旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

各願寺

2024年11月29日 | 旅 歴史

 富山県富山市婦中町長沢に各願寺(かくがんじ)があります。
 北叡山各願寺は呉羽丘陵の麓にある高野山真言宗のお寺です。大宝年間(701-703)、文武天皇の勅命により仏性聖人(天武天皇第7皇子自信院一品(いっぽん)親王)が法相宗の寺として開山したのが始まりと伝えられています。
 平安時代初期に伝教大師最澄が各願寺を訪れ天台宗に改宗しています。2躯の木造薬師如来坐像を自ら彫り込み、1躯を各願寺の本尊に、もう1躯を比叡山延暦寺に収めたそうです。朝廷の勅願所として繁栄し、最盛期には七堂伽藍が整備され3千坊を数え、比叡山に対して北叡山と称しました。
 建武年間(1334-1336)に守護の井上俊清(普門利清)と対立し、国司の中院少将定清とともに立ち向かいましたが、兵火により全山焼失しました。再興後、天正3年(1575)の上杉侵攻の兵火で再び焼失し衰退しました。
 寛文年間(1661-1675)に真言宗のお寺として再興し、寛永16年(1639)の富山藩の成立以後は歴代藩主の帰依が厚く庇護されました。特に2代藩主前田正甫(まさとし)は度々参詣し、領内第一と称される桜の名木を鑑賞したと伝えられています。

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田城跡資料館

2024年11月28日 | Weblog

 富山県富山市婦中町安田に安田城跡があります。
 安田城入口にある安田城跡資料館では、安田城を紹介する出土品の展示のほか、映像による史跡の解説、企画展示や歴史講座を開いています。2階の展望所から背後に立山連峰がある安田城を一望できます。

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安田城跡

2024年11月27日 | 旅 歴史

 富山県富山市婦中町安田に安田城跡があります。
 安田城は戦国時代末の平城で、東西約150m、南北約240m、約3万4千平方mあります。存城期間が短かったため改変がなく、当時の遺構がそのまま残っている全国的にも貴重な城跡で、古絵図「安田古城之図」とも一致しているため、昭和56年(1981)に国の史跡に指定されています。
 天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉が越中の佐々成政を攻めた際、秀吉の本陣となった白鳥城の支城といわれています。先鋒の前田家の武将岡嶋喜三郎一吉が城主として入り、同年、成政が降伏した後も、越中東部の新川郡が佐々領のまま残ったため、引き続きそのまま前田家の前線拠点として使用されました。
 慶長4年(1599)、前田利家死去により、利長は金沢へ帰還し、岡嶋一吉もそれに従いました。その後しばらく代官平野三郎左衛門が居城しましたが、慶長年間に廃城となったものと思われます。

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旧内山邸庭園

2024年11月26日 | 旅 歴史

 富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。
 旧内山邸の庭園は本格的な日本庭園のように遠くの山などを借景にして池や谷を組み合わせるといったような事はしていません。屋敷から見る樹木の移り変わりや石との調和を重用しています。種類の違う梅や桜がたくさん植えられており、太い桜の大木は歴史を感じさせます。

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旧内山邸塀中門

2024年11月25日 | 旅 歴史

 富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。
 旧内山邸塀中門は主屋の西にある客用便所に接続して建つ塀にある門です。石造の柱の上部に石造の笠木をのせた簡略な形式の門口に木戸を入れた変わった門です。塀は腰まで自然石を積み上部を切石積みにしています。明治中期(1868-1911)に造られた塀のある石造りの門で、平成10年(1998)に国の有形文化財に.旧内山家住宅塀中門として登録されています。

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旧内山邸主屋

2024年11月23日 | 旅 歴史

 富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。
  旧内山邸の主屋は慶応4年(1868)に建てられています。明治20年頃(1887)に南側の表座敷、書院などを増築し、明治末(1868-1911)には東側の桜香の間などを増築して現在の姿になっています。木造平屋建てで、一部2階建てのところがあります。切妻造り、瓦葺きで、建築面積は860㎡もあります。
 正面の玄関には式台が付いており、豪農としての格式が感じられます。長大な部材を用いた大広間や銘木を駆使した書院などの意匠は優れていて、それぞれに時代の違いがよくあらわれています。平成10年(1998)に旧内山家住宅主屋として国の有形文化財に登録されています。

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旧内山邸表門

2024年11月22日 | 旅 歴史

 富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。
 旧内山邸の表門は慶応4年(1868)に建てられた木造りの薬医門です。屋根は茅葺きだったものを昭和16年(1941)に桟瓦葺きに変えています。両側には屋根塀が付いています。旧内山家住宅表門として平成10年(1998)に国の有形文化財に登録されています。

