旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

岩船寺五輪塔

2017年02月28日 | 旅 歴史
 京都府木津川市加茂町岩船上ノ門に岩船寺(がんせんじ)があります。
 岩船寺の五輪塔は石室の左手にあります。石造五輪塔で、鎌倉後期に造られたものとみられます。花崗岩で、高さは2.35mあります。昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。

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岩船寺十三重石塔

2017年02月27日 | 旅 歴史
 京都府木津川市加茂町岩船上ノ門に岩船寺(がんせんじ)があります。
 岩船寺の十三重石塔は13個の笠石を積み重ねた高さ6.3mの十三重塔です。花崗岩で、鎌倉時代後期の正和3年(1314)に、妙空僧正により造られたといわれています。昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。

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岩船寺三重塔

2017年02月26日 | 旅 歴史
 京都府木津川市加茂町岩船上ノ門に岩船寺(がんせんじ)があります。
 岩船寺の三重塔は室町時代の嘉吉2年(1442)に建てられた三重塔です。高さは約20mで、本瓦葺きの三間三重塔婆です。初重の内部には来迎柱を立て、須弥壇と来迎壁を設けています。塔の初層は、高欄のない縁を廻らし、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは間斗束、組物は三手先組物になっています。明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。

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岩船寺

2017年02月25日 | 旅 歴史
 京都府木津川市加茂町岩船上ノ門に岩船寺(がんせんじ)があります。
 高雄山(こうゆうざん)岩船寺は、昔は興福寺一乗院の末寺でしたが、現在は真言律宗のお寺です。アジサイの名所として知られ「アジサイ寺」とも呼ばれています。境内の裏山には岩船寺の鎮守社だった白山神社と春日神社の社殿が並んで建てられています。
 天平元年(729)、聖武天皇が行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まると伝えられています。平安時代には弘法大師の甥の智泉(ちせん)が、東禅院灌頂堂に報恩院を建立しました。弘仁4年(813)、嵯峨天皇が皇子誕生に感謝し、伽藍が整備され、寺号も岩船寺となりました。
 最盛期には39もの坊舎をもつほどでしたが、承久3年(1221)の承久の変で焼失、再建された堂宇も再度の兵火により焼失し、三重塔のみが現存しています。本堂は昭和63年(1988)に再建された建物です。
 天慶9年(946)に造られた本尊の阿弥陀如来座像は高さ2.84mの欅の一本造りで、岩船寺三重塔とともに国の重要文化財に指定されています。境内には石造の文化財が多く残され、十三重石塔、五輪塔、石室が国の重要文化財に指定されています。

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浄瑠璃寺庭園

2017年02月24日 | 旅 歴史
 京都府木津川市(きづがわし)加茂町に浄瑠璃寺があります。
 浄瑠璃寺庭園は池を中心とした庭園で、一乗院恵信が久安6年(1150)に浄土の池として作庭させたといわれています。阿弥陀堂を東に向け、その前に苑池を置き、東に薬師仏を祀りました。元久2年(1205)、庭師の小納言法眼が改築したそうです。夜、本堂に燈火をいれると9体の阿弥陀像が水面に浮かび上がる凝った工夫が施されているそうです。

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浄瑠璃寺石燈籠

2017年02月23日 | 旅 歴史
 京都府木津川市(きづがわし)加茂町に浄瑠璃寺があります。
 浄瑠璃寺の本堂の前と三重塔の前には石燈籠が置かれています。三重塔の前の石燈籠には貞治5年(1366)と彫られていることから南北朝時代のものと推察されます。この石燈籠2基は国の重要文化財に指定されています。

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浄瑠璃寺三重塔

2017年02月22日 | 旅 歴史
 京都府木津川市(きづがわし)加茂町に浄瑠璃寺があります。
 浄瑠璃寺の三重塔は治承2年(1178)以前の建物です。京都一条大宮から移されてきたもので、前のお寺の沿革はわかっていません。高さ約17m、三間三重塔婆、檜皮(ひわだ)葺きで、内部には創建当時の本尊薬師如来像(国重要文化財)を安置しています。東の薬師仏に苦悩の救済を願い、池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願う形になっています。浄瑠璃寺三重塔は平安時代中期の特色をよく示す気品ある塔で、昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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浄瑠璃寺本堂

2017年02月21日 | 旅 歴史
 京都府木津川市(きづがわし)加茂町に浄瑠璃寺があります。
 浄瑠璃寺本堂は平安後期の保元2年(1157)頃の建物で、間口11間、奥行4間、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、1間の向拝を付けています。9体の阿弥陀如来坐像を安置する九体阿弥陀堂で、藤原時代、京都を中心に建立された唯一の遺構です。
 堂内の須弥壇には国宝の9体の阿弥陀如来像があり、一体一体の如来が堂前に板扉を持っています。中尊の前の厨子には高さ約1mの吉祥天立像(国重要文化財)が安置されています。浄瑠璃寺の本堂は昭和27年(1952)に国宝に指定されています。

