京都府京都市北区上賀茂本山町に上賀茂神社(賀茂別雷神社)があります。
上賀茂神社は、正式には賀茂別雷(かもわけいかずち)神社といいます。賀茂分雷(かもわけいかずち)を祭神として祀っています。下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭神の賀茂建角身命・玉依比売は祖父・母親にあたります。両社はともに古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社で、賀茂神社(賀茂社)と総称することもあります。
玉依比売は古くから水をつかさどる農耕の神様で、五穀豊穣を願う葵祭(賀茂祭)は両神社の例祭で、京都三大祭のひとつです。毎年5月15日に京都御所から、藤飾りの御所車にのった斎王代(さいおうだい)を中心に内侍(ないし)や釆女、葵の葉を冠にさした貴公子達500人の列が、下鴨神社から上賀茂神社へと行進します。
山城国風土記によると賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の子、玉依比売(たまよりひめ)が瀬見(せみ)の小川で遊んでいたところ、丹塗りの矢が流れてきました。その矢をを拾い床の間に飾ったところ懐妊し、「賀茂別雷大神」と名付けたそうです。
玉依姫の兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族が天武天皇6年(678)、氏神神社として創建し、奉斎したところから、上賀茂神社が始まったとしています。上賀茂神社は京都でも最古の古社で、延暦13年(794)、平安京遷都以降は皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として尊崇を受け続けてきています。
大同2年(807)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされました。延喜式神名帳では山城国愛宕郡賀茂別雷神社として名神大社に列しています。弘仁元年(810)以降約400年にわたって、伊勢神宮の斎宮にならった斎院が置かれ、皇女が斎王として奉仕しました。
中世は衰退しましたが、近世に入り、豊臣秀吉が社領2672石を安堵し、徳川幕府にも引き継がれ、他に神官領2873石も与えられました。三つ葉葵の徳川家の家紋が賀茂社の神紋、双葉葵に由来していることから大切にされたといわれています。明治に入り官幣大社の筆頭とされ、明治16年(1883)には勅祭社に定められました。
本殿と権殿は賀茂造りと云われる流造りの典型として国宝に指定されています。本殿付近の、本殿権殿取合廊、本殿東渡廊・西渡廊取合廊、透廊、渡廊、祝詞舎、塀中門、摂社若宮神社本殿、東渡廊、四脚中門、御籍屋、神宝庫、唐門、東御供所、直会所、楽所及び西御供所、幣殿、忌子殿、幣殿忌子殿取合廊、高倉殿、棚尾社などが重要文化財に指定されています。
楼門より外側では、楼門、東西廻廊、摂社新宮神社本殿・拝殿、摂社片岡神社本殿・拝殿、片岡橋、拝殿(細殿)、舞殿(橋殿)、土屋(到着殿)、楽屋、外幣殿、北神饌所(庁屋)、玉橋、末社杉尾社本殿、末社土師尾社本殿、摂社須波神社本殿など40以上の社殿などが国の重要文化財に指定されています。古都京都の文化財として、世界文化遺産に登録されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
日本一周 ブログランキングへ
にほんブログ村
http://blog.fc2.com/