北海道釧路市北斗にある北斗展望台です。
北斗展望台から広大な釧路湿原を眺めることができます。釧路湿原は釧路平野にある面積18290haの日本最大の湿原です。ヨシ-スゲ湿原で「釧路のタンチョウ及びその繁殖地」として特別天然記念物に指定されています。
昭和55年(1980)ラムサール条約に登録され、昭和62年(1987)湿原周辺は釧路湿原国立公園に指定されています。ここはタンチョウなど多くの鳥類の繁殖地・休息地となっています。タンチョウは夏季繁殖地は湿原を含む道東各地に生息しますが、冬には釧路湿原へ戻ってきて越冬します。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
北斗展望台から広大な釧路湿原を眺めることができます。釧路湿原は釧路平野にある面積18290haの日本最大の湿原です。ヨシ-スゲ湿原で「釧路のタンチョウ及びその繁殖地」として特別天然記念物に指定されています。
昭和55年(1980)ラムサール条約に登録され、昭和62年(1987)湿原周辺は釧路湿原国立公園に指定されています。ここはタンチョウなど多くの鳥類の繁殖地・休息地となっています。タンチョウは夏季繁殖地は湿原を含む道東各地に生息しますが、冬には釧路湿原へ戻ってきて越冬します。
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北海道阿寒郡鶴居村(つるいむら)下雪裡にある鶴見台です。
鶴見台はタンチョウの給餌場の一つです。道道53号線沿いにあり、駐車場も完備しています。毎年11月~3月頃になると180羽あまりのタンチョウが集まり、朝と午後、野生のタンチョウへの給餌が見られます。
一時絶滅が心配されたタンチョウが、この地に見られるようになったのは、地元民の保護活動のおかげです。 昭和38年(1963)、下雪裡小学校がツル公園をつくり、タンチョウに餌を与え続けました。
昭和49年(1974)小学校が廃校後、渡部トメさんという人が餌を与え続け餌付けに成功したということです。タンチョウは渡り鳥ではなく、湿原の奥深い場所に生息していて、夏は川の魚などを餌として食べています。しかし冬は餌がほとんどないために、鶴見台に飛来してくるのです。
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鶴見台はタンチョウの給餌場の一つです。道道53号線沿いにあり、駐車場も完備しています。毎年11月~3月頃になると180羽あまりのタンチョウが集まり、朝と午後、野生のタンチョウへの給餌が見られます。
一時絶滅が心配されたタンチョウが、この地に見られるようになったのは、地元民の保護活動のおかげです。 昭和38年(1963)、下雪裡小学校がツル公園をつくり、タンチョウに餌を与え続けました。
昭和49年(1974)小学校が廃校後、渡部トメさんという人が餌を与え続け餌付けに成功したということです。タンチョウは渡り鳥ではなく、湿原の奥深い場所に生息していて、夏は川の魚などを餌として食べています。しかし冬は餌がほとんどないために、鶴見台に飛来してくるのです。
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北海道釧路市北大通にある幣舞橋(ぬさまいばし)です。
釧路の幣舞橋は、札幌の豊平橋、旭川の旭橋とともに北海道の三大名橋に数え上げられています。ヌサマイとはアイヌ語の「ヌサオマイ」幣場があるところからきているそうです。幣場(ぬさば)とは、神を祀るためのイナウ(木幣) を立てて並べ、祭祀などの儀式を行う場所のことです。
橋の欄干には「春夏秋冬」を表したブロンズ像を配し、街路灯もロンドンを思わせるエキゾチックな香りを漂わせています。
度重なる釧路川の氾濫で作り直され、現在の幣舞橋は5代目になり、昭和52年(1977)に竣工されました。全長124m、幅33.8m、高さは2.3mです。釧路を代表する観光名所の一つで「釧路十景」に選ばれています。
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釧路の幣舞橋は、札幌の豊平橋、旭川の旭橋とともに北海道の三大名橋に数え上げられています。ヌサマイとはアイヌ語の「ヌサオマイ」幣場があるところからきているそうです。幣場(ぬさば)とは、神を祀るためのイナウ(木幣) を立てて並べ、祭祀などの儀式を行う場所のことです。
橋の欄干には「春夏秋冬」を表したブロンズ像を配し、街路灯もロンドンを思わせるエキゾチックな香りを漂わせています。
度重なる釧路川の氾濫で作り直され、現在の幣舞橋は5代目になり、昭和52年(1977)に竣工されました。全長124m、幅33.8m、高さは2.3mです。釧路を代表する観光名所の一つで「釧路十景」に選ばれています。
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北海道釧路市春湖台にある釧路市立博物館です。
春採(はるとり)公園の中にある釧路市立博物館は昭和11年(1936)に創立され、昭和58年(1983)に現在の場所に移転しました。釧路の自然と歴史を学べる自然史系の総合博物館です。