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浄瑠璃寺

2017年02月20日 | 旅 歴史
 京都府木津川市(きづがわし)加茂町に浄瑠璃寺があります。
 小田原山浄瑠璃寺は真言律宗のお寺です。9体の木造阿弥陀如来像(国宝)を本堂に安置しているので「九体寺」(くたいじ)とも呼ばれています。浄瑠璃寺は、三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土「瑠璃光浄土」から寺号をつけたといわれています。
 寺の縁起では聖武天皇の勅願により天平年間(729-749)に行基によって開かれたとなっていますが、国の重要文化財の浄瑠璃寺流記事には永承2年(1047)、当麻出身の僧義明(ぎみよう)が薬師如来を安置して開基したと記されているそうです。
 浄瑠璃寺は薬師仏を祀る三重塔、阿弥陀如来像9体を安置する本堂、宝池を中心とした庭園が平安時代のまま残されています。極楽世界をこの世に表わしたもので、京都を中心にこのような形態のお寺が30以上あったようですが、当時のまま現存するのはここだけになっています。
 本堂の阿弥陀堂、三重塔、九体阿弥陀如来像、四天王像は国宝に指定され、石灯篭2基、薬師如来坐像、地蔵菩薩立像(子安地蔵、延命地蔵)、吉祥天女像は国の重要文化財に指定されています。また浄瑠璃寺庭園は国の特別名勝および史跡に指定されています。

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多賀大社

2017年02月19日 | 旅 歴史
 滋賀県犬上郡多賀町多賀に多賀大社があります。
 母が病気の時に豊臣秀吉も祈願し叶ったという多賀大社です。門前に架かる太閤橋は秀吉の奉納で築造されました。
 伊勢神宮に祀られている天照大神の親である、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)が祀られています。
 「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢はお多賀の子でござる」と歌われました。
 御祭神である伊邪那岐大神と伊邪那美大神がお互いに誘い合って行われた「国生み」の大業は我国の全ての源です。「縁結びの神様」として広く信仰されています。

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小谷城跡

2017年02月18日 | 旅 歴史
 滋賀県長浜市湖北町伊部に小谷城跡があります。
 小谷城は、湖北町と長浜市にまたがる小谷山(495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城としていました。北陸路と中山道の要衝であり、戦略上、非常に重要な地でした。日本5大山城の一つに数えられ、国の指定史跡に指定されています。
 小谷城の築城は永正3年(1516)頃、初代浅井亮政(すけまさ)によって築かれたようです。城址の規模は極めて壮大で、地形を巧みに利用し、独特の工夫がされていました。山上には今もなお、城の石垣や土塁・曲輪等の遺構が残されており、当時の面影を残しています。
 3代目浅井長政は永禄4年(1561)織田信長の妹お市を娶りますが、信長の朝倉攻めで信長と敵対します。元亀元年(1570)の姉川の合戦で信長・家康の連合軍に敗れ、ここ小谷城に戻りました。
 天正元年(1573)、信長は3万の軍勢を率いて北近江への侵攻を開始しました。一方、浅井長政は居城の小谷城に5千人の軍勢とともに籠城しました。信長は一乗谷城の戦いで朝倉氏を滅ぼし、浅井攻めに戻りました。
 小谷城落城寸前、秀吉からお市の方と3人の娘の助命を条件に降伏を勧められましたが、長政はこれを拒否しました。しかし、お市の方と3人の娘は織田軍へ引渡し、袖曲輪の赤尾屋敷内で自害して果てました。ここに北近江の戦国大名浅井氏は滅び去ったのです。
 3人の娘、茶々は秀吉の側室になり、淀君として大阪城とともに果てました。お初は京極高次に嫁ぎ、小督は2代将軍徳川秀忠夫人になりました。

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渡岸寺観音堂(向源寺)

2017年02月17日 | 旅 歴史
 滋賀県長浜市高月町渡岸寺に渡岸寺観音堂(向源寺)があります。
 渡岸寺観音堂のある慈雲山向源寺(こうげんじ)は、滋賀県伊香郡高月町にある真宗大谷派のお寺です。国宝に指定されている十一面観音像を有することで知られています。
 天平8年(736)、越の大徳泰澄が聖武天皇の勅願により、当時、都に流行していた疱瘡ほうそうの厄除け祈願をこめて十一面観世音を彫り観音堂を建立したのが開基だといわれています。
 その後効能があり流行り病は収まったそうです。そして十一面観世音は病除けの霊験あらたかな観音像として、信仰されるようになったということです。
 延暦9年(790)、比叡山延暦寺の開祖である最澄が、勅を奉じて七堂伽藍を建立し士庶の帰依を集めて栄えたそうです。
 元亀元年(1570)、浅井・織田の戦火のために堂宇は焼け落ちました。観音を篤く信仰する住職巧円や近隣の住民は、観世音を土中に埋蔵して守り抜いたそうです。この後巧円は浄土真宗に改宗し、今まであった光眼寺を廃寺とし、向源寺を建立したのです。
 明治30年(1897)、古社寺保存法に基づく第1回目の国宝指定の際、この十一面観音像は国宝に指定されました。高さ1.95m、平安初期の一木造で、井上靖の「星と祭」や水上勉の「湖の琴」などで、全国的に有名になりました。
 この十一面観音像は小面の配置に特徴があり、両耳の大きな耳とうがインドの西域の作風を伝えています。眉から鼻にかけての線は秀麗かつ気品に溢れ、腰を少し左にひねった肉付き豊かなプロポーションは、官能的でさえあります。

