旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

仙巌園錫門

2011年03月31日 | 旅 歴史
 鹿児島市吉野町にある仙巌園錫門です。
 錫門はかって薩摩藩の特産品であった錫を屋根に使った朱漆の綺麗な門です。錫瓦葺きの建造物としては我が国唯一のもので嘉永元年(1848)までは仙巌園の正門だったそうです。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙巌園獅子乗大石戸燈篭

2011年03月31日 | 旅 歴史
 鹿児島市吉野町にある仙巌園の獅子乗大石戸燈篭です。
 大きく口を開けた獅子は飛び獅子といわれます。明治17年(1884)29代島津忠義がお庭方小田喜三次に造らせたそうです。
 獅子と火袋石は花倉御仮谷跡のものを使い、笠石は磯海岸の防波堤に使われていた物をもってきたそうです。畳八畳分もある大きな石です。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙巌園正門

2011年03月29日 | 旅 歴史
 鹿児島市吉野町にある仙巌園の正門です。
  明治28年(1895)に作られた仙巌園の正門です。明治4年(1871)廃藩置県が行なわれ最後の藩主島津忠義夫人達は鶴丸城からここ磯に居住しました。
 明治21年には忠義本人もここに移り大工大重伊三次に建てさせました。 島津家の家紋、丸十と五七の桐の紋章が彫り込まれています。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙巌園砲台

2011年03月28日 | 旅 歴史
 鹿児島市吉野町にある仙巌園の砲台です。
 第28代島津斉彬(なりあきら)(1809-1858)は諸外国と対等に接するには同じ軍事力を持つことが必要だと考えました。集成館事業の中でも造砲事業は中心的な物になりました。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙巌園反射炉跡

2011年03月27日 | 旅 歴史
 鹿児島市吉野町にある仙巌園の反射炉跡です。
 反射炉は鉄製砲を鋳造するための溶解炉です。他藩でも数多くの反射炉が作られましたが、使い物にならなかったようです。薩摩藩の2号炉の反射炉は非常にハイレベルなもので、鉄製砲の鋳造に成功したそうです。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙巌園

2011年03月26日 | 旅 歴史
 鹿児島市吉野町にある仙巌園です。
仙巌園は鹿児島市の北方にある第19代藩主・島津光久の別邸跡です。それ以後歴代島津藩主の別邸となりました。ダイナミックな進取の気風に富んだ自然を生かした屈指の名園です。磯庭園・磯の島津邸とも呼ばれています。
 磯庭園は、目の前に広がる錦江湾の海を「池」に、そして大きくそびえ立つ桜島を「築山」に見立てている雄大な借景庭園です。
 総面積4万9500㎡の庭園には島津公が趣向を凝らした庭園美や御殿など往時の栄華をほうふつとさせる庭園です。
 「仙巌園」とは、中国龍虎山の仙巌にちなんで名付けられているそうです。
 庭園の裏山には孟宗竹が広がっています。孟宗竹は江南竹といわれ、元文元年(1736)に中国から移植されたそうです。日本各地の孟宗竹は、ここ磯庭園から移植されたものだそうです。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴嶺神社

2011年03月25日 | 旅 歴史
 鹿児島市吉野町にある鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)です。
 鶴嶺神社には島津家歴代当主とその家族が祀られています。亀寿姫(かめじゅひめ)も後祭神の一人です。亀寿姫は元亀2年(1571)第16代島津義久の三女で後に第18代島津家久の妻になりました。
 亀寿姫は幼い頃豊臣秀吉の人質となる等薄幸の生涯を送ったそうです。法名を持明院様(ジメサァ)といい女性の美を守る神様として有名です。
 島津家の祈願所の大乗院(鹿児島市清水町)にあった白地蔵は持明院様と同じジメサァと呼ばれていたそうです。
 鶴嶺神社で分けてもらった紅でお化粧したら女児が美しく育ったそうです。お参りするだけで美しい女性になれるという信仰が生まれて若い女性が参拝に訪れるのだそうです。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西郷隆盛蘇生の家

2011年03月24日 | 旅 歴史
 鹿児島市花倉にある西郷隆盛蘇生の家です。
 月照は京都清水寺成就院の住職でした。僧の身ではありましたが公家の近衛家と薩摩藩の橋渡し役として、朝廷方面での運動に、西郷隆盛らと活躍しました。
 安政5年(1858)井伊直弼の安政の大獄によって月照は追われる身になっていました。近衛忠煕(ただひろ)は西郷に鹿児島でかくまってくれるように頼んだのでした。
 島津斉彬が世を去ったあとの薩摩藩では月照を藩外日向追放と決めました。船で錦江湾を戻る最中、絶望し前途を悲観した西郷と月照は船から冬の錦江湾花倉で相抱いて身を投じたのです。
 奇跡的に浮き上がって来た西郷は平野国臣らの懸命な看護でこの浜辺のこの小屋の中で蘇生し、月照は絶命したのでした。その数ヶ月前、急死した島津斉彬を追って死のうとした西郷隆盛を戒め励ましたのは月照だったのです。
 一人生き残ったことを知った西郷は自らを「土中の死骨」と呼び、生涯恥としたということです。西郷は菊池源吾と名を変え奄美大島に流されたのでした。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西郷公園

2011年03月23日 | 旅 歴史
 鹿児島県姶良郡溝辺町麓にある西郷公園です。
 人物像としては日本一という西郷隆盛の銅像があります。高さは10.5m、胴回りが5.6mです。昭和51年に富山の高岡で鋳造され、昭和63年に現在の場所に完成したそうです。
 西郷公園は鹿児島空港の真向かいにあり、薩摩藩の屋敷の門構えの中に庭園や噴水を配した石畳の広場があります。西郷像がメインでおみやげ物屋が並んでいます。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿児島空港