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旧内山邸

2024年11月21日 | 旅 歴史

 富山県富山市宮尾に旧内山邸があります。
 旧内山邸は豪農であった内山家の屋敷や庭園などを昭和52年(1977)に13代内山季友氏が富山県へ寄付した邸宅です。現在は富山県民会館の分館として一般に開放し、観覧のほか、お茶・お花などの文化的諸行事の会場などにも利用されています。映画「散り椿」のロケ地にもなりました。
 内山家は大永・享禄年間(1521-1531)にこの地に移り、新田開発をして大地主となりました。江戸時代には富山藩の十村役(大庄屋)を歴任し1千7百石を管理、苗字帯刀が許されました。地域の勧農・治水にあたり、たびたび富山藩主の来訪も受けています。
 明治以降地主制度のもとで最大の繁栄をむかえ、徳富蘇峰、若槻礼次郎ら文人、政治家らも来訪しています。3759坪の敷地内には広大な庭園が広がっています。文人などを招待した3つの茶室があり、名石や庭木を配置した見事なものです。
 藩政時代の伝統的な豪農屋敷の正面には大広間、座敷、表座敷、台子の間、外川の間、書院、月見台などの表向きの部屋が並び、その奥には居間や台所、食事の間、女中部屋などの日常生活が行われる部屋が配されています。
 内山邸は主屋、表門、北門、東門、背戸の門、塀中門、土蔵、にわとり小屋、にわ(作業場)、もみ倉、茶室(夜雨廰)、茶室(三入庵)、井戸上屋、付属舎(人力車おき場・車夫小屋・炭小屋)など14棟が平成10年(1998)に旧内山家住宅として国の有形文化財に登録されています。

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富山城天守

2024年11月20日 | 旅 歴史

 富山県富山市本丸に富山城があります。
 本丸南側の城門の石垣上に模擬天守が建っています。 3層4階の鉄筋コンクリート造りで、昭和29年(1954)に開かれた富山産業大博覧会を記念して建てられたもので郷土博物館となっています。
 平成16年(2004)に、「地域の景観の核」との評価により富山市郷土博物館(富山城)が、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。

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富山城

2024年11月19日 | 旅 歴史

 富山県富山市本丸に富山城があります。
 富山は加賀前田氏の支藩のひとつでした。古くは越中の豪族神保氏の居城でした。天正9年(1581)に織田家の家臣であった佐々成政が入封して、大改修を施して富山城の基礎を築きました。
 信長が本能寺の変で倒れた後も、成政は富山城を根拠地として越中から上杉勢を追い出し、やがて越中を平定しました。秀吉嫌いで有名だった成政は、形勢が秀吉に傾く中、有名なさらさら越えで徳川家康に謁見しました。
 柴田勝家滅亡後、成政は最後に秀吉の軍門に下りました。天正15年(1546)の豊臣秀吉の九州征伐後、成政は肥後熊本城へ転封させられ代わって前田氏が治めました。
 前田利長は隠居後、富山城に入りましたが、火事で城が全焼した為、高岡に新たに城を築いて移りました。寛永16年(1661)に3代利常の次男利次が入城して富山藩10万石が成立し、城も修復しました。
 城は度重なる火災で焼失しました。維新に残っていた建物も取り払われ、明治18年(1885)に富山県庁の敷地として使用されました。昭和5年にそこも焼失。その後、城址公園になりました。

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佐々成政剃髪址石碑

2024年11月18日 | 旅 歴史

 富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。
 富山市民俗民芸村の敷地には佐々成政剃髪址の石碑が建てられています。富山城主であった成政が天正13年(1585)攻め立てる豊臣秀吉の先鋒・前田利家の軍に敗れました。成政はここで髪を剃り僧衣を着けて服従の意志を示したそうです。

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番神山横穴墓群

2024年11月17日 | 旅 歴史

 富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。
 富山市民俗民芸村の敷地内の呉羽丘陵に番神山横穴墓群があります。昭和3年(1928)、40年(1965)、43年(1968)の土砂工事で15基の横穴墓が発見されました。奥に向かって5mほどの所に墓室(玄室)があり人骨が発見されています。古墳時代終期の有力家族墓と考えられています。

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考古資料館

2024年11月16日 | 旅 歴史

 富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。
 富山市には千以上の遺跡があります。日本海側最大級の貝塚である小竹貝塚(縄文時代)、 国史跡の北代遺跡(縄文時代中期)、山陰との交流を示す墳丘墓である四隅突出型墳丘墓(弥生時代)など。昭和54年(1979)、これらの遺跡で発掘された出土品を展示・保管するためこの考古資料館は開かれました。

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売薬資料館

2024年11月15日 | 旅 歴史

 富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。
 売薬資料館は300年余りの歴史を持つ「富山売薬」関係の史資料を保存・活用するために、昭和59年(1984)に開館しました。収蔵資料のうち846点は「富山の売薬資料」として、国の重要有形民俗文化財に指定されています。

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民俗資料館

2024年11月14日 | 旅 歴史

 富山県富山市安養坊に富山市民俗民芸村があります。
 民俗資料館は富山市山田の旧山田村にあった江戸時代後期に建てられた旧谷浦家住宅です。寄棟合掌造り、かや葺ぶきの農家の建物です。昭和49年(1974)に一部を改築し開館しています。囲炉裏があり、衣食住や祭礼関連の用具などを中心に展示しています。

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