旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

飛騨国分寺

2024年08月31日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市総和町に飛騨国分寺があります。
 飛騨国分寺は天平13年(741)、聖武天皇の勅により、全国の国ごとに建てられた国分寺の一つです。天平勝宝9年(757)頃、行基菩薩により建立されたといわれています。弘仁10年(819)火災で焼失しましたがすぐに再建されたようです。
 天正13年(1585)、金森長近が松倉城にこもる三木自綱(よりつな)を攻めた時、兵火で多くの堂宇が焼失しました。その後の天正年間(1573-1592)に長近は千光寺の玄海和尚を招いて再建しました。現在の本堂はこの頃のものと推定されています。
 本尊の「薬師如来御像」は平安時代のもので、像高145.7cmです。また「聖観世音菩薩」は国分尼寺の本尊であったものといわれ、平安時代のもので、像高204cmです。いずれも国の重要文化財に指定されています。境内には下層の一部が高山城の門の一部を移したという鐘楼門や、太師堂、護摩堂などがあります。

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荒川家住宅主屋

2024年08月29日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市丹生川(にゅうかわ)町大谷に荒川家住宅があります。
 荒川家住宅主屋は棟札や住宅に残る資料から寛政8年(1794)に建てられ、土蔵はさらに古い延享4年(1747)の建造で、飛彈屈指の歴史を誇っています。2つともに昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されました。
 主屋は榑葺き平入り切妻造りの木造2階建てで、間口11間(21.5m)、梁間8間(14.8m)で面積は約345平mの大きな民家です。切妻造りの木造2階建てで、石置板葺きです。土台は栗、柱は桧、梁には松が使われ、玄関は南東を向いています。
 正面外観は出桁を腕木でうける小庇が付けられています。また差物や軒桁にかなりの巨木を用いて横の線を強めています。2階正面の格子窓と2段に通る貫の細い直線的交叉など、洗練された立面意匠を施しています。

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荒川家住宅

2024年08月28日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市丹生川(にゅうかわ)町大谷に荒川家住宅があります。
 荒川家は金森長近の飛彈入部に従って当地に移ったという旧家です。400年前ごろから肝煎りを務め、元禄年間(1688-1704)以降江戸時代を通じて代々周辺の大谷、小野、根方、白井、芦谷、板殿の6村を束ねる兼帯名主を務めました。

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高山陣屋

2024年08月27日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市八軒町に高山陣屋 (たかやまじんや)があります。
 高山陣屋は、幕末には全国に60数ヵ所あった郡代・代官所の中で、当時の建物が全国で唯一残っている建物です。陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼んでいます。
 もともと高山陣屋は飛騨高山藩主の金森氏の下屋敷でした。元禄5年(1692)に幕府が飛騨を天領として、伊奈忠篤らによって代官所として用いられるようになりました。安永6年(1777)に飛騨代官から飛騨郡代に昇格し、当時4ヵ所あった郡代役所の中でも重要な直轄地となりました。
 郡代役所は玄関、御役所、大広間などの部分に文化13年(1816)に改築されたものが現存しています。また敷地内の土蔵は、慶長年間(1596-1615)に高山城内に建てられ、元禄8年(1695)に陣屋内に移築されたものです。
 建物の屋根は熨斗(のし)葺き、こけら葺き、石置長榑(いしおきながくれ)葺きと、雪に弱い瓦ではなく、板で葺かれています。蔵番長屋、郡代役宅などは古図をもとに復元されたものです。高山陣屋は昭和4年(1929)に国の史跡に指定されています。
 表門の手前では毎日朝市が催されており、高山市内においては宮川朝市と並び陣屋朝市として親しまれています。

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高山城跡(城山公園)