2011年03月22日 | 旅 歴史
 鹿児島県姶良郡溝辺町にある鹿児島空港です。
 鹿児島空港は、鹿児島市の北東28kmにあります。姶良郡(あいらぐん)十三塚原の台地に形成され、溝辺町及び隼人町にまたがっています。
 滑走路は3000m×45m、平行誘導路、計器着陸装置を装備し、日本の南の空の玄関、南西諸島へのハブ空港として重要な役割を果たしています。
 
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜島

2011年03月21日 | 旅 歴史
 鹿児島にある桜島です。
 「我が胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙は薄し 桜島山」幕末の志士で筑前福岡藩士の平野国臣(ひらのくにおみ)がこう詠んでいます。
 蔓延元年(1860)10月、平野は同志有馬新七の協力を得て藩主島津久光に倒幕を勧めようと薩摩入りし伊集院に滞在しました。願いは叶わず涙をのんで伊集院を去ろうとするとき、この歌を詠んだそうです。
 錦江湾の船の中で平野が笛を奏でていた時、西郷と月照の二人は一緒に寒中の海に身を投げました。後に平野は新選組に追われながら生野の変を起こしました。結局捕えられ六角牢獄に入れられてしまいました。
 元治元年(1864)7月20日禁門の変で起きた火災が六角牢獄に迫りました。入牢者の逃亡を恐れた幕府役人により平野国臣は古高俊太郎、長尾郁三郎ら30名あまりの志士とともに斬首されてしまったのです。
 鹿児島出身の歴史作家・海音寺潮五郎も

  「我が前に 桜島あり 西郷も 大久保も見し 火を噴く山ぞ」

 と詠んでいます。
 鹿児島というと火を噴く桜島と明治維新の英雄・西郷と大久保を想像します。薩摩隼人に代表される質実剛健、勇猛果敢な気風に満ちたイメージが強いところです。
 古くは桜島のことを鹿児島と呼んでいたといわれています。「カゴ」とは朝鮮語では鉱山のことを指していたようです。鹿児島は古来より鉱物資源の豊富な場所だったのでこのように呼ばれるようになったものと考えられます。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高千穂峡

2011年03月20日 | 旅 歴史
 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井御塩井にある高千穂峡です。
 高千穂は天孫降臨の神話や伝説が息づく山里です。高さ80mから100mに及ぶ絶壁が東西におよそ20kmも続く、国の名勝、天然記念物に指定されている峡谷です。特に真名井の滝付近は100メートル近い垂直断崖で神秘的なところです。その美景から日本の滝百選にも選ばれています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シーガイヤ

2011年03月19日 | 旅 歴史
 宮崎市山崎町にあるシーガイヤです。
 宮崎の一ツ葉海岸付近の国内最大級のリゾートシティです。総面積は700haと広大で、野外ドームはじめテニス、ゴルフ、コンベンショナルセンター、温泉まで充実した設備が整っています。
 シーガイヤは日本で初めて産業再生機構を使って再建したリゾート施設です。全天候型、開閉ドーム式のウォーターパーク「オーシャンドーム」はその中心的な施設です。
オーシャンドームは1万人も収容出来るドーム状の大きなプールです。入園料も大幅に値下げして大人2千円です。大きな波で波乗りもできサーフィンの実演もしています。
 シェラトン・グランデ・オーシャンリゾートです。宮崎では唯一の高層ビルです。地上43階753室で全客室から日向灘が眺められます。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

照葉大吊橋

2011年03月18日 | 旅 歴史
 宮崎県東諸県郡綾町南俣にある照葉大吊橋です。
 照葉大吊橋は綾南川の渓谷を渡る、長さ250m、幅約1m、水面からの高さ142mというスケールの大きな遊歩吊橋です。
 日本一の長さの吊橋は茨城県水府村の龍神大吊橋で長さ375mですが、日本一の高さを誇るのがここ照葉大吊橋です。高さは142mあります。
 ここは九州中央山地国定公園に指定されています。カシ、シイ、タブ、クスなどの照葉樹(常緑広葉樹)の自然が広範囲に繁っていて、その規模は全国一です。
 照葉樹は独特の遺伝子の働きで種や萌芽から樹木が発生し、競い合いながら現在の大樹林になったようです。かつては九州山地全体を覆い、焼畑に代表される豊かな農耕文化(照葉樹林文化)をはぐくんできました。
 戦後の拡大造林などで急速に面積を縮小させられてしまいました。綾町でも伐採計画があったようですが町長はじめ多くの人のねばり強い反対で阻止したそうです。
 その結果、全国一の照葉樹林地帯が残されたのです。現在世界遺産に登録しようという市民運動も強まっているそうです。
 照葉大吊橋を渡って、緑の照葉樹林が広がる綾川渓谷の遊歩道を歩く2kmのコースもあります。照葉樹林の中を歩き、照葉大吊橋上から丁度下に見えるかじか吊橋を経由して駐車場下に出られるコースです。
 橋のたもとには、バードカービングや森に生態系を展示した「照葉樹林文化会館」があります。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綾・国際クラフトの城

2011年03月17日 | 旅 歴史
綾城のなかにある綾・国際クラフトの城です。
 昭和61年(1986)に綾城内に工芸家が集うクラフトの町がつくられました。綾は古くから養蚕で知られた地で工芸が盛んでした。
 町の工房の作品や内外の優れた作品などを展示即売しています。織物、陶芸、染色などの体験実習なども受け付けています。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする