旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

桐生織物会館旧館(桐生織物記念館)

2008年08月28日 | 旅 歴史
 今日は群馬県桐生市永楽町にある桐生織物会館旧館(桐生織物記念館)を紹介します。
絹物業は明治・大正・昭和初期にかけて日本の基幹産業として発展し、桐生市内には多くの織物工場が作られました。昭和恐慌の混乱からもいち早く立ち直り、昭和10年前後には織物産業の全盛期を迎えたのです。
 好況期の頂点の昭和9年(1934)に桐生織物会館は建設されました。スクラッチタイル張りの外壁のモダンな建物です。
 会館には織物関係の各組合の事務所が置かれ、まさに桐生織物業界の前線基地的な場所になったそうです。
 現在でも、事務所や会議室、催物などに使われているそうです。「織匠の間」には桐生織物が紹介されていて展示販売も行っていました。
桐生織物記念館旧館は国の登録有形文化財にも指定されています。桐生周囲には同じスクラッチタイル張りの事務所や住宅など見受けられ、景気のよかったことを偲ばせます。

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大川美術館

2008年08月16日 | 旅 歴史
 今日は群馬県桐生市小曽根町にある大川美術館を紹介します。
 平成元年(1989)水道山記念館のすぐ近くに財団法人大川美術館が開館しました。桐生出身の大川栄二氏が約40年にわたって収集したコレクションを中心に、国内外の近代洋画約6500点を収蔵しています。
 昭和10年代に活躍し日本近代洋画史に大きな功績を残した松本竣介や野田英夫などの絵が中心になっています。海外のコーナーではピカソやミロなどの作品も展示されています。
 純白の建物は桐生市街地を一望できる水道山の斜面に建っています。なんでもある会社の社員寮を改修して作られたものだそうです。

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桐生市立西公民館機械室

2008年08月14日 | 旅 歴史
 今日は群馬県桐生市永楽町にある桐生市立西公民館機械室を取り上げます。
 桐生市の上水道は、昭和7年(1932)から給水が開始されました。この時、事務所と同時に建てられた水道倉庫です。
 旧事務所の北方に隣接して建ち、現在は公民館の機械室として使われています。この土蔵のような建物は土蔵ではなく鉄筋コンクリート造りの土蔵風倉庫なのです。
 国の有形文化財に西公民館本館とともに指定されています。

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桐生明治館

2008年08月08日 | 旅 歴史
 桐生明治館は、群馬県桐生市相生町にあり、明治11年に建てられた擬洋風の建物です。前橋・県庁前の群馬会館の場所に「群馬県衛生所兼医学校」として建築されたそうです。
 その後「県立女学校」「師範学校付属小学校」「物産陳列館」「県農会」と使用者は変わりました。昭和3年、現在の群馬会館を建設するため相生村に移築され「相生村役場」となったのだそうです。
 相生村が桐生市と合併したため昭和57年まで「相生公民館兼市役所相生出張所」として使われたそうです。
 昭和59年1月から昭和61年3月まで半解体修理が行なわれ、建築当初の姿に復元されたたということです。
 「白い洋館」と呼ばれ、明治の初期洋風建築のさまざまな特徴をそなえています。左右ほぼ対称の形と優美な色彩は素晴らしさを感じさせます。
 昭和51年に国の重要文化財の指定を受けました。築後98年目の指定だったそうです。1階の正面右側の部屋は喫茶室になっています。重要文化財の一角でコーヒーも飲めるのです。

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桐生倶楽部会館

2008年08月04日 | 旅 歴史
 今日は群馬県桐生市仲町にある桐生倶楽部会館を取り上げます。
 赤瓦の屋根が印象的な桐生倶楽部会館です。木造二階建てで大正8年(1919)に建てられたそうです。織物の輸出で活況を呈した桐生の名士の社交場として使われました。
 玄関の列柱のポーチはモダンなコロニアル様式の造りで国の有形文化財に指定されています。現在も使われていて桐生の企業家の伝統を受け続けています。
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彦部氏住宅

2008年08月01日 | 旅 歴史
 今日は群馬県桐生市広沢町の彦部氏住宅を取り上げます。
 彦部氏住宅は室町時代に武士の屋敷として作られたもので、主屋、長屋門、冬住み、穀倉、文庫倉が国の重要文化財に指定されています。
 彦部家は7世紀後半天武天皇の皇子高市親王を祖とする旧家だそうです。永禄4年(1561)に足利将軍の直参であった彦部信勝がここに屋敷を構えたそうです。
 屋敷構えは背後を戦時の砦となる手臼山、残る三方を堀や土塁で固めています。中世武士の館のたたずまいを残しているのです。
 屋敷の規模は東西130m、南北110mのほぼ方形でその中の約100m四方部分が堀と土塁に囲まれた内郭となっているのです。
 主屋は入母屋造り・かやぶき茅葺で、正面約18m・奥行き約11mあって規模が大きいものです。建築年代は江戸前期で全国的にも古く貴重な遺構です。当時の上層農家の姿を今に伝えています。
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