2024年08月26日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市城山1に高山城跡(城山公園)があります。
 高山城跡は明治6年(1873)に臥牛山を整備して城山公園となりました。園内には約千本のソメイヨシノが植樹され、桜の名所になり、「飛騨・美濃さくら33選」に選ばれています。紅葉の名所でもあり、野鳥の観察もできます。「日本の歴史公園百選」「森林浴の森百選」にも選ばれています。
 高山城は、文安年間(1444-1449)に飛騨守護職・京極氏の被官・多賀出雲守徳言が天神山城(多賀山城)を築城したのが始まりと伝えられています。永正年間(1504-1521)に高山外記によって標高686.6mの城山山頂に城が築かれました。その後、三木自綱が高山へ進出し、飛騨を平定しました。
 天正13年(1585)、豊臣秀吉は越中富山・佐々成政を攻めました。そして越前大野城主・金森長近に佐々と同盟関係にあった三木自綱攻略を命じました。金森長近は松倉城を攻め落として飛騨を平定し、翌年、秀吉から飛騨3万3千石を与えられました。
  長近ははじめ鍋山城を居城としましたが、天正16年(1588)天神山城跡を利用して高山城を築城し、慶長5年(1600)までに本丸・二の丸を完成させました。本丸屋形は2層3階の天守で、御殿風城郭でした。築城と同時に城下町の整備も進め、三町を町人の町とし、東山に寺院を集めました。
 元禄5年(1692)、高山藩6代藩主・金森頼時の時、出羽国上山藩(山形県上山市)に金森氏は転封され、高山は天領となりました。加賀金沢藩主・前田綱紀が城番として管理していましたが、管理に莫大な費用がかかると幕府へ願い出て、元禄8年(1695)に廃城となりました。
 曲輪、堀、石垣、土塁などが残り、高山城跡として県の史跡に指定されています。三の丸にあった評定場が素玄寺の本堂に、月見殿が東山神明社の絵馬殿に、土蔵が高山陣屋の御蔵へ、二の丸にあった黄雲閣が雲龍寺の鐘楼門へ、城の一部が法華寺の本堂へそれぞれ移築されています。

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照蓮寺梵鐘

2024年08月25日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市堀端町に照蓮寺(しょうれんじ)があります。
 照蓮寺梵鐘は建武元年(1334)の鋳銘と、飛州安国寺の銘が刻まれています。国府町の安国寺から移されたと思われ、飛騨に現存する梵鐘では最古のものです。照蓮寺梵鐘は岐阜県の重要文化財に指定されています。

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照蓮寺中門

2024年08月24日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市堀端町に照蓮寺(しょうれんじ)があります。
 照蓮寺の中門は天正2年(1574)に建てられた山門で、昭和37年(1962)に本堂とともに移築された建物です。中門は 附棟札とともに岐阜県の重要文化財に指定されています。

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照蓮寺

2024年08月22日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市堀端町に照蓮寺(しょうれんじ)があります。
 光耀山照蓮寺は浄土真宗大谷派のお寺です。高山市には照蓮寺は2寺あり、鉄砲町にある「真宗大谷派高山別院照蓮寺」とは直線距離で約800m離れています。照蓮寺は建長5年(1253)、嘉念坊善俊が開いたのが始まりといわれています。善俊は親鸞の直弟子で後鳥羽上皇の第11皇子です。
 当初は正蓮寺と称し飛騨国白川郷鳩ヶ谷にあり飛騨国の浄土真宗の中心的なお寺でした。室町時代中期に入ると正蓮寺の僧だった教信が大名化し第9世明教(教信の弟)と共に広大な領地を有し、北陸地方の一向一揆とも協力関係を築き上げました。
 長禄2年(1488)、帰雲城城主・内ヶ島為氏と対立し、全山焼き討ちにあい多くの堂宇が焼失、教信も戦死しました。永正元年(1504)10世明心が再興し、寺号を照蓮寺に改め、内ヶ島為氏とも和睦し、寺運は隆盛しました。
 天正16年(1588)、飛騨国の領主になった金森長近は照蓮寺を高山城の城下に移らせました。しかし本堂や堂宇は残されたので「照蓮寺掛所心行坊」として存続しました。昭和36年(1961)に御母衣ダム建設で水没することになり白川郷から現在地である高山城跡に移転されたのです。