タンチョウが翼を広げたイメージをデザインしたユニークな外観で、毛綱毅曠が設計し、昭和59年(1984)の日本建築学会賞を受賞しています。
釧路の自然や歴史を「マンモスのふみしめた大地」、「タンチョウをはぐくむ釧路湿原」、「海霧につつまれた自然と人びとがおりなす歴史」とテーマ別に分けて展示しています。アイヌ文化を紹介する「サコロベの人々」や「タンチョウ」のコーナーは特に人気があります。
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春採(はるとり)公園の中にある釧路市立博物館は昭和11年(1936)に創立され、昭和58年(1983)に現在の場所に移転しました。釧路の自然と歴史を学べる自然史系の総合博物館です。
タンチョウが翼を広げたイメージをデザインしたユニークな外観で、毛綱毅曠が設計し、昭和59年(1984)の日本建築学会賞を受賞しています。
釧路の自然や歴史を「マンモスのふみしめた大地」、「タンチョウをはぐくむ釧路湿原」、「海霧につつまれた自然と人びとがおりなす歴史」とテーマ別に分けて展示しています。アイヌ文化を紹介する「サコロベの人々」や「タンチョウ」のコーナーは特に人気があります。
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北海道厚岸(あっけし)郡厚岸町梅香にある正行寺(しょうぎょうじ)です。
真宗大谷派は東北海道方面の開教のため、明治10年(1877)現地調査をし、明治12年(1879)、僧恵明を着任させて、湾月町に厚岸説教場を開いたのが正行寺の始まりです。
現在の本堂は、新潟県西頸城郡西海村(現糸魚川市)の浄土真宗満長寺にあった寛政11年(1799)建築の本堂を移築したものです。明治42年(1909)に解体して船で輸送し、2年後に落慶法要が営まれています。
正行寺本堂は平成4年(1992)道東で初の国の重要文化財の指定を受けました。正面18.3m、側面21mで、正面に向拝、内部には内陣、余間、外陣、参詣間を有しています。
内陣廻りの唐狭間には牡丹の透かし彫りや極彩色を施しており、北海道の近世寺院としては、豪華で格調高いものです。最近本堂が建立された江戸時代の貴重な古文書が大量に使われていることが分かり全文解明に乗り出すことが決まりました。
平成21年(2009)、正行寺鐘楼も国の登録有形文化財に指定されました。明治41年(1908 ) に建立され、桁行一間、梁間一間の入母屋造りで、吹放ち鐘楼です。
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真宗大谷派は東北海道方面の開教のため、明治10年(1877)現地調査をし、明治12年(1879)、僧恵明を着任させて、湾月町に厚岸説教場を開いたのが正行寺の始まりです。
現在の本堂は、新潟県西頸城郡西海村(現糸魚川市)の浄土真宗満長寺にあった寛政11年(1799)建築の本堂を移築したものです。明治42年(1909)に解体して船で輸送し、2年後に落慶法要が営まれています。
正行寺本堂は平成4年(1992)道東で初の国の重要文化財の指定を受けました。正面18.3m、側面21mで、正面に向拝、内部には内陣、余間、外陣、参詣間を有しています。
内陣廻りの唐狭間には牡丹の透かし彫りや極彩色を施しており、北海道の近世寺院としては、豪華で格調高いものです。最近本堂が建立された江戸時代の貴重な古文書が大量に使われていることが分かり全文解明に乗り出すことが決まりました。
平成21年(2009)、正行寺鐘楼も国の登録有形文化財に指定されました。明治41年(1908 ) に建立され、桁行一間、梁間一間の入母屋造りで、吹放ち鐘楼です。
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北海道厚岸(あっけし)郡厚岸町字港町にある海事記念館です。
厚岸町海事記念館は、厚岸の海を賑わせた鯨とニシン漁について、歴史的変遷のほか、海と街の人々との密接な関わりを展示する施設です。
厚岸町開基190年を記念して、役場庁舎前に昭和63年(1988)10月に開館しました。1階は海事と歴史、2階はプラネタリウム、サンエスホールになっています。
1階の奥中央にはイーモント号の船底の残がいの木片が展示されています。イーモント号はオーストラリアの捕鯨船で嘉永3年(1850)末広沖で座礁、32人の乗組員が救助され長崎経由で故国に帰ることができた事件でした。
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厚岸町海事記念館は、厚岸の海を賑わせた鯨とニシン漁について、歴史的変遷のほか、海と街の人々との密接な関わりを展示する施設です。
厚岸町開基190年を記念して、役場庁舎前に昭和63年(1988)10月に開館しました。1階は海事と歴史、2階はプラネタリウム、サンエスホールになっています。
1階の奥中央にはイーモント号の船底の残がいの木片が展示されています。イーモント号はオーストラリアの捕鯨船で嘉永3年(1850)末広沖で座礁、32人の乗組員が救助され長崎経由で故国に帰ることができた事件でした。
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