藩政府は西郷に、月照を国外に追放するように命じました。安政5年(1858)11月16日、絶望した西郷と月照は冷たい鹿児島錦江湾の海に身を投じたのでした。西郷吉之助30歳のことでした。
自筆の書、枕などとともに公開されています。


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安木屋場のソテツ群生

2011年06月18日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡龍郷町安木屋場にある安木屋場のソテツ群生です。
 龍郷町の安木屋場(あんきゃば)にあるソテツ群生地です。東シナ海に面した山の斜面一面に、ソテツがびっしりと群生しています。
 ソテツは成長するのが遅いので、大きなものでは200年以上のものもあるそうです。
 近くには大きな葉をのばした糸芭蕉の群生地もあるそうです。


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奄美文化センター

2011年06月17日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市名瀬長浜町にある奄美文化センターです。
 奄美文化センターの中に奄美博物館は含まれています。ホールや一万人ひろば、奄美の民家なども併設しています。
奄美の民家が建てられています。瀬戸内町管鈍に残っていた眞島家の民家を移転したものです。奄美の民家はオモテと呼ばれる主屋や座敷、トーグラと呼ばれる台所や居間で構成されています。
 ここに展示再現されている民家はオモテだけですがナカエ(ヤ)入れた3棟で構成されている民家もあるようです。オモテとトーグラはトイマとかカヨイと呼ばれる渡り廊下でつながっています。
 屋根の間には木をくり抜いた樋(とい)をつるして雨に濡れないように工夫しています。

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奄美博物館

2011年06月16日 | 旅 歴史
 鹿児島県奄美市名瀬長浜町にある奄美博物館です。
 本土と沖縄の間で独自の歴史と文化を育んできた奄美の実情や戦後の奄美諸島の祖国復帰運動についても学べるようになっていました。
 1階は海の文化について展示されています。島の生活史上欠かせなかった船や漁具が展示されています。
 2階は島の暮らしと文化が展示されています。昔の生活用具やノロ(神女)の使う祭具が並んでいます。
 3階は自然についてのコーナーです。森やサンゴ礁の海をパネルやジオラマで解説しています。

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