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松本家住宅主屋、米蔵、漬物蔵

2024年08月20日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上川原町に松本家住宅があります。
 松本家住宅主屋は間口10.8m、梁間14.5m、木造2階建て、切妻造り、平入、鉄板葺き、外壁は真壁造り、正面にはのれんかけを下げるむくり屋根の小庇や2階の連子窓、1階の出格子などがみられ、高山の町家の典型的な外観を示しています。
 玄関大戸は無双窓の形式になっていて、中桟を動かすと縦の格子戸になります。夕方は大戸を閉めて小さい潜戸から出入りします。主屋、米蔵、漬物蔵ともに昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。主屋、米蔵は江戸時代の後期、漬物蔵は文政9年(1826)に建てられています。

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松本家住宅

2024年08月19日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上川原町に松本家住宅があります。
 松本家は弘化年間(1844-1848)に高山町に分家し、以来、蝋燭、煉油商を営みました。明治30年代は煙草製造卸、同40年代には金貸業も営み、明治45年(1912)に薬種商原屋三衛門、屋号「原三」の家を譲り受けたそうです。この家が松本家住宅です。
 明治8年(1875)、二之町から出火した火災は三町、寺内町、八幡町、鉄砲町などに広がり千戸以上が焼失しました。桜山八幡宮などの寺院や多くの町家が類焼しましたが、松本家住宅は火災を免れました。市内の町家の中では最も古く、改造があまりされていない貴重な建物です。

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木造阿弥陀如来像

2024年08月18日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市国府町木曽垣内に国府大仏(こくふだいぶつ)があります。
 国府大仏こと木造阿弥陀如来像の像高は2.01m、仏の顔の長さは0.6m、肩幅は1mで、大仏としては小型です。蓮華座に座した阿弥陀如来像は、いわゆる丈六像といわれるもので、飛騨地方では例のない木造如来像です。
 親指と人差し指で輪をつくり、ひざの上で手を組み、大きい耳たぶが際立っています。胎内から見つかった墨書により、慶応2年(1866)に修理が行われていることが判明しています。奈良時代の行基作ともいわれ、昭和39年(1964)に岐阜県の重要文化財に指定されています。

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国府大仏

2024年08月17日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市国府町木曽垣内に国府大仏(こくふだいぶつ)があります。
 国府大仏は、高山市の国府にある大仏です。安置される「大仏殿」の寺号は「建正山国分尼寺」です。飛騨国の政庁が高山盆地に置かれる以前には、国府盆地に飛騨の政庁があったという説を裏付けています。
 この大仏は、地元では「木曽垣内のおおぼとけ」といわれています。平安時代の作といわれていますが、天平時代の特徴が垣間見られます。ただし破損のため修復箇所が多く、原型を留めていない箇所もあります。一説には奈良時代の行基作ともいわれています。

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阿多由太神社稲荷社

2024年08月16日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市国府町木曽垣内に阿多由太神社(あたゆたじんじゃ)があります。
 阿多由太神社の稲荷社殿は嘉永年代(1848-1854)頃に造られたと思われます。八棟造りで間口1.5m・、奥行2mの社殿です。手法、技法とも優れたもので、大工棟梁は、糠塚の名工、中垣内八右衛門といわれています。高山市指定文化財です。

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阿多由太神社木造随神像

2024年08月15日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市国府町木曽垣内に阿多由太神社(あたゆたじんじゃ)があります。
 阿多由太神社の本殿の中央には主神の大歳御祖神が祀られています。その左右に一対の木造随神像があります。右側は熊野大神、左側は阿須波乃大神で、平安時代に刻まれています。一対とも岐阜県の重要文化財に指定されています。

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阿多由太神社本殿

2024年08月14日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市国府町木曽垣内に阿多由太神社(あたゆたじんじゃ)があります。
 阿多由太神社の本殿は室町時代後期に建てられたと推察されています。三間社流見世棚造り、こけら葺きです。階段を持たず小形社殿が多い見世棚造り組物や彫刻、工法など当時の神社本殿としては規模も比較的に大きなものです。横幅2.76mで、正面3間のそれぞれに扉が付いています。
 今も残る建築当時の部材には、木目の緻密なサワラなどの良材が多用されています。当時の飛騨の森林資源の豊かさが想像できます。各部の意匠は室町時代の特徴をよく表しています。昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定されています。

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