旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

清水寺経堂

2019年03月31日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区清水に清水寺があります。
 清水寺の経堂は三重塔の隣にあります。間口5間、奥行4間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで背面には庇が付けられています。寛永再興時(1624-1643)に再建された建物で、内部には釈迦三尊像を安置し、一切経を納めています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。平成12年(2000)に解体修理が完成し、鮮やかな朱塗りの堂宇になっています。

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清水寺西門

2019年03月30日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区清水に清水寺があります。
 清水寺の西門(さいもん)は 仁王門の奥の右側の小高い所にあります。寛永8年(1631)の建立で、切妻造り、檜皮葺きの三間一戸の八脚門です。正面には1間の向拝があり、背面には軒唐破風(のきからはふ)を付けています。門というより拝殿のような建物です。明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。

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清水寺三重塔

2019年03月29日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区清水に清水寺があります。
 清水寺の三重塔は西門の先にあります。高さ30.1m、本瓦葺きの三間三重塔婆で、寛永9年(1632)に再建された塔です。内部は曼荼羅の密教世界があり、中央には大日如来が安置されています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。昭和62年(1987)に解体修理され、総丹塗りと共に桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元しています。

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清水寺随求堂

2019年03月28日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区清水に清水寺があります。
 清水寺の随求堂(ずいぐどう)は 仁王門の奥にあります。もとは塔頭・慈心院の本堂で、慈心院を中興した僧・盛松により、享保20年(1735)に建てられました。本尊の秘仏・大随求菩薩像は八臂の坐像で、享保18年(1733)に造られています。随求堂では地下の暗闇を歩く「胎内めぐり」が行われています。

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清水寺鐘楼

2019年03月26日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区清水に清水寺があります。
 清水寺の鐘楼は間口1間、奥行2間、単層、切妻造り、本瓦葺きの建物で、慶長12(1607)に六本柱、四方転びの技法を用いて再建されています。仁王門、馬駐とともに寛永6年(1629)の大火を免れ、明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。梵鐘も室町時代の文明10年(1478)に造られたもので国の重要文化財です。

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清水寺馬駐

2019年03月25日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区清水に清水寺があります。
 清水寺馬駐(うまとどめ)は参詣者が馬をつないだ場所で、仁王門前の北側にあります。間口5間、奥行2間、単層、切妻造り、本瓦葺きの簡素な建物で、室町時代後期(1467-1572)に建てられています。仁王門、鐘楼とともに寛永6年(1629)の大火を免れています。昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。

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清水寺仁王門

2019年03月24日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区清水に清水寺があります。
 清水寺の仁王門は境内入口に建つ朱塗りの門です。入母屋造り、檜皮葺きの、三間一戸の楼門で、室町時代後期(1467-1572)の建物です。正面左右には鎌倉時代末期の金剛力士(仁王)像を安置しています。馬駐、鐘楼とともに寛永6年(1629)の大火を免れています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。

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清水寺

2019年03月23日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区清水に清水寺があります。
 音羽山清水寺は南都6宗の1つ法相宗の中の北法相(きたほっそう)宗の総本山です。広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ古刹です。また石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場で、西国33所観音霊場第16番札所でもあります。
 奈良時代の末、宝亀9年(778)大和の子島寺の延鎮上人が音羽の滝の行叡居士(ぎょうえいこじ)に逢い、霊木を授けられ観音像を彫造して、滝上の草庵に祀ったのが始まりといわれています。宝亀11年(780)、鹿を追って音羽山に入った坂上田村麻呂が、修行中の延鎮上人に出会いました。
 田村麻呂は妻の病気を治すため、薬になる鹿の生き血を求めたのですが、殺生の罪を説かれ、滝の清水と上人の観音信仰に導かれて自邸を本堂として寄進しました。後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定をなし、延暦17年(798)、延鎮上人とともに本堂を建立、十一面千手観音を安置しました。
 延暦24年(805)には太政官符により田村麻呂は寺地を賜り、弘仁元年(810)には嵯峨天皇から「北観音寺」の寺号を賜り、国家鎮護の道場になっています。承和14年(847)には三重塔が建立されています。地震や火災で焼失しましたが、嘉保元年(1094)に復興し、一切経堂も建立されます。
 清水寺の伽藍は康平6年(1063)の火災以来、寛永6年(1629)の火災まで、記録に残るだけで9回の焼失再建を繰り返しています。現在の建物の多くは、寛永8年(1631)から寛永10年(1633)の間に、徳川家光の寄進によって再建されたものです。
 平安時代以来長らく興福寺の支配下にあったことから、興福寺と延暦寺の「南都北嶺」の争いに巻き込まれ、永万元年(1165)には延暦寺の僧兵の乱入によって堂宇が焼亡しました。文明元年(1469)には応仁の乱の兵火で焼失し、再建のために時宗僧の勧進聖・願阿弥が迎えられています。
 豊臣秀吉は清水寺に130石の寺領を安堵し、徳川幕府になってもこの寺領が継承されました。幕末には清水寺の住職で歌人の月照と弟信海が幕末勤王僧として活躍しました。月照は西郷隆盛とともに薩摩に逃れ、入水自殺したことは有名です。
 清水寺の本堂、清水寺境内地は国宝に指定され、仁王門、田村堂、馬駐、西門、三重塔、鐘楼、経堂、朝倉堂、鎮守堂(春日社)、本坊北総門、轟門、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院、子安塔が重要文化財に指定されています。また「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されています。

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京都国立博物館表門

2019年03月22日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区茶屋町に京都国立博物館があります。
 京都国立博物館の表門は鉄製扉がある煉瓦造りで、左右に番所の陸屋根が続いています。かつてはこの門で札売が行われていたそうです。明治28年(1895)に建てられ、昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されています。