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高月観音堂(大円寺)

2017年02月16日 | 旅 歴史
 滋賀県長浜市高月町高月に高月観音堂(大円寺)があります。
 高月観音堂は慈眼山大円寺の通称です。最澄が開き、当初は天台宗でしたが現在は曹洞宗のお寺です。境内には樹齢800年のおしどり杉もあります。
 本尊の十一面千手観音菩薩は高月町の指定文化財で室町時代の作だそうです。素木のままで、古様が表現されているそうです。
 戦乱の世に兵火から逃れて岩上に立たれたとされ 村人を火災から守る「火除けの観音さま」として広く信仰されています。
 この辺は昔、ケヤキの大木の槻(つき)があることから「高槻」とよばれていました。平安時代の歌人大江匡房がここに来て、月の名所として歌をよんだことから、槻の字を月と改め、村名にしたそうです。

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賤ヶ岳

2017年02月15日 | 旅 歴史
滋賀県長浜市木之本町大音に賤ヶ岳があります。
 賤ヶ岳は標高422mとそれほど高くはありませんが「新雪ー賤ヶ岳の大観」として琵琶湖八景の一つに数えられます。
 北に余呉湖、南に琵琶湖を見下ろし、伊吹山や比良山の山並みも一望できます。かつて、この山中において「賤ヶ岳の合戦」が繰り広げられ、歴史にその名をとどめています。 
 山崎の戦いで明智光秀を討った羽柴秀吉は、織田家中で大きな発言権を持つようになりました。
 織田信長の後継者を決定する会議が清洲城で開かれ(清洲会議)、信長の三男・織田信孝を推す柴田勝家と織田信忠の子である三法師(のちの織田秀信)を推す羽柴秀吉との間で激しく対立しました。
 同席した丹羽長秀・池田恒興らが三法師擁立に賛成したためにこの後継者問題はひとまず決定しましたが、勝家や信孝らは秀吉のその後の行動に対し激しく警戒し、反抗しました。
 勝家は天正11年(1583)4月、北近江に出陣しました。岐阜城にいた織田信孝が兵を挙げたため、秀吉本隊は岐阜に向け進撃しました。これを好機と見た勝家は部将・佐久間盛政の進言で、4月19日、盛政に直ちに大岩山砦を攻撃させました。
 中川清秀が大岩山砦を守っていましたが、耐え切れず陥落、討死しました。さらに岩崎山に陣取っていた高山右近も支えきれずに退却し、木ノ本の羽柴秀長の陣所に逃れました。
 賤ヶ岳砦の守将、桑山重晴も撤退しはじめました。丁度船によって琵琶湖を渡っていた丹羽長秀軍2千が桑山軍と合流し、賤ヶ岳周辺の盛政の軍勢を撃破し、間一髪の所で賤ヶ岳砦の確保に成功しました。
 大岩山にとどまっていた佐久間盛政の部隊が退却を開始したのを知り、秀吉の子飼いの武将七人衆が、どっと斬りこみ一番槍の功をたてたのです。
 これは「賤ヶ岳の七本槍」とよばれ後世に名を残しました。福島正則を隊長として、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟野武則の若武者達でした。盛政は敗れ、勝家軍も総くずれとなって北ノ庄城へ逃げました。その三日後、勝家が自刃し戦いは終結しました。

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木之本地蔵院(浄信寺)

2017年02月14日 | 旅 歴史
 滋賀県長浜市木之本町木之本に木之本地蔵院(浄信寺)があります。
 木之本地蔵院は長折山地蔵院浄信寺が正式な名前です。木之本のお地蔵様と民衆から慕われ、眼の仏様、延命息災の仏様として古くから信仰を集めてきました。
 奈良薬師寺の僧、祚蓮上人が、難波の浦に流れ着いた地蔵尊を背負い、地蔵菩薩の有縁の地を求め北国街道を下っていました。
 休息をとった柳の大木の元から動かなくなった為、そこを有縁の地として伽藍を建立し、祀ったのが始まりと伝えられています。木之本の地名もここに由来しているそうです。
 地蔵堂に祀られる本尊の地蔵菩薩は秘仏ですが、境内には本尊と同じ姿をした高さ6メートルの地蔵大銅像があります。本尊を写したもので100年前に開眼したそうです。日本三大地蔵尊の一つに挙げられています。
 本尊の地蔵菩薩立像は、高さ162cm眉間に白毫をはめこんだ寄木造の彩色像で、その地蔵菩薩を挟んで左右に向かい合って立つ閻魔王(えんまおう)立像・倶生神(ぐしょうじん)立像とともに、明治32年(1899)国の重要文化財に指定されています。

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