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京都国立博物館旧本館

2019年03月21日 | 旅 歴史
 京都府京都市東山区茶屋町に京都国立博物館があります。
 京都国立博物館の旧本館は煉瓦造り、建築面積2896.5平方m、一階建て、桟瓦葺き、一部スレート及び銅板葺きです。明治28年(1895)に建てられ、昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されています。フレンチルネサンス様式で、外壁の要所に石を用い、正面中央には大きな妻飾りをもつ玄関を設けています。

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京都国立博物館

2019年03月20日 | 旅 歴史
 京都府京都市東山区茶屋町に京都国立博物館があります。
 京都国立博物館は片山東熊(かたやまとうくま)により明治30年(1897)に建てられた煉瓦造りの洋風建築物です。当時は帝国京都博物館と称されました。旧本館(明治古都館)・表門(正門)・札売場及び袖塀は国の重要文化財に指定され、技術資料参考館(旧恩賜京都博物館陳列品収納用倉庫)は国の登録有形文化財です。
 平成25年(2013)に平常展示館として平成知新館が新設され、明治古都館は特別展示館として利用されています。明治16年(1883)閉館した京都府立博物館の収蔵品1076件をを引き継ぎ、彫刻・書跡・金工など、国宝110点を含む約1万2000件以上の文化財が収蔵されています。
 設計した片山は赤坂離宮のほか、奈良国立博物館本館、東京国立博物館表慶館の設計にも携わった宮廷建築家です。旧本館は当初3階建ての予定でしたが、明治24年(1891)に発生した濃尾地震で2階建てのレンガ造り建物が多く倒壊したことを踏まえ、平屋建てに変更されたそうです。

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豊国神社唐門

2019年03月19日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区大和大路通正面茶屋町に豊国神社(とよくにじんじゃ)があります。
 石段を上がると豪華な唐門があります。南禅寺の塔頭・金地院にあったもので、豊国神社再建にあたって金地院から移築された門です。以心崇伝が寛永4年(1627)に江戸幕府から二条城の唐門を譲り受けたもので、その前は伏見城にあったものと伝えられています。
 唐門は前後に唐破風がついた四脚門で、側面は入母屋造り、檜皮葺きの屋根です。部材は全て欅(けやき)で、西本願寺の国宝の唐門とよく似ています。欄間や扉の彫刻に桃山時代の華麗な意匠が施されています。豊国神社の唐門は昭和28年(1953)に国宝に指定されています。

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豊国神社

2019年03月18日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区大和大路通正面茶屋町に豊国神社(とよくにじんじゃ)があります。
 豊国神社は京都国立博物館の北側にあります。豊臣秀吉を祀り、一般に「コウコクさん」の呼称で人々に親しまれている神社です。慶長3年(1598)に63才で亡くなった秀吉は後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り、遺骸は遺命により阿弥陀ヶ峰の中腹に葬られました。 
 そこには壮大な豊国廟(豊国神社)が建立されました。しかし元和元年(1615)、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると、徳川家康は秀吉の神号を廃し、豊国廟も破却しました。秀吉の御霊は新日吉神社に移され、秀吉の遺体は山頂に残され、霊屋は朽ち果てるままに放置されました。
 慶応4年(1868)、明治天皇が大阪に行幸したとき、「皇威を海外に宣べ、数百年たってもなお寒心させる、国家に大勲功ある今古に超越するもの」であると賞賛し、豊国神社の再興を布告する沙汰書が下され、明治13年(1880)、明治政府が、現在ある方広寺大仏殿跡地に再興しました。

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法観寺五重塔

2019年03月17日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区八坂上町に法観寺(八坂塔)があります。
 法観寺の五重塔は室町中期の永享12年(1440)に足利義教によって再建された三間五重の塔婆です。高さ46mで、本瓦葺きです。塔内には大日如来を中心とする五智如来像5体(大日、釈迦、阿しゅく、宝生(ほうしょう)、弥陀(みだ))が安置されています。須弥壇の下には創建時のものと思われる飛鳥時代の古い松香石(凝灰岩の一種)の大きい中心礎石が残されているそうです。五重塔は明治30年(1897)に国の重要文化財に指定されています。

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法観寺(八坂塔)

2019年03月16日 | 旅 歴史

 京都府京都市東山区八坂上町に法観寺(八坂塔)があります。
 八坂神社と清水寺の間ぐらいに法観寺の五重塔があります。通称「八坂の塔」と呼ばれ、京都を代表する場所になっています。霊応山(れいおうざん)法観寺は臨済宗建仁寺派のお寺で、五重塔のほかは太子堂、薬師堂があるだけです。
 寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより建立したと伝えられています。他説には朝鮮から渡ってきた狛人(こまびと)八坂造(みやつこ)が創建したという説あります。古くは八坂寺といわれ、四天王寺式伽藍が建ち並び、延喜式七ヶ寺の一つに数えられるほど栄えたそうです。
 創建当初の塔は治承3年(1179)に祇園社と清水寺との争いで焼失し、建久2年(1191)、源頼朝によって再建されました。仁治元年(1240)には、建仁寺8世済翁証救(さいおうしょうきゅう)が入寺して、真言宗から禅宗の臨済宗に改めたそうです。
 法観寺は正応4年(1291)、落雷により焼失し、後宇多天皇の援助により、延慶2年(1309)、北條貞時、山内円成尼により再興されました。永享8年(1436)に再び焼失し、永享12年(1440)に足利義教(よしのり)によって、五重塔が再建されました。応仁・文明の乱(1467-1477)では五重塔以外の堂宇が焼失したそうです。

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